正規でも非正規でも「やりがい」を感じられるなら。
2022ねんの抱負でも書いた公約(ただの抱負なので公約でもなんでもない)をやります。
これの締め切りが大学のレポート直前だというから、その前に書いてしまえっ。
新しく職を探す……というわけにはいかないし。
■デスクワーク以外でも電話対応はするものだった
私は高卒であり、どの会社に就くか最後まで決まらなかった組にいた。というか「なにをしたいのか」が最後までわからなかった。おそらく現役で進学を決める側にいても同じだったかもしれない。
合格を狙えそうな大学の模試をいくつかやってみた。合格ラインにギリギリ届かなかったのは薬学部だったからで、私は複雑な計算式を求めるような問題を苦手としていた。他にも公務員試験の模試もやってみたが、前項と同じく一般教養の部分(小論文)がうまく書けずに模試で諦めた。この時点で安定職に就くことを諦めた。明確な理由もなく地方公務員になったとして「やりがいがなかったら意味がない」と思ったから。
この結果に落ち込んだ(わかりきっていた)私は学校側に届いている就職案内とにらめっこする日々を過ごしながら、ネットで見つけた「適職診断」みたいなものを試してみた。するとすべて「クリエイター」とか「専門職」とか、その道で食っていけるようなもの、つまり「手に職」のようなものが合っているという結果になった。
専門職? それこそ専門学校とか大学とか行かなきゃまずいだろというから、また進学と就職とでふらふらし始めた。結局、進学せずに和菓子屋に就職が決まった。
人と向き合う接客よりも製造を選んだのは「笑顔も下手だし話すことも苦手だし、もう裏方しかない」という理由から。デスクワークでもないのに毎日電話を取って発注の取り次ぎをしたり、地元の祭りに駆り出されたり、年末年始は死ぬかと思った(大袈裟に書きすぎてはいる)。「人と接しない仕事なんてなかった」と思い知らされた。ついでに言えば、この時点でコミュニケーション能力が他より劣っていると思わざるを得なかった。
電話対応もろくにできないやつを採る会社なんて、他にあるのか。事務系など論外だろう。ルート配送業でも、きっと顧客との会話くらいは発生するはずだ。
•無計画すぎた転職活動
私がいるべき場所はここではないと考え始めたのは2014年の春頃。就職せずに進学していれば、もう大学も卒業間近という年。ここで「学」の面で差が出たわけだが、まだ大学に行くということはしなかった。
辞めることを工場長には言ったが「辞めるまで」のつなぎなのか知らないが、製造課に異動が決まった。
理由は給与面だ。なぜか入社当時から一定のままで上がらなかった基本給にテコ入れされたのが遅かったのだ。ここの人たち、よく文句のひとつも言わなかったな……と感心した。内々では言っていたようだが。
そこでたまたま見つけた「腸内細菌検査」という言葉。いわゆる「検便検査」だ。清潔区域内にこの検査キットが置かれている時点でこの職場の環境を疑った(未使用だったけど)。有給休暇消化中にこの企業に電話し、有給休暇消化中に採用が決定した。
まさか有給休暇消化中に職探しをするなんて。無計画にも程がある。自分でもびっくりだ。併せてそこの親会社にも面接しに行ったが、こちらはなんと「面接したこと自体をなかったことにされていた」。
新棟に引っ越したばかりだという事業所は地図に載っていなかった。目の前の会社の名前を教えてもらい、そこを目指してひたすら歩いた。
検査っていうくらいだから、ピペット使ったり顕微鏡使ったりするんだろうな…でも知識は絶対必要なんだろうな……と思った。面接の時にダメ元で「社員になれる可能性はあるか」と聞いてみた。
「ん〜長く働いていれば……なれる『かもしれません』」
石坂浩二さんに似た人は笑顔でそう言ったが、あくまで可能性。やはりその道の資格やら知識その他が必要だと知った。口では言わなかったが、顔が思いっきり「資格あるほうが有利」だと。それに私は中途採用とはいえパート枠で電話した。非正規雇用。正社員ではない。前職よりも待遇は落ちるし、給料も低いだろうと思った。
「土曜日の出勤は可能ですか」「早出とか残業とか平気ですか」とぶっきらぼうな顔で聞いてきた人が主任というから驚いた。もともと休日(土日)も平気で出勤していたので「むしろそのほうがありがたいです」と即答しておいた。
「ああ、じゃあオッケーです」なにやらメモするぶっきらぼう。私はこの人の下で働くことになった。主任はぶっきらぼうなだけで、話してみたら意外と面白かった。
