みんな初音ミクかもしれない ーピノキオピー『愛されなくても君がいる』感想ー



ピノキオピー - 愛されなくても君がいる / PinocchioP - Because You’re Here




ボーカロイドの祭典、マジカルミライ2020テーマソングが先日投稿された。

長いこと聴き続けているボカロPがテーマソング担当に選ばれたのはとてもおめでたいし嬉しいし、ほんとうに良い曲なのに、この曲が大舞台に流れて大勢で盛り上がってサイリウム振る状況じゃないのが悔しい。
いつかテーマソング来るはずと思っていたけれど、ここまでは予想できなかった。う~

初音ミクの歌として投稿されたその曲は、初音ミク視点で初音ミクを取り巻く創作文化と人との関係を歌っている。
文脈を知っているからそうだと認識できるところもあるけれど、公式も作者もそんな風に言っていたし疑わず素直にそう受け取っている。

そうでなくとも、突然街中でこの曲が掛かって、
印象的なフレーズから愛についての歌かなと思いながら聴いても、
歌詞中に登場する「初音ミク」という存在しているだろう誰かの人生にわくわくすることができる。
と思う。いや、初音ミクは人間ではないのだが……
とにかくたくさんの人に聞いてもらいたい。

『愛されなくても君がいる』のような「初音ミク視点でつくられた歌」というのは、2007年8月30日に「初音ミク」が発売された頃から数年間=ボーカロイド黎明期の頃の定番だった。


次第にネットの海でキャラ付けされ、アイドル的なキャラクターとして歌われたり、機械としての儚さを歌われたり、マスター(曲を作る人をそう呼ぶことがある)とのロマンティックな暮らしだったり、各々が自由に想像することでそれぞれの初音ミク像が次々に生まれた。


といっても当時からよくその周辺の文化をリアルタイムで享受できなかったのでネットとはワンテンポ遅れた知識で眺めていた。なにかを言える立場でもないし、そう言われればそうだったなあという感じである。



初音ミクとの最初の出会いはテレビだった。
2007年に放送開始したネット文化を紹介する番組『ザ☆ネットスター!』(NHK)のテーマソングが初音ミクだった。
当時としては不思議な出会いな気がする。
最近もたまにテレビで若者文化として取り上げられたりするけれど、
もっとコアでナードな感じだったし今もそういう面もあるし、ホームはニコニコ動画でもある気がしているので、初音ミクとの出会いがインターネットというのにヘンな憧れがある。

初めて聞いたその曲はピコピコしていた。ヒトじゃないけど歌ってるし、声高いしなんかすごいしもっと聞きたい、知りたい、と興味を持っていった。
まさに初音ミク発売直後だということは全く知る由もなく、なんだか楽しそうなことをしてる人たちがネットには沢山いるんだなあ、と眺めてわくわくしていた。

本格的にネットに触れられるようになるのはそれから少し後だった。
周りはケータイも持ってるしパソコンも使えるし、同級生たちは自分の知らない世界の話を楽しそうにしていた。
歌が最もメインの初音ミクだが、知ってはいるが聴く手段が皆無という状況で、ますます募る憧れから曲を聴かず(聴けず)ひたすらあのパッケージイラストの初音ミクの立ち絵を描くばかりだった。
創作の土俵に足を突っ込んだとはいえ、ちょっとズレた関わりかたをしていたなと思う。



逸れてしまったので戻す。

初音ミク視点の曲に限ると、曲をつくる「マスター」との1on1の関係だったり他のボカロキャラクターとの物語だったり、

確立されたキャラクターとして歌わせたものが主流のようだった。


2009年から活動をしているピノキオP表記時代からこれまで、ボカロ界隈を歌うことはしばしばあった。明確にそう、とは言い切らないまでもいろんなものに擬態させたりして。 けれど偶像・キャラクター化した初音ミクを直接語り手に持ってくるものがほとんどなかったように思う。常に歌詞のベースにある、人間の人間らしいところを歌うのに必要なかったのかもしれない。


