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星野源のギャップに惹かれる理由

僕は、大学の時の星野源の良さを
上手く表現できなかったが
何か人として好きだった。

だけど、何故か社会人になって
距離をとっていた。

おそらく僕が社会人になった時に
恋ダンスなどが流行って
ミーハーと思われるのが
嫌だったんだと思う。

だけど、今回写真集を作ることになって
改めてどんな作品を作りたいのか
と言うのを考えた時に
僕が好きな奥山由之さんと林響太郎さんを
参考にしたいと思って、作品を見ていると
林響太郎さんと星野源さんのPVがあった。

「Ain’t Nobody Know」という作品だ。

見つめるほどに、
見えなくなるものがあり、
聴けば聴くほど、
奥に沈んでいく感覚に陥る。

映像、音楽、パフォーマンス。
すべてが絡み合い、無意識のうちに心を揺らす。

距離を保ちながらも、どこか深い場所に引き込まれる。

星野源という存在には、
いつもどこか不思議な距離感がある。

ラジオやテレビでは親しみやすく、
誰にでもフラットに接する一方で、
作品の中ではクールでミステリアスな空気を纏っている。

そのギャップが魅力であり、
どちらも彼自身なのだと思う。

彼の言葉や音楽、映像には、
まるで触れられそうで触れられないような、
絶妙な距離感が漂っている。
それが心地よくて、つい惹き込まれてしまう。

作品の中の星野源には、独特の「距離の妙」がある。

たとえば、「逃げるは恥だが役に立つ」の津崎平匡。
あの不器用で誠実なキャラクターは、
どこか観る者の心をくすぐる。

どの作品も、決してぐいぐいと迫ってくるわけではない。

一歩引いて、けれども確かにそばにいる。そんな距離感を持っている。

彼の言葉は、優しさだけではないように感じる。
時に刃物のように鋭く、
時に包み込むように柔らかい。

「刃物としての言葉」という表現がしっくりくる。

歌詞の一節、ラジオでの発言、エッセイの一文。
彼の言葉は、ただの言葉ではなく、
感情を織り込んだ「道具」のようなものだ。

人の心を切り裂き、深く刺さることもあれば、
飾り包丁のように言葉を生かすために
その刃物を使うこともある。

星野源の作品は、
かなり解釈の余白が残されている気がする。

時間が経てば、表現もどんどん変わっていき
考え方の変化も感じ取れる。

是非時系列を追って
作品を観てみることをお勧めします!

ほなまた。


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うらやん / yoridokoro
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