漆草子 -漆は接着剤-
漆は接着剤。人のご縁もくっつける。
漆器ギャラリーオーナーでエッセイストの高森寛子さんが、手紙のなかに書いてくれたことば。いまから14年前、まだ漆器を仕事にする前のこと。
以来、私のとても大切なことばになった。
高森さんのギャラリー「スペースたかもり」を訪ねるきっかけになったのは、まだ世に出たばかりの一人の女性漆芸家との出会いだった。当時私はまだ会社員。あまりにも忙しい毎日に、ぷつっと糸が切れたように突然旅がしたくなり、金沢へ。その旅先で偶然言葉を交わしたのが彼女だった。翌日、自分でも驚くのだが、私は彼女を訪ねて輪島行きのバスに乗っていた。彼女も前日に出会ったばかりの、言ってみれば見ず知らずの旅人を出迎えて、車に乗せて、輪島の町を案内してくれた。自宅の工房にも招いてくれた。
私たちは色々な話をした。漆のこと、作品のこと、輪島のこと、これまでのこと、これからのこと、猫のこと。一番鮮明に覚えているのは漆のことではなくて、猫が漆が混ざっていそうなバケツの水を美味しそうに飲んでいたことと、私の愛用のものと同じマグカップを彼女の食器棚に見つけたこと!
ほんの半日ばかりの滞在だったけれど、私たちは生涯の友だちになった。と、少なくとも私はそう思っている。
その半年後、東京で彼女の個展があって、訪ねたのが「スペースたかもり」。憧れのギャラリスト、高森さんから万年筆の上品な文字で書かれた手紙が届いたのはそれから間もなく。
たぶん高森さんは何気なく書かれたのだろうけれど、私にとっては一生の宝物。
高森さんからのことばも。
漆芸家の彼女との縁も。
彼女にはその後、数年に一度会うくらい。やがて私は漆器を仕事にするようになり、彼女は伝統工芸界で名の知れる作家になった。
漆は接着剤。人のご縁もくっつける。
その言葉のとおり、私は漆を通じてたくさんの縁と学びを得て今がある。
仕事をしていればつまづくこともある。。というよりそんなことばかりだけれど、いつも漆と人の縁に救われている。
2024年元旦
災害時に余計な連絡をしてはいけないと分かってはいたけれど、私は短いLINEを入れた。
数日後の「既読」
泣けたよ。
生きててくれてありがとう。
私は今、彼女が繋いでくれた新たな縁で、新たな友人を得て、ほんの少しばかり能登応援活動をしている。
トップの写真は、最近の金沢での乾杯。
まもなく彼女は、避難先の金沢から輪島の仮設住宅・工房へ帰っていく。私の短い金沢滞在中、スケジュールがすれ違って今回は会えないと思っていたのだが、「自分の各ライフステージで千晶さんと会わないといけないからね」と、律儀なんだか何だかよくわからない理由で、忙しい合間をぬって会いに来てくれた。
ありがとう。
あなたのそういうふんわりマシュマロみたいに柔らかくてかわいくて、でもその奥にものすごく強い意志のある気持ちと作品が、大好きだよ。
自ら被災しながらも、ほかの人のことや、能登の美しい自然と文化を残すことに心をくだくあなたの優しいところが大好きだよ。
あなたの次のステージにも、きっとまた会いに行くよ。
震災を生き抜いた、あのマグカップとともに待っていて。
輪島に帰ったら、金沢での避難生活よりも苦労が多いのじゃないかと思う。
町の復興はこれから何年かかるかわからない。
輪島だけではない。能登の、海と山と風の恵みとともにある暮らしが一夜にして壊れたのは自然災害によるものだけど、いまも悲しみもがき悩む人々に、もう少し寄り添える世の中にできないものか。
漆は接着剤。人のご縁もくっつける。
かつて私がいただいたこの言葉を、
能登で頑張る人たちにも贈りたい。
数千年、おそらくもっと長い漆の歴史を紡いできた能登にはきっと、これからも漆が繋ぐ縁がある。
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