ヒュームの哲学の話
はじめに
平日の朝、わたしは読書してから仕事にいくのが習慣になっています。
本を読むペースは週に1冊程度で、月曜から読み始めて土日に読み終わるパターンが多いです。
今日は月曜日。
なので新しい本を読み始めました。
本のタイトルは『人間知性研究』。
かったい。。。
それもそのはず。哲学書ですもんこれ。
著者はデイヴィッド・ヒューム。18世紀の哲学者です。
というわけで、今日のお題はヒュームです。
ヒューム読み始めました
上にも書いたようにヒュームの『人間知性研究』を読み始めました。
むずかしそう。。。
なお読み始めた、といってもまだ本編に入っていなくて、最初の訳者メッセージしか読んでないです。
しかしなぜ突然こんな本を読み始めたのか。
きっかけはこれです。
後述しますが、実はデイヴィッド・ヒュームという哲学者がいることや、彼が記事にもある『論理的思考』というものについてある功績を残していることを前々からうっすら知っていたんですね。
ちょっと興味がある。せっかくなので読んでみようか。
そんな軽率なつぶやきです。
そしたら。。。。。。
え?
は?
捕捉されました。
まさかまさかの出口先生にRTされ、さらにフォローされました。
もうこうなったら、読むしかないな?
というわけで『人間知性研究』、今日から読み始めました。
難しそうだしキツそう。
でもワクワクもしているんですよね。訳者メッセージを読んだだけでも鳥肌たっちゃって、なんか、すごそう(語彙力
じっくり読んでいこうと思います。
ヒュームの呪い
デイヴィッド・ヒューム。
上述のように、実は前々から知ってました。
そのことを少しお話しますね。
ヒュームの呪い、って言葉があるのです。
これは、
物事を科学的に(論理的に)とらえ記述しようとするとき、それは本当に正当であるか
という問題の考察です(以下のサイトを参考にしました)。
この言葉は科学哲学の本を読んだ時に知りました。
科学哲学とは、科学を対象とする哲学です(そのまんま)。
具体例をあげるなら、例えば科学の方法論とかを考察する感じです。
もっと落とし込むなら、その実験で知りたいことはわかるのか、そのデータから導かれる論理的結論はそれで正しいのか、みたいなことをメタな視点で考える、みたいな。
詳しくは↓の本でも読んでください。おもしろいですよ。
そのなかで出てきたのがヒュームの呪い。
内容は上述の通りで、真理を記述しようとする科学の営み、その在り方を根本的に揺るがすような問かけです。
まぁそれはそれで衝撃なのですけど、まずヒュームの呪いって言葉ですよ。
科学哲学の話なのに呪いですよ?
すっごいインパクトある。
インパクトありすぎて内容はほぼ忘れているのに言葉だけ覚えてる状態になっていました。
なんか急に中身が薄っぺらくなったけど大丈夫か?
いやいや、でもだからこそ、ヒュームを読もうと思うきっかけになったわけですよ。
この日記かいていて改めてヒュームおもしろそう、科学哲学おもしろそう、となりました。
日記書いてるとふと過去を振り返れて良いですね。振り返り大事。
みなさんもいかがです? 哲学しましょう哲学。
そろそろ疲れてきたので今日はここまで。
ではでは。