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記憶の不思議

記憶は思い通りに操作できない。なんでなんだ。こんな大事な機能なのに、思い通りに出来ないなんて。
覚えることも操作できないし、忘れることも操作できない。思い出すのも気まぐれと来ている。

よく言われる長期記憶に入れるための方法は二つある。ひとつは強烈な体験によって記憶させること。もうひとつは触れる回数を増やして記憶させること。

暗記科目の勉強は特に2つ目が大事。勉強が強烈なインパクトを持つことは稀だ。なので1回1回は軽くでいいから、何周もテキストを読み通すのが効く。こんなに何度も目にするんだから重要に違いないと、脳が判断するらしい。
語彙や漢字などは特に反復回数がものを言う。努力とかでもない。ただの回数だ。ストーリーがあるとより覚えやすい。

興味深いのは一つ目の方だ。人が強烈なインパクトによって記憶する出来事というのは、どうも良いことよりも悪いことの方が多いのではないか、という気がする。どうかな。

やはり、危機回避のためという本能的目的があるのだろうか。危ない目にあった記憶を将来のために覚えておこうとするのだろうか。

楽しかった旅行の記憶って、楽しかったこと自体は覚えているけど、詳細はぼんやりしている気がする。強烈に楽しいイベントがあれば記憶に残るけど、そうでなければ積み重なる時間とともに他の記憶と混ざったりしてしまう。
それこそ、日常の中の小さな良いことは翌日には消えてしまうが、日常の中の小さな嫌なことは意外と忘れられなかったりするものだ。
それが、強烈に辛かったり嫌だったりした記憶なら、なおのことまざまざと思い起こせてしまう…。忘れたくても。割と詳細に。

記憶を引き出すというのも、自分の意思とはさほど関係ないのが不思議だ。
なんかこの人は危険だし嫌な感じだ!と思って逃げて、後々考えると似たような体験からくる嫌悪感だったとようやく気付くことがある。


でも先日、夜に雨の降る音を聞きながら思い出したことがある。子どもの頃、山小屋に泊まった時の記憶。その夜も眠りに落ちる前に雨が降ってきて、ソワソワドキドキ楽しかったなぁという肌感覚が、ふわりと降りてきた。そんなに強烈な思い出でもないのに、自分が記憶していたことを知らなかったくらいだ。

忘れているつもりで、実は忘れていないのかもしれない。自由に引き出せないだけで、もしかしたら、いい思い出も嫌な思い出も、全部覚えているのかもしれない。

脳がどのタイミングで何を思い出させるのかについては、妙に粋な計らいがあるような気もしている。
そう思うと、覚えられないのも、忘れてしまうことも、なぜか忘れられないことも、脳の気まぐれで粋な計らいのような気もしてくる。

たまに嫌がらせのように「なんで忘れさせてくれへんねん!」と感じることもあるけれど、たぶん悪い意図はないんじゃないかな。脳には。

どうかな。


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