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彼女的な正しさ

 瑞貴(みずき)は犬を飼っている。名前はマロン。今年で3歳になるオスのパグだ。医大の看護学部に進学するため上京してきた彼女にとって、この犬は疲れた心を癒してくれるかけがえのない存在らしい。もっとも、このアパートはペット禁止だから大家にとってはいい迷惑だろうが。 

「へえ、よく見るとそいつ、案外かわいい顔してるかもな。なんつーか、ブサかわいいというか」 

 ケージの中の犬を見ながら俺がそう言うと、瑞貴はくりくりした目を見開き、声を上げた。

「は? マロンのどこがブサイクなの!」 

 ケージから取り出した犬を胸に抱き、彼女は俺をにらんでいる。豊満な乳房を枕にして心地よさそうに目を細める犬。こいつは放っておくと部屋中の物を破壊してしまうため、ふだんはケージに入れられているのだ。 

「いや、だからかわいいって」 

「ブサは余計でしょ。ねえ、マロちゃん」 

 犬が彼女の唇をべろべろ舐めている。まったく。俺とそいつとどっちが大事なんだ、などと陳腐なセリフを言うつもりはないが、後で犬と間接キスをするハメになるのかと思うと気分が悪い。 

「おい、もうちょっと犬から顔離せよ」 

 彼女は俺に振り向き、にやりと笑った。 

「なに、もしかして妬いてんの?」 

「そんなんじゃなくてさ、犬とキスするなんて不衛生だろ」 

「犬じゃないよ。マロンは家族だから」 

「いや一点の曇りもなく犬じゃん」 

「違う! うちの大事な息子だもん!」 

 瑞貴は俺が犬を犬と呼ぶと怒る。犬は「家族」で「息子」だから犬ではない、らしい。まったく理解できないが、彼女にとってはそれが事実なのだ。 

 いわゆる「政治的な正しさ」に関しても、彼女は非常にこだわりが強い。たとえば、いつだったか俺が何かの拍子に「外人」と言ったら即座に「外国人」と言い直されたし、ナースのことをうっかり「看護婦」とでも言おうものなら、恐ろしい形相で「看護師だから!」と訂正されてしまう。さらには、テレビの報道番組で動物が「死んだ」というニュースが流れると、そのたびに彼女は「亡くなった」という表現が使われないのはおかしい、と憤るのだ。 

 そういえば、俺たちが知り合ったのは共通の友人が企画した合コンの場だったのだが、ふたりの馴れ初めに言及する際に合コンという単語を使うと、彼女はいつも嫌な顔をする。いわく、俺たちが知り合ったきっかけは「飲み会」であって合コンではない、と。どうやら彼女の頭の中では、言葉を変えれば物事の本質まで変えることができる、らしい。 

 ディープなキスに満足したのか、瑞貴は犬をケージに戻した。俺は失笑し、つい皮肉を言ってしまった。 

「家族をオリの中に入れるなんて、ひどくない?」 

 彼女は俺をにらみ、言い返した。 

「オリじゃない! これはマロンのおうちなの!」

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