余白の美の源流

長谷川等伯「松林図屛風」

 漆塗り教室で「歴史的に見ると、中国の螺鈿は余白がなく貝が貼られているけど、日本の螺鈿は余白があり、黒く鏡面のように仕上げられる部分も美しいのです。」と話していたら、「日本の余白の美っていつからですか?」と質問を受けた。

「いつからだろう?」と即答できず、うーん、と考えてみた。
そして、余白の美は、安土桃山時代の長谷川等伯の松林図、と日本史で暗記した気がする、と思い出した。

長谷川等伯「松林図屏風」
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10471

そして、長谷川等伯(1539-1610)は南宋の牧谿(13世紀後半)の画に影響受けたようで、牧谿の画は室町時代に茶会で人気だったようだ。

余白の美、が言語化されるのは、江戸時代の絵師土佐光起(1617~1691)の『本朝画法大伝』のようだ。(以下抜粋)
"白紙ももやうの内なれば心にてふさぐべし"

もう少し、余白の美の源をたどれないかと本を読んでみる。
紙面上で考えると、絵巻物の詞書の「散らし書き」があった。

「源氏物語絵巻」の詞書

"(源氏物語絵巻に)記されたひらがなは、「散らし書き」と呼ばれる手法が用いられている。
 これは絵画や文字だけでは伝えられない思いを表現する手法で、書き出す上下の位置や行間を適宜変えることで感情の抑揚を表すものである。中でも「重ね書き」と呼ばれる左右の行を重ねる技法は圧巻である。「源氏物語絵巻」の御法の巻には、主人公光源氏の正妻、紫の上が亡くなる、まさにクライマックスシーンにおいて、読みづらいほどに字が重ねられている。
 さまざまなことをしつくさせたまへどあけゆくほどにたえはてさせたまひぬ
 死の悲しみを表現するために行間の余白をなくしたものとみてよいだろう。このような余白の操作によって感情を表す方法は、まさしく「もののあはれ」や、のちに触れる「余情」の表現とみてよいだろう。"(p87)
『日本の美意識』(著者:宮元健次、2008年、光文社)より引用

「源氏物語絵巻」では、上記の「御法」の帖だけでなく、「柏木」など複数個所「重ね書き」の部分があるようだ。それまで、きれいな字で整った行間で書かれていた詞書が、急に行間がなくなり重ねて書かれており、絶対わざとだとわかる。
「源氏物語絵巻」平安時代(12世紀)
https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/genji/

「継色紙」・「寸松庵色紙」・「升色紙」

では、「散らし書き」はどこまでさかのぼるのかなと思うと、平安時代中頃の三色紙の和歌の散らし書きかと思う。

「継色紙(つぎしきし)」(伝小野道風)・「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」(伝紀貫之)・「升色紙(ますしきし)」(伝藤原行成)は三色紙とよばれ、平安時代中頃(11世紀後半頃)の名筆。
万葉集や古今和歌集など和歌を、散らし書きにしたもの。

「継色紙」
http://idemitsu-museum.or.jp/collection/calligraphy/kana/03.php

「寸松庵色紙」
https://www.moaart.or.jp/?collections=092

「升色紙」
https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/04/08-018/

絵も文字も同じ筆で書くことができた文化圏において、ひらがなを作りだし、和歌を写すにあたり、紙面上のレイアウトを考えて書くという、余白を意識している時点で、余白の美の源流と言えるだろう。

世阿弥「花鏡」

 舞台上での余白の美を言語化したのは、世阿弥なのだろう。動作と動作の間(隙)がよいのだという。

" 見所の批判にいはく、「せぬところが面白き」などいふことあり。これは、為手の秘するところの安心なり。
 まづ二曲をはじめとして、立ちはたらき・物まねの色々、ことごとく皆、身になす態なり。せぬところと申すは、その隙なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見るところ、これは、油断なく心をつなぐ性根なり。舞を舞ひやむ隙、音曲を謡ひやむところ、そのほか言葉・物まね、あらゆる品々の隙々に心を捨てずして、用心を持つ内心なり。この内心の感、外に匂ひて面白きなり。"『花鏡』
『世阿弥芸術論集』(校注者:田中裕、平成30年、新潮社)より引用


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