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明日も君が幸せでいてくれますように

祈ってばかりの人生だった私も、最近は祈ることも少なくなった。

私の人生はいつも、止まらないジェットコースターに乗り続けているみたいに上がったり下がったりを繰り返していて、それは私がいけないんじゃないか?なんて思っていたけど、生まれついた星が悪かっただけだった。

20のころに好きだった人が結婚したと聞かされて、とても嬉しかった。彼のためになんでも差し出した。思い出す全ての出来事が彼中心に回っていた。みんな私が彼のことをとても好きだということを勿論知っていた。ジェットコースターで言えば、いっちばん高いところに登っていた時だった。この世の全てが輝いて見えたし、これからもずっとこの輝きは色褪せないと思っていた。私はそんなふうに生きてきたのだ。

昔の彼は、私があげた猫ちゃんの刺繍を未だに大切に飾っているらしいと人づてに聞いた。刺繍はとても得意だし好きなのだけど、あの刺繍は泣きながら作った。うまく刺せなくて、指から出る血を染みつかせないようにするのに精一杯だった。

あの頃の私を大切にできなかったのは君なのに、私があげたものを今も大切にしているなんて、なんておこがましいんだと思う。捨ててくれればいいのに。私は昔の恋人にトラウマを植え付けるのが得意に違いないと思った。良いも悪いも印象的なんだろう。

ジェットコースターは上がれば上がるほど、その分落ちる振り幅も大きい。

悲しみを感じやすい性格は相変わらずで、別れが辛くて泣いてしまう。一緒にいて楽しければ楽しいほど、最近は辛い想いばかり感じてしまう。どうせこのジェットコースターは落下するのだと思うと、初めから上がらなければいいのにと思う。

春は苦手で、いつものパニック障害を起こしやすい時期なのだけど、数年ぶりに調子が悪くなってしまった。病院に行っても治らなかった病気の一つで、私はパニックなんてならない人のふりをする。アニメや漫画、映画やドラマを今は一切見ることができない。怖いものは論外だし、1人でいるのもつらい。夜が怖くて眠れない。でもパニックは来る。生きにくいことこの上ない。生きづらさを感じたことのない人に私の気持ちはわかってもらえない。でも私以外でこんな気持ちを抱えている人を知らない。自分の心の弱さに、たまに打ちひしがれそうになる。私を救うのは死ぬことだけだし、でもまだ死ねない。

最後に調子が悪かったのはフィリピンに行く前の2019年の4月で、あの頃も挙動がおかしかった。でも、その頃はブラック企業で働いていて脳みそがパンクしていたからだし、最近私の挙動がおかしい理由はよくわからない。

でも普通に考えて、海外で被災してTwitterで炎上して、テレビのニュースに出て疲弊しない人間なんていないと思うのだけど、それに関して言うと私は全く動揺せず、ただ自分の悪運を呪うと共に「いつもの事だな」と納得しただけだった。それらは私にとっては割と「たまにある不快な事」でしかないし、初めての経験じゃない。

いつからこんなに自分の人生が狂ってきたのだろう?と悔しい気持ちになるし、「経験」とは誰にも奪えない私だけのものなのだから、なるべくたくさんのものを掴み取るんだ、なんて思って本当にたくさんの経験をしたけれど、「経験」とは「選択」を鈍らせる枷でしかないのだよ。何もいいことがない。知識や経験なんて、ただ人生からたくさんの新鮮さを奪うだけだよ。残るものはすべからく退屈な感情だ。

だから、やっぱり私は祈ることにした。
もう私のことなんてどうでもよくて、ただ私の周りにいる人が、愛しい人が、家族が、幸せでありますようにと。
悪運は全部私の元にくればいいよ。全部受け止めてあげよう。
パニックも、鬱も、メンタルヘルスも、PMSも、全部私に課せられた業なんだと納得するしかない。
でもたまに、どうしようもなく泣きたくてしょうがなくなる。いろんな不遇を受け入れていてもね、心は子供の頃から何も成長していない。あの頃の私を救えるのは、あの頃の私だけなんだから。

それは今も同じで、今の私を救えるのは、彼氏でも友達でも、チョコレートでも太陽でもなくて、今の私だけなのだから。
心は心細くても。

しっかりしないとね🥲

私ぴんくは、末永く旅行記を書き続けるために、サポートをしてくださる方を募集しております。サポートを頂いた方には、何か形のあるお返しができたらと思っていますので、何卒宜しくお願い致します。