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マンツーマンで英語を教わったら毛布をもらった話

こんばんは。

キャリアって何なんですかね。

このノートを見てくださってありがとうございます。

さて、1週間のアメリカ滞在の際に、初っぱなの挨拶から間違えた私が、帰国して一番に考えたのが生の英語を学び直すこと。いざ、英語の勉強を始めようとして、さて誰にどうやって勉強したらいいかすぐに考えました。外国人の知り合いなど、当然いません。なにしろ大学に行ってからようやく、白人の男の人を電車で見かけて驚いたくらいですから。これが東京で育った人間のリアルでした。マンツーマンといえば、のGABAだってまだありません。必死に思い浮かべた結果、結局身内の伝手で紹介してもらった人のお宅で英語を教えていただくことになりました。

自宅に行って勉強?大学生の初期に家庭教師で生徒さんの家にお邪魔していたこともありますが、時代が今なら、危険きわまりないことと思われると思います。でも、それも遠い縁だとしても、知人だからと疑問もなく、外国人との交流に少しの緊張を持って訪問を決めました。

その最初の先生は、アメリカの退役軍人、高齢の男性でした。奥様とお二人で暮らしていらっしゃいました。

いま思うと、60歳近くくらいだったかもしれません。軍関係でアメリカ仕様の立派なマンションの広い広い一室に案内されました。訪れてみると、教室はその方のお宅のリビングの一角。あきらかに日本製ではない、大きな丸テーブルと大きな椅子に腰掛けて、ワシントンポストなどの新聞や雑誌を題材に会話をしてくれました。相手は日本語が分かりません。身振り手振りや筆記でコミュニケーションを取っていました。正直まだ、私の英語レベルでは、新聞を読むのはあまりにも早すぎたと思います。

しかし、そのお宅のインテリアや生活ぶり、日本語がひとつもない環境は、まさにアメリカの空間。これでこそ、と選択には満足していたと思います。

先生の先生の奥様は、当時アメリカの軍関係の仕事をされていて、ときおり、横須賀で買い物をしてきたどぎつい甘さのど派手な色のスイーツなどを振る舞ってくれたり、クリスマスには、アメリカの伝統に従い、両手一杯のプレゼントの包みをくれました。帰宅して家族の前で拡げてみたら、お菓子などといっしょに紺と白の柄の大きな毛布が入っていて大変驚きました。今も冬にはあたたかく使わせていただいています。

毛布を贈る?文化?まったくわかりませんでした。しかし、それも日本のように丁寧に包まれた、きれいなひと箱を贈るのではなく、身の回りのものをなんでも贈り合うのが習慣なのだ、と理解したおかげで、その後の海外の人々との交流の中で、不思議なものを再三いただき、結果としてだれにも失礼を働くことがなかったと信じています。与えられた感謝はその場でする、というのが私の理解ですが合っているでしょうか。

結果として、この家庭教師は1年半はつづいたでしょうか。先生ご夫婦が帰国することになり、勉強の日々は終わりました。最後の数か月は、お住まいの建物が地上げにあって退去し、類似する近くのマンションに引っ越しましたが、以前のような広さはないのがもの悲しく、何より、いつも先生が満足げに眺めていた、日本風の庭がありませんでした。いつでもここでバーベキューができるんだよ。と。新しい住まいには、代わりに、斜めになった電柱と電線が窓を横切っていました。先生は毎回、窓の眺めについて、少し悲しげにつぶやいていたことを覚えています。

その後はインターネットで英語教師を探すことができるようになっていて、マッチングで2名の教師に教えてもらいました。最後にこの形式で教えてもらった教師とは、広いテーブルと高い天井のレストラン兼カフェで会話しました。1年と少しはつづいたと思います。


...つづきはまた。

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