「楽しそう」にまつわる切ない気持ち
楽しくてわくわくしている時、いいですよね。
私のわくわくは、例えば楽しみにしていたクラシックコンサートにいく時。少し早めに着いて、近くのカフェで珈琲飲んだりして過ごす時間。コンサートが終わって、あそこ良かったねなんて言いながら歩く帰り道。いいなぁ。
夏休みの旅行も好き。いつも長野によく行っていた。ホテルを予約して、どんなところかなぁってわくわくする。窓を開けて鹿がいるとか、ライトアップされた木々を見ながらの貸切露天風呂とか、早起きして山の中を散歩したりとか、楽しい。
登山も楽しみ。アドレナリンが出る。向かう途中も、上ってる最中も、お弁当も、下山後の銭湯も、そわそわわくわくする。
楽しそうにしている人を見るのも、楽しい。特に、自分と同じものを好きだったら、いっしょにわくわくできる。
でも、自分の親しい人が、自分の知らない物や、自分は全然興味ないものを楽しそうに話していると、ちょっとさびしいというか悔しい気持ちになる。置いて行かれたような気持ち。
これはある種の独占欲かもしれない。
私はあなたのことを知っていたい。理解していたい。でも、あなたがそれを好きだと言っている気持ちを、私は共有できない。分からない。「それが好きだ」というあなたの重要な気持ちを、私は一緒に持つことが出来ない。
切ないですねぇ。
私には変な癖があって、こういう切ない感情に、なぜか萌えるというか、そんな気持ちになります。この人の大事な一部が、自分のものにはならないというそのことが。
わかります?
わからないですよね笑
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