「超絶系自主休校の3年間」に一区切り。完全不登校のまま中学を卒業しました。
完全不登校のまま中学の卒業式を迎えました
2024年3月13日。
今日、中学校に行って、子どもの卒業証書を受け取ってきました。
小5の途中から不登校で、卒業式だけは出席しましたが、中学については、制服も買わず、入学式含めて1度も行かず。でも卒業はできるのですねw
卒業はできるとは聞いていましたが、本当でした。
(予備軍をお持ちのご父兄の皆様、安心してください)
昨年秋の文科省の発表では、小中学校の不登校児童生徒数は29万人だそうです。在籍児童生徒に占める不登校児童生徒の割合は3.2%。
年間30日以上の欠席で「不登校」と定義されるようですので、「一度も通学しなかった不登校児」は1%未満なのだろうと推察します。
1学年260人ぐらいだと思うので、いたとしても同級生では2-3人なのかな、と思っていましたが、担任の先生に聞いたところ、同じ学年では完全不登校はうちの子だけだったそうです。
ともあれ、本当に充実した、大きく成長した3年間でした。
メディアで「不登校」が取り上げられる時、挿絵で使われるイラストは、だいたい「薄暗い中でポツンと暗い顔をして体育座りしている子ども」なんですが、そんなポーズは一度も見たことなかったw
「不登校」は、かつては「学校恐怖症」「登校拒否」「学校 ぎらい」などと呼ばれてきたそうですが、そろそろ別の名称があってもいいような気がしている。
彼女の3年間を振り返ってタグラインを付けるなら「超絶系自主休校で大きく成長した3年間」です。
超絶系自主休校Q&Aコーナー
不登校、自主休校を推奨する訳でもなんでもないですが、かつての私と妻が、そして本人も、やはり当初は戸惑ったのは事実で。
誰かのためのお役に多少でも立てたら、と思っています。「実体験」でしたら、お答えできると思います。
そんなわけで、Q&Aコーナーを作りました。
その他のご質問がありましたら、ご遠慮なくお願いします。
Q. ただの1日も通っていないのですか?
A.はい、入学式も、それ以降も本人は一度もです。通常授業も、修学旅行も、卒業式も。
本人は、何組に属していたのか、担任の先生の名前も知りません。中学の所在地もなんとなくしか知らないと思われます。
Q.それでも卒業できるのですか?
A.はい、できました。
Q.進学に影響はなかったですか?
A.うちの場合は、4月から私立の通信制高校に通います在籍します。普段は自宅学習で、年に1回1週間、沖縄で集中スクーリングを受けるというシステムの学校です。年初に入学願書と卒業見込証明書等を送付して、無事に入学が決定しています。
Q. 登校しなくても学費の支払いは発生しますか?
A.はい。教材費等ですが、毎月6000円がゆうちょ口座から引き落としです。ただし、未利用分は学年ごとに現金で返金されました。
卒業式で返金された額は、47,279円でした。
Q. クラブ活動は全員加入が原則の中学ですが、加入しましたか。
A.はい。1年時に、どこかに入って欲しいといわれ、「家庭部?」だかに加入しました。一度も顔出していませんが。
Q. 在学中、担任の先生とのやりとりや面会はありましたか。
A.1年生の時は、月に1度ぐらいお電話をいただき、健康状況・学習状況・外出しているか、などを定期的にヒアリングされました。(おそらく、お手元のチェックシート的なものを埋めて、上司や上部機関に提出するような運用なのだと思います)
唐突に電話をもらっても、子どもの前だと話しづらいこともあるし、「今、電話できますか」など、まずはショートメッセージやLINEで連絡してもらえないか依頼しましたが、「禁止行為ですから」と断られました。
学期末に大量のプリントの受け取りと、返金額の精算のために私が赴きました。2,3年生の時は、担任の先生とショートメッセージを併用してくださり、いついつ来てくださいというやりとり程度でした。
Q. 在学中の学習はどのように行ったのですか。
A.まず、大枠のパターンでいくと、3~5週間連続で「やりたいこと」をとことんやります。自宅で、好きな絵を描いたり、モノを作ったり・毎月のマルシェイベント出店の準備をしたり、英語や韓国語を学習したり。
そして次の1~2週間はZ会のタブレット教材で集中して、5教科の基本学習をします。学期ごとを目安で、帳尻を合わせて全科目をやり遂げました。