人事の人には「親会社にも電話していた」と面接の時に伝えており、いつまでも連絡がなくてこっちから連絡したことも伝えた。
「あっちのほうが待遇よかった?」と聞いてくれたが「面接がなかったことにされました」とはっきり言っておいた。当たり前だが驚かれた。向こうのほうが規模は大きいし、なにより上場企業だ。ここも社名に親会社のものを含んではいるが、検査業務に「臨床系」は存在しない。「同じグループですよ」というだけだ。
仲がいいとは聞いていないし、あくまで「同じグループ」としての位置づけだけで考えているのかもしれない。親会社って基本的に自分のところさえよければなんでもいい、みたいな考え方がありそうで嫌だった。
しかし「面接をなかったことにされた」というのはどうにも納得がいかない。しかし親会社の人事と会うことはもう絶対にないので、やり場のない怒りは「採ってくれたこの会社で」仕事する上での原動力にするしかなかった。
•唐突に教えてもらえた「新しいこと」その1
前の製造職は人数が少なすぎて能力発揮前に潰れ、今度は人数が多すぎて人酔いするかと思った。同じ部屋に常時10人以上がいるのだ。当然だが最初はできることしかできなかったが、できることが増えるにつれて楽しくなってきた。
ある業務が、今までの「やりがい」をガラッと変えてくれた。それが「ノロウイルス検査」と「遺伝子検査」だった。順番としては「ノロウイルス検査」→「遺伝子検査」だったが、下処理も含めると「遺伝子検査」のほうが先だった。それまでもたしかに検査には関わっていたが、ここまで密接に関われるとは思っていなかった。
違う業務をしていた私のもとに、面接をした主任とは違う社員が寄ってきて「それが終わったら、ちょっと来てほしい」と言った。区切りがついたので向かうと、新しい機械2台に迎えられた。
「今から、やり方を教えるね」
ここから1ヶ月か2ヶ月くらい、もっと長かったかもしれない。私は片手にピペット、片手にプールが済んだ集約容器を持って、検査の準備を進める業務に専念することになった。作業はかなり楽しかった。これをやっている時だけは、どんなに忙しくても「楽しい」と思えたし、自分が「濃い部分の検査に関われている」と思うとやりがいも出てきた。
下処理とはいえ検査に関わる大事な作業で、繊細さと正確さが問われる。これで失敗すれば集約作業からやり直しとなるので責任が重くのしかかる。
従事者が増えれば、やりやすい環境を求めるあまり衝突する。これは今でも変わらずに続いているため現在進行形で関わっている。
•唐突に教えてもらえた「新しいこと」その2
「ノロウイルス検査」を始めたのはその後で、やはりいきなり該当セクションに突っ込まれた。検査としては私が入社するずっと前から行われていた。
夏場、冬場の食中毒のほぼ上位を占めるノロウイルスの検査を教えてもらったあたりから、私の仕事に対する熱量が変わってきた。
自分で検査したものの結果を、自分で出すことができる。つまり自分でやった仕事が「陰性」であれ「陽性」であれ、自分の目で見て確認できるということ。
なんだこの面白いセクションは。これこそ私のやりたかったことじゃないかーーやり方を教わって練習し、やっとできるようになった。しかしベテラン勢に敵うはずがないので横でこそこそやっていた。
ある日を境に「試薬が違うだけで手順はほぼ一緒」という理由で「遺伝子検査」も行なうことになった。
「これをこうして、今度はこっちの設定で」
テキパキと教えてくれる副主任は臨床検査技師の資格を持っている。国家資格という響きがめちゃくちゃかっこいい。帰って調べてみたが、やはり大卒で臨床系の単位を取得してから国家資格に挑むしか道がなかった。挑戦してもよかったが、一度辞めなければならないことを考えると、入ってすぐに辞めますはバカ以外の何者でもないので「辞める」ことをやめた。
PCR(検査の機械)が所狭しと並ぶ部屋に、技師免持ちと、まったくの能無しが2人並んでいる。その構図が面白くて、私はこの副主任の下だったら長く続けてもいいと感じるようになった。非正規雇用だけど。
■この仕事を選んだわけ
選んだわけは「顧客が見えない」から。
裏方というか「自分で結果が見える形だったら楽しい」と気づくのが遅かった。前職でもちゃんと「形」にはなったが、それが「売れる」かどうかは時と場合による。もしかしたら売れないかもしれない。ということは仕事に対するモチベーションにつながる。作り手としては「ぜんぶ売ってほしい」だった。
