ココナラで前世を見てもらったら、某航空事故で亡くなった人かもしれないと言われた話ー本章(前)
はじめに
序章では、なぜ過去世鑑定を受けようと思ったのかなどを書いています。
この記事から読んでいただいても構いませんが、よろしければ合わせてご覧ください。
この記事を書こうと思ったきっかけは、周りの人には決して話せず、でも自分の中では整理がつかずにいるので、まとめたいと思ったからです。
反応をいただけることはうれしいですが、誰かを傷つける意図もありませんし、自分が傷つくことも怖いです。
もし私に配慮の足りない点がありましたらご遠慮なくご指摘いただければと思いますが、きついお言葉を浴びせることはどうかお控えいただけますよう、お願い申し上げます。
また、転載、引用は一切お断りいたします。
私
1990年前後生まれの女性。アクティブで無鉄砲な一面を持ちつつも、基本的には慎重で怖がりな性格だと思います。
無宗教で、極度にスピリチュアルを信仰することも否定することもありません。霊感はほぼ無し。
二度目の鑑定
初回の鑑定で、過去世鑑定って楽しい!と感じた私は、クーポンが付与されたこともあり今度は別の方に鑑定を依頼し、ワクワクしながら結果を待ちました。
その、能天気な心持ちが良くありませんでした。
数日後、届いた結果を見て、身体がガクガク震え、吐き気を催すこととなるのです。
予想だにしなかった結果
今度はどんな国だろう、今気になっている地域の話は出てくるかな、と楽しみに待っていたところに届いたメッセージからは、文字だけだというのに重々しい空気を感じました。
読み進めると、なんと、大型旅客機の墜落事故で亡くなった小さな子どもだと言うのです。
まるで、大きなバールで殴られたかのような衝撃でした。
前回別の方に見ていただいた過去世は天寿を全うしていたこともあり、きっと他の人生でもそうだろうと強く思い込んでいましたし、
サービス名が“素晴らしい”過去世教えますだったため、まさか、数多くあるとされている過去世の中から痛ましい結果を伝えられるとも思っていませんでした。
人気が高く、多くの方を見てきた鑑定士さんからの「このような過去世は初めて見た」という言葉が、やけに重く感じました。
否定と受容のせめぎあい
自己紹介へ書いたように、私はスピリチュアルを妄信も全否定もしていません。
過去世鑑定を受ける際、冷やかしの気持ちは一切ありませんでしたが、かと言ってさほど重みもありませんでした。
値段が同じくらいということもあり、有名な観光地にある手相占いのようなエンターテインメントの一つくらいの感覚でした。
そのため、結果を信じるも信じないも自分次第でコントロールできるとも思っていました。
しかし、実際に悲劇的な鑑定結果が届くと、頭痛と吐き気がするほどとても大きなショックを受けました。
そして、自分の心を落ち着かせようと思ったのでしょう。私は無意識のうちに否定を始めていました。
これまで飛行機には多く乗ってきた、大丈夫かなと少し不安になるような途上国の航空会社にも命を預けてきたし、長距離フライトも経験してきた。飛行機に抵抗感はない、と。
一方で、少しの揺れでも目が覚めてしまう、シートベルト着用サインの音がすごく苦手、機内アナウンスが始まってから内容がわかるまで心臓がバクバクしてしまう、飛行機に乗っている時間は緊張状態が続いているなど、性格によるところというだけかもしれないにも関わらず、どこかで結果に納得している自分もいました。
また、起きた事実は、過去世で飛行機事故で亡くなったと言われたことだけで、だからといって今の人生で同じことが起きるわけでもないのに、何がそんなにショックなんだろう?と自分に問いかけてもみました。
でもわからず、ただただすごく悲しい、聞きたくなかったということしか自認できませんでした。
時間の経過を待っていても忘れることはできず、欝々とした気持ちを晴れなかったため、このままでは解決しない、肯定、否定どちらでもいいので自分のスタンスや向き合い方の方向性を決めた方がいいのではないかと思うようになりました。
そして、そのための判断材料を求め、事故のことを調べ始めるのです。
情報収集
まずは、今ある情報の整理をしようと思い、初回と2回目の鑑定結果を比べてみました。
序章にも書きましたが、前世というのは一つ前の人生のこと、過去世というのはこれまでの人生のことで複数あってもおかしくないそうです。そのため、2つの鑑定結果は全く異なるものでしたが、だからと言ってどちらかが間違っているというわけではありませんでした。
2つの結果の年代は、
初回の鑑定では、おおよそ1900年頃に亡くなっていると言われました。
一方飛行機事故は、旅客機や空港が存在していることから、1900年よりかなりあとであることが推測できます。
なお、2回目の鑑定時に私が伝えたのは名前、出生地、居住地の三点のみで、初回の鑑定については受けたことすらも伝えていません。
ここで、気になっていたことを鑑定士さんに質問してみることにしました。というのも、なぜか昔から気になっていた航空事故があったので、それかどうかを聞いてみたかったのです。
返ってきた答えは、「もしかしたらそうかもしれない」というものでした。加えて「調べてみたら、誰だかがわかるかもしれませんね」と。
本当に、誰だったかまで分かるのだろうか?
詳しく知れば、この結果を受け入れるべきか、やっぱり違うと思えるのかが見える。そんな思いを持ちながら、さらに調べを進めていきました。
事故に迫る
ここからは、ご遺族の方がご不快な想いをされることのないよう、特定に繋がる恐れのある内容は伏せ、ぼやかした書き方となります。
鑑定結果には、搭乗前の空港に日本人もしくはそれに近いアジア系の人がたくさんいたということ、当時の性別、おおよその年齢、服装、同伴者の特徴、どんな気持ちで飛行機に乗り込んだか、フライト中の様子が書かれていました。
中でも服装の情報は、季節と年代を絞り込むのに役立ちました。ここにフライト中の様子や自分が生まれた年なども加味すると、私が最初に思い浮かべたものを含む、1980年代に起きた二つの事故が候補の一つとして残りました。
ここまで調べたところで、私は大きな悲しみの原因となっている理由に気づくことができました。
私は、祖父母が遠方に住んでいることや家族旅行に行く習慣があったことから、子供のころから年に四度(二往復)以上は飛行機に乗っていました。
幼いころから飛行機が身近だったこともあり、候補の一つとして残った事故は生まれる前のことでしたが知っており、読書が好きでない私にしては珍しく、中学生のときにその事故についての本を父から借りて読んだこともあります。
その本で、被害者の方が揺れる機内で家族への言葉を紙に書き残していたこと知り、以来、飛行機に乗る際は取り出しやすいところにメモとペン、身元の確認できるものを入れておくようになりました。
起きてほしくなかった、起こってはいけないことだったと心から思い、影響も受けた飛行機事故。もう一つの候補となった事故のことは知りませんでしたが、痛ましい出来事であるのは間違いありません。
起きてほしくなかったと強く思う一方で、今の自分として生まれたことはとても幸せだと感じる。もし事故が起きなければ今の自分ではないかもしれないということが、すごく苦しいと感じました。
やはり、否定できるようになった方が、自分の心が楽になる。そう思いながら、候補となった事故の被害者名簿を見てみることにしました。
次回完結します。
続く
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