全部完璧にやる必要はない、わからないところ、興味が湧かないことはざっと流す感じでも構わない、と伝えた上でです。
Q. 家では「だらしない生活」にならなかったですか。
A.まず、ゲームやマンガ、なんとなくテレビやYoutube観るだけなど「受身な娯楽」には、ほぼ興味がない子です。
「ゲームは1日1時間まで」みたいなルールがなくても一切問題なしです。
朝7時に起きて、ペットに餌をあげて、Youtubeでラジオ体操して、朝食を取って、1日が始まります。
あとは、ひたすらやりたいことに打ち込んで。
「やりたいこと」「やるべきこと」「やらなければならないこと」の3つはバランスよくやるように、という前提は伝えていましたので、5教科の基本学習も自主的にやり遂げました。
家庭では様々な知識と技術と、地域では人間関係や、マルシェイベントの定期出店などを通じて商いの基本などを高効率で吸収したように思います。
Q.義務教育ですよね?学校に通わないのは「問題」ではないでしょうか。
A.社会的な、一般的な、「問題」かどうかはさておき、我が家では「機会」でした。
そういえば、かつては「登校拒否」と呼んでいましたが、平成10年度(1998)から「不登校」いう名前になったようです。
ちなみに検索してみると、「学校に行かないことは問題であり、問題ではない」というコラムを見つけました。
ご興味のある方はご覧になってみてください。
追加の質問をいただいたら、以降に追記していきたいと思います。
Q. 卒業アルバムには載っていますか?
A.卒業アルバムの撮影のタイミングで、担任の先生からお電話をいただき意思確認をいただきました。「撮影するか」「掲載するか」「アルバムはいるか」。
いずれも辞退をしましたので、アルバムに名前も写真(集合写真右上の挿入も含め)なしです。卒業式の日に見せていただきました。
ちなみに、昔と違って、個人情報である住所や電話の入った名簿欄はありません。
卒後式当日の式次第には名前があり、呼名はしていただいたとのことです。
Q. 不登校期間中の机やロッカーはあったのか
A.素朴な疑問として先生に聞いてみましたら、3年間通じてあったそうです。席替えや掃除でクラスの皆様に常に迷惑をおかけしていたんだなぁと申し訳なく思っています。
Q. そもそもなぜ不登校になったの?
A.背景や理由はいくつかあります。
1.小学校に通い始めてわかったのですが、聴覚過敏で、騒がしい場所ですと心が落ちつかず、取り乱してしまうことがありました。(これについては、ノイズキャンセルフォンをしたりすることで少し緩和されました)
2.アスペルガー気質があり、ショートメモリーが乏しく、例えば体育の球技のルールなどを理解しづらい傾向がありました。それに対して、クラスメイトから「なんでできないんだよー」と、いじめまではいきませんが、からかわれたりもあったようです。
3.正義感が強く、小さなことからダメなことはダメ、しない、という考えが強かったです。低学年の頃は良かったのですが、クラスメイトが高学年化と共に、小づるくなっていくにつれ、浮いていったところがあるようです。
4.うちの特殊な環境があるかもしれませんが、周囲には生活を半ば共にするような、たくさんの大人たちや子どもたちに囲まれて育ちました。
本音で生きる魅力的な大人たちをたくさん知ってしまったが故に、学校の先生方が「比較的」そうではない大人が多いと気づいてしまったところもあります。
正義感が強いゆえ、学校に行きたくない自分を、自分で許せず、本人はかなり葛藤していました。軽い自傷行為も見られるようになり、さすがにまずいなと、「行けない日は、無理に行かなくてもいいんだよ」という言葉をかけ、遅刻や欠席の日が出るようになりました。
そんな時に、2020年からのコロナ禍になり、結果的に「学校側から来ないでくれ、来ないでよい」となったことで気持ちも軽くなり、そして自宅で学習することの効率性も実感し、通学の意味を感じなくなりました。
(統計的にも、コロナ禍を機に不登校児が増加していますが、潜在的な不登校が、顕在化したというイメージがよくわかります)
結果的に、小6時は前半の少ししか通わないことになります。
卒業式だけは「けじめとして、お礼を言いに行く」と本人の意思で参加しました。
中学になったら、何かが変わるとも思えず(本人も親も)、中学については制服も買わず、入学式も出ず、完全な不登校(超絶系自主休校)を選択しました。