「羊は安らかに草をハム太郎」のリハーサルに潜入してきた[Report]
2月8日のこのツイートがタイムラインを駆け巡っていたとき、運悪くわたしは仕事で大きめの校了を控えていて、Twitterにほとんど触ることができていなかった。やっと気づいた時にはすでにものすごい量の反応が集まっていた。
よくよく見ると、吹奏楽界隈にはとてもよく知られた伊藤康英氏が、すでに曲を書きはじめているというツイートもあった。
伊藤康英先生といえば、吹奏楽のための交響詩《ぐるりよざ》や、吹奏楽コンクールの課題曲として書かれた管楽器のためのソナタなどにはじまり、膨大な数の吹奏楽、室内楽、ピアノ曲、合唱、声楽などの曲を書いている方。
サクソフォン関係の皆様には、須川展也氏の委嘱による作品でもおなじみだろう。
以前ちょっとした調べものをした時、作品リストを見ながら「この作品数、伊藤先生ってきっとめちゃくちゃ筆が早いんだろうなあ…」などと思っていたのだが、空想がにわかに確信を帯びてきた。
そうこうしているうちになんと曲が完成してしまったというではないか。とっとこ早すぎる。なんせこの時点でまだ1日しかたっていない。
初演はいつですかというコメントがいくつも付いているのを見つつ、これは聴けたらいいなあと思っていたら、なんとひょんなことからリハーサルを見学させてもらえることになった。これまで古楽方面にはとんと縁のない人生を送ってきていたが、こんなに面白いものを見逃すわけにはいかぬと、仕事終わりに都内某所へ駆けつけた。
住宅街の中にある、小さな教会のような白いホール。中に通されるとまず、置かれていた楽器に目をひかれた。チェンバロともまた違うような鍵盤楽器(のちにポジティフオルガンだと判明)には、ステンドガラスのような細工が施されていた。
無造作に椅子にたてかけられた弦楽器は一見チェロのような大きさだが、すこし小さく、エンドピンがない。こんなに間近でヴィオラ・ダ・ガンバを見たことがなかったので、やや緊張する。弦巻きがグリフォン?のような生き物の頭部を模していることや、趣のあるガット弦の様子など、興味深く眺めさせてもらった。
そうこうしているうちにリハーサルが開始。まずは原曲であるJ.S.バッハの「羊は安らかに草を食み Schafe Können sicher weiden」BWV208が演奏された。
演奏者:
鏑木綾(ソプラノ)
大塚照道、柴田俊幸(リコーダー)
山下瞬(チェロ)
加藤友来(オルガン)
のどかなリコーダーの音色、つつましやかな通奏低音の魅力、表情豊かなヴィオラ・ダ・ガンバの低音、そして伸びやかなソプラノの歌声。ハム太郎を聞きにきたことをうっかり忘れそうになる。オーケストラ版しか聴いたことが無かったのだが、このくらいの人数の室内楽編成で聴くと、作品の持つあたたかい眼差しがいっそう際立つようだった。外界の喧騒を忘れ、いっとき安らかな心持ちになれた。
さて、羊の次はいよいよハムスターの登場である。
前奏は原曲と変わらないようだ……ソプラノが入ってきたが、同じドイツ語の歌詞だし……ん? BWV208の時と同じように歌い続ける鏑木さんの口から、原曲にはないシンコペーションが聞こえてきた。
こ、これは「とっとこ」だ……ついにやってきた…ハム太郎が…!
「羊は安らかに草を食み」は、シンプルなA-B-A形式で構成されるが、B部分に差し掛かると明らかに「だーいすきなのはー♪」のフレーズが聴こえてきたりする。しかも原曲のゼクエンツに沿ってだんだん降下していく。どこまで行こうというのだハム太郎。地底深くひまわりの種を探しにいくのか。きみはオルフェオか。このあたりで肩の震えがだんだん止められなくなってくる。
ゲネラルパウゼを挟んでA部分が回帰。先程は遠慮がちに顔をのぞかせる程度だったハムスターが、いよいよ本格的に姿を表し始めた。鏑木さんのお声も冒頭にくらべ、より元気いっぱいな感じで響いてくる。最後の最後だけ日本語で「とっとこー、はしるよハム太郎ーーー」と「オチ」をつけて終了となった。
当日は作曲家ご本人も会場にいらして、いろいろなお話しを……めちゃくちゃ忙しいタイミングだったのに、書き始めたらなぜか書けてしまった、だとか、もともとパロディ曲をつくるのがとても好きだが、あからさまなやつではなく、気づいたひとが「おっ」と思うようなパロディを仕込むのが好きなのだとか、たくさんお伺いすることができた。すべてをドイツ語で(原曲の歌詞で)歌うこともできるし、日本語の歌詞で歌うこともできるようになっているんだとか。伊藤先生の気配りがすごい。
初演の準備は「これから」とのことだったが、ぜひその際には今回のように原曲との聴き比べができるようにしてもらいたいと願う。可能ならば「とっとこ」の方も並べてほしいが、いやそれは「バッハム太郎」のあとのほうが良いかもしれない。
専攻楽器の新しさの問題で、古楽にはほとんど触れてこなかったのだが、フラウト・トラヴェルソやリコーダーの曲をもっと聴いてみたくなった。実は伊藤先生も今回が古楽奏者との共演は初めてだったのこと。ジャンル同士をかるがると飛び越え橋を架ける柴田さんのユニークな動向に、今後も目が離せない。
<<<番宣>>>
今回のリハーサルはいずれも若く才能豊かな古楽器奏者の皆さんの協力のもと行われました。出演情報を預かったので以下もぜひチェックください。
◆柴田俊幸さん(フルート ※演奏ではリコーダー)
柴田さんが芸術監督をつとめている「たかまつ国際古楽祭」はこちら
◆鏑木綾さん(ソプラノ)
◆大塚照道さん(リコーダー)
◆山下瞬さん(チェロ)