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#9 小2の僕が語る「ぼくのゆめ、わたしのゆめ」

昨日、実家の片づけを手伝っていたところ、
僕が7歳だった頃の小作文が出てきました。

20年ぶりくらいに読んでみて、小さな手形とは対照的な大きな態度に嬉しさを感じました。

「大人になったら何になりたいですか?」という問いに答える作文だったのですが、
大人の定義もよくわからないし、どんな選択肢があるのかも知らないので、締切ギリギリまで全然しっくりくるものが書けず、半分やけくそになって本音をぶつけてみたことを朧げながら覚えています。

周りの大人は、つまらない子どもだな〜と思われたかもしれませんが、当時の自分に「それでいいんだよ!」と全力で認めてあげたい気持ちです。

当時の僕の気持ちに肯定してくれる考え方の1つとして、キャリア理論の世界には「プランド・ハップンスタンス」という言葉があります。

個人のキャリア形成は予期せぬ偶発的な出来事に大きく影響されるものであり、その偶然に対して最善を尽くし、より積極的な対応を積み重ねることによってステップアップできるという考え方です。
プランド・ハップンスタンス理論のポイントは、以下の三つです。
・変化の激しい現代において、キャリアの8割は偶然の出来事によって形成される
・偶然の出来事を利用して、キャリア形成に役立てる
・自ら偶然の出来事を引き寄せるよう働きかけ、積極的にキャリア形成の機会を創出する

その場の状況に柔軟に対応しながらキャリアを形成していくので、筏下りや川下りによく例えられる理論なのですが、

要するに、先のことなんて誰にも分からないんだから、将来の夢を決めることに固執せず、できるだけ多くの偶然の出会いがある環境に身を置こうよということです。

逆に、自分はこれなんだ!という夢を早期に決めてしまい、人生を逆算して考えるべきだという考え方は、その人の可能性を狭めてしまったり柔軟性を失わせるという意味で危険ともいえます。

これに関して僕は強く同意していて、日々キャリア相談を受ける中でも、
「思ってた仕事と現実は違った。」「やってみたら意外とつまらなかった。」「自分には向いていなかった。」という話を聞くことは多いです。

それに気づくこと自体は問題ないのですが、そこで路頭に迷い、他の選択肢が全く考えられなくなってしまう状況は避けたいところです。

『18歳時点でなりたいと思っていた職業についた人の割合は、わずか2%である』という研究結果からも、思い描いたキャリアは大抵の場合その通りにいかないものということは大前提に考えておくべきです。

選んだ道が違ったら「あ、やっぱあの選択違ったな。」「人生1回目だしこんなこともあるよね。」とライトに捉えることや、そもそもその気づき・判断をなるべく早い段階でできることを大切にしたいものです。

7歳の頃の作文には、大人になるまでゆっくり考えますとは書いたものの、大人と言われるこの年になっても、夢はなんだと問われてもやはりピンときません。
それでも今は十分幸せですし、このままで老後困ったり後悔したりする気もしません。
こんな考え方を皆が堂々と抱き発信できる世界にするというのも、1つの夢かもしれないなと思ったりもします。

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