しかし、あえてやらなかった「初音ミクというキャラクター視点の曲」を今になって踏襲した。2020年現在、発売から13年が経とうとしている。


感慨深かった。
最初に聴いたとき、ぼんやりとだが、初音ミクと創作者は表裏一体であるかのように感じた。


初音ミクの歌ではあるけれど、創作者と受け手の全てでもあるし、初音ミクを取り囲む皆もここで言う初音ミクかもしれない、と思える曲だった。
人間は人間なんだけど


自らを"初音ミクでいられるの"と定義づける初音ミク本体は、限定された狭い世界の初音ミクを含む、ほんとうに広い意味の初音ミクかもしれない。



どこからどこまでの初音ミクを歌っている……?君も?私は初音ミクか?
ハツネミクデス
(ピノさんの生放送へのコメントで思い出したが、マジカルミライ企画展ステージで、ほんとうにたまたま、その場の勢いでピノさんが「みなさん初音ミクですか」的なことを言って煽ったので、客全員なぜか返事をする、という一幕があって面白かった。あの時はなにを言いだすのかと思っていた。)


とはいえ、


聴く側も各々初音ミクを定義しているはずなので、つくりあげるという意味ではみんな初音ミクかもしれない。……MV作中にも隠れキャラとして隅に映る今村ミク(ツインテール今村さんの4コマ漫画に登場する、理不尽な目にあうミク)は「私が初音ミク」の最たるものだと思っている。



初音ミクと作り手と受け手の3者の視点が交差しているようだった。そう読み取れるところがやさしくてなんというか居心地がよい。
ムーブメントの隅にいる人間でも、渦中にいるだけでその物事の意味や概念を持たせているという意味でそうかもしれない。


何度も噛みしめながら聴いてるけれど、聴くほうもつくるほうも、初音ミクも、相互に関わりあう存在であることをやさしく強調していて、
根っこは創作の場にあったのだということを再認識することができる。
枝や葉が無数にある。


歌のなかのこの世界では、どうやら自分は大丈夫だという気持ちにさせてくれる。


タイトルや歌詞に印象的に登場する「愛されなくてもいいよ」、というのは閉じこもるための言葉ではなくて、希望とか信頼とかそういう類いの前向きな言葉だ。


過去の積み重ねから生まれた居場所があるから大丈夫という自信もあるような気がする。あえて断絶して世界を閉じるストイックさから生まれるものも面白いと思うけれど、今までもちゃんと肯定して希望を持つのも素晴らしいことなわけで。


ピノさんのこういう言葉の遣いかたが好きで、もう何十回も言われてると思うけれども、後ろ向きな気持ちを持ったままポジティブに消化/昇華する仕組みにいつも助けられてきた。




状況は変化しボカロ文化もだんだん落ち着いてきたところで、ボーカロイドとはなにか、初音ミクとは、と立ち止まって一度考えてみようというタイミングが生まれたように思う。

何事も流動的なので去る人も出てくるし、一方で残り続ける人もいて、あの時期これからどうなるのだろうとふわふわ考えていたけれど、結局あんまりよくわからなかった。


ただ、ものすごい熱量でボカロ文化について考えている人がいたり大きいイベントが続いていたり、好きなアーティストがいまだに初音ミクの曲を出していることがなんだか安心する。
ありがたい。でも実際は、美味いところだけ齧っているような罪悪感もあるしなんとも言えない。


でもこの曲で自分が救われた気がした。安心して、対等に、自分のサイズ感で「これからもたぶんよろしく」と言えるようなあたたかみがあった。


よかったら聴いてみてください。





いろいろどうにかなってマジカルミライの大ステージで聴けるといいな~




【参考リンク】

・ピノキオピー PINOCCHIOP OFFICIAL CHANNEL  曲が聴けます。

・初音ミク「マジカルミライ2020」  行きたい。

・異例の売れ行き「初音ミク」 「ニコ動」で広がる音楽作りのすそ野 - ITmedia NEWS  2007年09月12日。 初期の初期の記事。


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