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フィクションから学ぶ〜俺に指図するんじゃねえ〜

と人様にお叱りを受けた後に僕はとても言えそうにない。

これは僕が好きな漫画のひとつである『テニスの王子様』の登場人物の亜久津仁(15)のセリフである。
繰り返そう、15歳のセリフである。気のせいでなければ初登場時はタバコを吹かしていた。…15歳である。誕生日を迎えていない高校1年生ではなく、中学3年生だ。高校1年生でもタバコはダメだ。

ちなみにその後ブン殴るまでがワンセットだ。暴力もダメ。
でもそんな亜久津というイかれたキャラが僕は大好きだ。

誰にも従わない天上天下唯我独尊。
自分を信じ、突き進むその姿は僕が持ち得ないものだからだ。

自分に怯えることなく堂々と立ち向かう越前リョーマ(主人公)の姿に「最高じゃねーの!」と歓喜する姿はオタク的には垂涎ものだ。

これ以上オタクトークをするのもアレなので、本題に入るとする。

流石に亜久津ほどになると行き過ぎだけど、他人の言うことに振り回されないことは僕にとって大事なこと。
僕は人が言ったことを時にその意味以上に受け止めてしまって、落ち込む。

「こんなことを言われるなんて僕はダメな奴だ」みたいな自責思考に陥る。我ながら面倒というか難儀な性格だ。

あと僕は顔つきも中身もモブキャラっぽい。
パワプロくんで言うザコプロくんみたいな感じだ。田中山太郎でもそんなに遠くない。(いや、可愛すぎるか?)

よく言えば親しみやすく、悪く言えば舐められやすい。

だから道もよく聞かれるし、知り合いには弄られることもそれなりにある。

でもこの“弄り“というのがなかなか厄介。
弄る側は場を盛り上げようと、面白いと思ってやっているのだが、それを受け取る弄られ側がどう受け止めるかについて考えていないケースがそれなりにある。

こっちの反応が向こうが思っていたのと違ったりすると「いじけんなよ」とか「愛じゃん」とこちらが非難される。

そう言われると僕は「あれ、自分がおかしいのか?」となり、また自責思考に陥る。

今考えるとこちらの気持ちなどを考えずに勝手なことを言う無責任な人間にこんな思いをさせられるなんておかしな話だ。

仮に亜久津だったらフルボッコ待ったなしだ。
暴力はダメだが、自分の納得のいかないことにはとことん抗う。
それは人にはエゴと言われるかもしれない。だけどそこで譲ったらその人はその人でいられなくなるのだろう。

そういう譲れない拘りみたいなものは僕にあるだろうか。

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