#105 霜鬢明朝又一年
今夜は、筆者の誕生日前夜である。明日には49歳になる。思えば遠くに来たものだ。最近、唐代の詩人高適の漢詩「除夜作」を知った。最後の一節に「霜鬢明朝又一年」とあり、「白髪の齢(よわい)、明朝また一つ年をとる」と読み下されている。「除夜作」の通り、これは大晦日の夜に詠まれた詩であるが、かつては年齢とは数え年であったから、年が明けると一つ年をとったのである。かかる漢詩に対する感慨は、筆者の年齢にならねば分からないであろう。
これまでも、人生の節目節目で漢詩に心動かされてきた。NHK「漢詩紀行」も大好きだったが、二十歳前後の頃は、杜甫の「望岳」の一節、「かならずまさに絶頂を凌ぎて、一覧すべし衆山の小なるを」を標榜し、史学の道を志したものである。27歳の折、KK先輩が亡くなった際は、韓愈の「同冠峡」の一節、「潺湲として泪久しく迸り、詰曲して想いますますめぐる、行けやしばらく然(しか)すること無けむ、棺を覆いて事すなわち了(や)む」を暗唱した。30歳で一度都落ちし、地元青森へ帰った際は、捲土重来を心に秘めながらも落胆著しく、李煜の「浪淘沙令」、「限りなき江山、別るる時は容易く、見(まみ)ゆ時は難し、流水落花、春は去りぬ、天上と人間(ひとのよ)と」が心に刺さった。
その後、ふたたび上京し、新宿区で働きながら結婚して、40歳が近くなると、渋江抽斎の「述志の詩」、「三十七年一瞬の如し、医を学び業を伝えて薄才伸ぶ、栄枯窮達天命に任す、安楽銭に換え貧を憂えず」に共感した。就職氷河期真っ只中の筆者は、39歳で現在の職場に就職し、人生で初めて正規職員となったが、当然収入は少なく、それでも「述志の詩」の一節を「史を学び文を著(もの)して薄才伸ぶ」と詠み替え、志を保ったものである。
さて、明日にはまた一つ年をとる。人生とは積み重ねであり、考古学もまた積み重ねの学問である。甲羅を経るのは、悪いことばかりではない。