今の仕事は「売れる売れない」に関わらず「依頼されたものの結果が提供される」から、依頼があれば仕事は発生するし、結果も確実に届けられる。
新しいことを覚える機会があるのもモチベーションの維持につながる。最初は「ふむう?」と怪訝な様子で概要などをメモする。実際に手をつけて楽しいと感じたらラッキー。これが一番デカい気がする。
当初は、おそらくどうでもよかった。ちゃんと働けるところなら別にどこだって構わないやと考えていたから。
•人と接しない仕事なんてない
「人と接しない」を望んでいたけど、前職でも現職でも「そんなことは到底あり得ない」ことがわかってしまった。
そもそもの話「人と接しない仕事」なんてあるはずがなかった。食べれば終わり、使えばなくなるものを「作る」だけだとしても、生み出すまでの過程において多くの人が関わっている。形やデザイン、全体的な構想、価格、なにからなにまで「人」が関わり決まっていく。
素材はあくまでも「自然界」から少し利用させてもらうだけ。だから「ぜんぶ一からつくりました」とはとても言えない。素材からこだわる人は素材そのものを自分の手で育てたり加工したりしてそれを使うが、大抵は「すでにあるなにか」を素材にする。陶芸家は陶器を作る前段階、つまり土からこだわる人がいると聞く。そういった人たちこそ、ほんとうに「ぜんぶ一からつくりました」と言えるのかもしれない。しかし「こだわり」は作業者自身の持つものであり「素材をつくる過程」には関わらない。
検査においても必ず誰かしらに「なにか」は聞いている。検査を請け負う時点で「営業」しに行っている。この時点で「人と接しない」は無理だ。私がいる検査センターだって毎日電話は鳴るし、作業の効率化を考える声や進行具合のアナウンスがある。始業前には「おはようございます」終業後は「おつかれさまでした」がある。
•この仕事は「自分に合っていた」
「人と接しない仕事」を探していたはずなのに「ノロウイルス検査」に「遺伝子検査」までやった未経験の知識なし野郎(私)は、培養後の判定作業も教えてもらえることになった。もうその道で行こうぜ、くらいの勢いだ。といっても知識なし野郎に変わりはないから、今でも覚えることはある。
私の場合、興味がある仕事として入ったわけではないけど、実際にやってみたら関心は強くなったし「知らんところで支えている感」があるしで、徐々にやりがいも出た。
非正規雇用で採用されて、知らないうちに馴染んでいって、知らないうちにいろんなことができて。
このままだと、一生「正規の社員」になれないような気がするけど、私が納得できる仕事で食っていきたいから、ひとまず「よし」にしておく。
検査自体は人と接することはない。接しないだけでやっぱり「人と関わっている」。医師のように患者を前にして「これはこうですね」などと直接伝える仕事ではないから精神的に余裕はあるけども、その医師に伝えてもらう「内容」を取り扱っている。これは例えとして書いているが、たぶんこんな感じ。
ここに来てもう7年なる。会社自体に苦痛はない。ということは「今の仕事は自分に合っている」ということなのだろう。自分に合っていたから続けられている。これだけでも十分すぎる。
作家になる夢を追いながら、今後もここで働くつもりでいる。たぶん、正規雇用でも非正規雇用でも関係ないのかもしれない。
もしかしたら「この会社だから続けられている」のかもしれない。通信制大学への入学も特にお咎めはなかったし、応援してくれる人がいるのも支えなのだろう。
現在は社会人学生として「働きながら学んでいる」けど、現職に活かせるかといったら活かすことはできないかもしれない。理由は分野が違いすぎるから。それでも背中を押してくれる人がいるから途中でやめるわけにはいかない。
私は臨床検査技師の資格は持っていない。持っていないし知識もほとんどないままでここまで来てしまった。
でも「やってみたら意外とできた」「興味なかったけど楽しいかも」で続けてしまう人も多いんじゃないかなと思うようになってきたから、正規職員でも非正規雇用でも「やりがい」を感じたなら、それは「続けられる仕事」なんだと思う。
大学の科目習得試験の期間なので早々に仕上げたかったのに、下書きに突っ込んだままでした。
今日もスクーリング授業、頑張るぞー。