イスラーム経済論~所有について~

イスラーム経済について、今回は所有についてのまとめ。忘備録として書く。

前回はこちら。

全てはアッラーの所有物

イスラム教の教え上、万物の所有権はアッラーに帰属する。
「アッラーは全知全能であり、人類はアッラーが創った物を一時的に借りているだけである」という教えがあるため。これを前提にして話を進める。そうでないと理解できない部分があるので。読者の宗教(無神論者でも)は何でもいいので「そういうもんなんだ」くらいで受け止めてほしい。

現代資本主義における所有権と利用権について

比較対象として現代社会での所有権と利用権の考え方についても触れる。
利用権の考え方が現代社会のとイスラーム経済ので違いがあるため解説する。

例えば、駅ビルを持っているのが三菱地所、駅ビルの中のテナントにユニクロが入っていたとする。駅ビルの所有権は三菱地所、利用権はユニクロにある。
ユニクロは三菱地所にお金を払って、駅ビルの利用権を受け取る。
三菱地所はユニクロが自社の駅ビルのテナントで服を売ってもよいのを認める。これが所有権と利用権の考え方である。
三菱地所は駅ビル内のテナントを貸さなくてもよいし、ユニクロは利用権を受け取るだけ受け取って営業しないのもありである。
これは権利であって、義務ではないので認められる(義務は遂行しないといけないが、権利は捨てることもできる)。

「実際に権利を買うだけ買っておいて何もしないなんてありうるの?」と思われる方もいるので、実例を挙げる。

中南米の土地を買い占めたバナナ企業

ユナイテッド・フルーツ社(バナナのDoleのブランドで有名な)がかつて、中南米の土地を買い占めるだけ買い占めて、農園は経営しない事例があった。
バナナのパナマ病が流行った時に、ユナイテッド・フルーツ社は中南米の土地を買い占めた。
パナマ病は土由来の伝染病で各地に病原菌が運ばれたので、同社はパナマ病で土地がダメになった→手持ちのストックの土地を開墾して新しいプランテーションを作る→またダメになったら手持ちのストックから土地を出す……を繰り返した。

「土地がダメになったらその都度、土地を買う」手法だとライバル企業が押さえた土地には手を出せないので最初にできる限り土地を買い占めてしまう。金で殴る手法に対して、地元民からは非難の声が相次いだ。

ギニアの鉱山を押さえるだけ押さえよう

「権利を買うだけ買って何もしない」例のその二。
リオ・ティント(多国籍企業の鉱山メジャー)がギニアのボーキサイト鉱山の採掘権を買うだけ買っておいて、鉱山の操業をしない例があった。
これは最初に鉱山を押さえてしまえば、操業を掌握することで鉱物の供給量をコントロールして相場が暴落するのを防ぐ目的がある。意図的に市場操作に近いことができる。

地元民からすれば、「鉱山開発で地元に雇用が生み出されて地域経済が潤う筈だったのに実際は立ち退きをさせられただけ」と不満を抱く結果になった。

現代社会において利用権は「金を払った側に権利がある」でまとめられる。
この法則自体は平等ではあるが、逆に金さえあれば市場操作も搾取も自由自在といった問題点がある。

イスラームにおける利用権

イスラームにおける利用権について解説する。最初に言ってしまうと「働いている人間が一番偉い」と説明できる。

イスラームでは土地や井戸などの生産手段の利用権は労働力を投じた者(働いた人)に最優先で与えられる。井戸掘りをすれば、その井戸を最優先で使えるのは掘った人間である。
ただし、あくまで最優先の利用権を与えているだけなので、独占はできない。自分の家畜に水を与えるのが終わったら、共同体のメンバーにも水を使わせないといけない。

井戸掘りした人に優先権を与えるのはまあわかる。
これだけだと現代の利用権と差異がわかりにくいので他の事例を挙げる。

逃げたラクダは誰のもの?

砂漠でラクダが逃げたとする。ラクダの飼い主は探すのが嫌になって、ラクダ探しを諦めてしまった。愛しの愛駱駝(まならくだ)よ、ああさらば!

ここで、とあるラクダ使いが偶然にもやせ細ったラクダを見つけた。ラクダには名札もついてないのでうちの物にしようと、やせ細ったラクダに餌を与えて復活させた。

この後、ラクダの元飼い主は以前逃げたラクダを偶然にもスーク(アラビア語で市場)で見かけた。
元飼い主は「そいつは俺のラクダだから返せ」と新しい飼い主に言ったが、ウラマー(イスラム共同体内での先生にあたる人。先生といってもイスラム法の解釈と判決もするので裁判官なども兼任する)は新しい飼い主に所有権(ここではラクダの利用権)を認めた。

働いている人間が最優先して利用できる

新しい飼い主に所有権が移った理由は以下の通りである。

元飼い主が逃げたラクダを探すのを諦めた時点で天然資源(ここでは土地、水、鉱山などの富を生み出す生産手段として使えるものの総称を指す)になっているので、利用権は消滅している。ラクダを生産手段として使う意思が見られないからだ。大前提で天然資源の所有権はアッラーに属する。

新しい飼い主がやせ細ったラクダを見つけて、再び荷役として使えるように餌を与えて生産手段として復活させたので、利用権が新しい飼い主に与えられる。
よって、逃げたラクダは新しい飼い主が最優先して利用できる。

イスラム教の教えは、「働いている人間が優先して利用できる」教えである。
土地についても、「耕していないで放置している畑は耕す気がないなら、他の耕したい人に利用権を与える」と判例がある。
この理屈があるので、中南米のバナナプランテーションのような「土地を押さえるだけ押さえる」手法が使えない。開墾する気がないなら共同体に土地を返還しないといけない。

イスラームでは貨幣に限らずだが、土地、水、鉱山など富の生産手段についての利用権の制限が厳しい。
これは生産手段を独占されると、格差が生じて階層の固定化につながるからである。地主はいつだって強い。
同じ資産でも穀物や家畜などの動産については制限がもう少し緩い。土地や水は強力な生産基盤であるのを理解している。


労働者に優しい宗教である。

まとめ

イスラーム経済における利用権の判例についてはもう少し色々例があるのだが、一番面白かったラクダの例を挙げた。ラクダは動産なので具体例としては若干不適切な気がする。

イスラーム経済論を説明しようとすると、現代社会における所有の概念や貨幣論についての知識が必要だとわかった。

貧しい人に優しい宗教なので世界的にムスリムが増える理由がわかった。
働いて豊かになるチャンスがある一方で、貧しい人が極端に不利にならないような仕組みになっている。



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