博物館のこと「新田荘歴史資料館と歴史公園」
5月4日 晴れ
新田荘歴史資料館と歴史公園(新田荘遺跡)
こちらも太田市にある資料館。入口前で新田義貞氏の銅像がお出迎えしてくれます。
新田氏の荘園だから新田荘遺跡。入ってすぐに新田氏のあれこれがあるわけではなく、土器とか当時の道具とかがあって、お寺所蔵のモノも。お蚕さんのこともありました。
歴史資料館ともなると、展示も原始から中世、近現代までいろんな展示が集まることになります。だから上記にあげた土器だのお蚕さんのこともあります。そりゃあ歴史資料館だから「この人『だけ』を取り上げる!」ということではないのですよね。ピックアップする人はいるだろうが、大々的に「なにかを成し遂げた」という場合じゃないと、その人だけを取り上げた資料館はできません。まわりの影響もあって「この人の偉業」が成り立つわけですから、ないと証明にならない場合もあります。ていうかそれがないと史実の解読は無理に近い。だから関連事項をくっつけて、やっと公開できるみたいな。
このあたりだと新田氏が力をつけて大暴れ、ということで新田氏関連が多め。鎌倉幕府を滅ぼした武将ですが、そのあと足利氏との戦いで負けてます。
このあたりは弥生時代には人があんまりいなくて、古墳時代から急に人が増えてきて、ようやく歴史が大きく始まるわけです。古墳がある=人々の生活があったってことだから、それだけ歴史がある、ってことになります。
進んでくとやっと新田氏スペース(?)が見えてきました。太田市は地名に新田氏関係の家来の名前を多く使ってます。「新田〇〇」が一番多いかな、5つはあったと思います。親友と家系図を見ながら「このへんの地名は〜」と説明してくれました。なるほど、新田氏の影響力は衰退するまでかなり強かったようですね。
順路どおりにまわって、新田氏の子孫が描いた猫の絵「新田猫絵」がありました。なんでも養蚕の邪魔者だったネズミ除けとして描かれたんだとか。猫の仕事は昔からネズミ捕りだったんですね。
私、日本史は疎いというか、歴史系は苦手なんです。だから新田義貞氏がなにをしたか、詳しいことは知らないのです。鎌倉幕府を討ち倒した、くらい。
興味があることはスルッと入ってくるのに、こういうのはほとんど入ってきません。引っかかるワードがあればずっと引っかかったままかもしれませんが……
資料館の見学を終えて外に出ると、空と緑がまぶしい。風も気持ちよくてさわやか、鮮やかです。そして暑い。親友曰く「35℃がマシと思える日があるほど暑い」ということだそう。熊谷の北に位置するし、内地だから余計に暑いのかもしれません。
歴史公園扱いなので、資料館だけじゃありませんでした。
新田荘歴史資料館、真言院井戸、普光庵跡、東照宮、文殊山古墳、開山堂、長楽寺本堂、太鼓門、三仏堂、渡月橋と蓮池、勅使門、大光庵が、同じ敷地にあります。
その中の東照宮の見学を────と思ったのですが、工事現場でよく見る幕が全体を覆ってて、見られませんでした (・∀・; )
3月30日の埼玉県立図書館 2度目の訪問で起きた「closed!!!!笑」と似たような感覚。
でも、いいこともありましたよ! 散策中に自然に触れられたし、大きな木に「蛇」がいまして。上にするするっと登っていきました。
怖いとか嫌とかいうネガティブな印象は抱きませんでした。
ゆかりのない土地の資料館を巡るのも悪くないな、と思った訪問でした。
気になったのは、展示ケースひとつに対して加湿と除湿ができる機械が1台入ってたこと。これまで訪れた博物館・資料館の中で、展示ケースひとつに対して1台を置いてるところはありませんで、贅沢なのかなとか、この地は湿度が安定しないのかな……とか。資料保存はここまでやらないといけないのか、と改めて思いました。