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RGM-79[G] 陸戦型ジム
一年戦争を彩るやられ役量産機としてMS-06 ザクⅡ系の4,000機に次ぐ3,800機が生産された連邦軍の主力機、RGM-79 ジム系。驚くべきは、型式の79が示す通り(連邦軍の型式の数字は設計年を示すらしい)開戦後になってから設計を始めたにも関わらず僅か数ヶ月の短期間で量産を実現し、ソロモンやア・バオア・クーでの物量作戦を可能たらしめたことでしょう。
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連邦軍がMS開発に本腰を入れる直接の契機は1月15日のルウム戦役の惨敗で、そこから1か月足らずの2月13日にはV作戦を発動しています。その5か月後の7月には極東方面軍に第1機械化混成大隊(コジマ大隊)が編成され、先行量産機であるRX-79[G] 陸戦型ガンダムとRGM-79[G] 陸戦型ジムが配備されました。これが連邦軍における最も初期のMSによる実戦部隊と思われます。
もともと連邦軍のMS開発では、戦前からRX計画という先行研究が行われていて、0075年にRX-75 ガンタンク、0077年にRX-77 ガンキャノン、開戦前年の0078年にRX-78 ガンダムなどの設計が完成していました。しかしアースノイドの集団である連邦軍は当初MSに関してほぼなにも理解できておらず、ガンタンクがどうみても戦闘車輌でしかないように、核融合炉で動く戦車くらいに考えていた節があります。ガンキャノンもまだMSというより二足歩行戦車の感が否めず、テム・レイ技術大尉の設計になるガンダムに至ってようやくMSと呼び得る成果を得ました。
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ようは「ジオンがなにかやってるらしいからウチらも一応やっとくか」といった官僚的動機で予算がついていたくらいの微温的な状況で開戦を迎えていたわけですね。しかし艦艇数で3倍の戦力差がありながら公国軍のMSによって壊滅的な損耗を蒙ったルウム戦役の惨敗によって衝撃を受けた連邦軍首脳は、ほぼ蓄積がない状態から急転直下のMS大規模投入を決定しました。特にルウム戦役における艦隊総司令で、自身も捕虜となる屈辱を味わったレビル将軍がMS派の強力な推進者となっています。
とはいえ、当時持っていたアセットは先行研究のRX計画だけだったので、これをV作戦に統合して試作MSとその運用母艦となるペガサス級強襲揚陸艦2番艦ホワイト・ベースとともにサイド7で試験運用を行い、そのデータをジャブローに持ち帰ってフィードバックすることで短期間にMSの量産と実用化を実現するという、相当に泥縄な計画を立案したわけです。
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しかし、サイド7に運ばれた試作MSのRX-78-1 プロトタイプ・ガンダムのロールアウトは7月、コジマ大隊の編成とほぼ同時です。つまりV作戦以外にも並行して進められていた計画が当時複数あり、コジマ大隊に配備された陸戦型MS群はRX計画の設計をベースにしてはいるものの、V作戦とは別系統で開発が進められたということになります。そのためこれらのMS群は先行量産型とも呼ばれています。V作戦に期待されていたのは、RXシリーズのコアブロック・システムに搭載されている教育型コンピュータによる機体運用データの収集で、このデータを量産機であるジムのOSにフィードバックすることで、パイロットの錬成時間や実戦経験の不足を補完することでした。しかしMS投入によって公国軍と互角以上の戦力を構築するためには、それ以前にクリアしなければいけない課題がなお山積していました。
一口にMSを投入すると言っても、兵器さえ製造すれば戦争ができるというような簡単な話ではなく、そもそもどのような戦闘ディシプリンで運用するのか、既存の兵科と連合するのか、MSだけで部隊編成するのかといった戦術運用の面でも公国軍が数年先行していました。そのため連邦軍で初期にMSが配備された部隊の編成では、極東方面軍のコジマ大隊のように歩兵などとの諸兵科連合を前提とした機械科混成大隊として編成されるものもあれば、オーストラリア方面軍の特別遊撃MS小隊”ホワイト・ディンゴ”のように、MSだけで編成された小隊規模の特務部隊として運用される場合もあり、連邦軍はこの時期に本格的なMS投入に向けた試行錯誤を積み重ねていたと思われます。
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RGM-79[G] 陸戦型ジムは、その上位互換機であるRX-79[G] 陸戦型ガンダムとともに連邦軍で実戦運用された最初期のMSであり、先行量産型とも呼ばれているのは先述の通りです。型式の【G】は陸戦型=Groubd typeを示すと思われます。経緯としては、フラグシップであるRX-78 ガンダムが極めて良好な性能を示したために、その量産機としてコアブロック・システムなどをオミットした陸戦型ガンダムがまず開発されましたが生産数が少なく、それを補うためにさらに陸戦型ジムが開発されたようです。
当時、試作機であるガンダムの製造ではフラグシップゆえに部材の検査基準が非常に厳しく、充分に実用に耐えるにも関わらず基準を満たさなかったパーツが大量に発生していたという事情があり、陸戦型ガンダムはもともとこの余剰パーツを流用することで製造されていたため少数の機体にしかパーツを供給できず、不足分にジム系のパーツを補って開発されたのが陸戦型ジム、ということになります。したがって本機と陸戦型ガンダムとのあいだには部材の80%に互換性があり、本機には陸戦型ガンダムの部品ストックという側面もあったようです。ややこしいのですが、この時点でRGM-79 ジムはまだ開発中であり、ジムと名付けられているにも関わらず、本機は実際にはガンダムの下位互換(厳密には下位の下位)というべき機体だったと言えます。
陸戦型ガンダムに比べると推進系やジェネレーターがダウングレードされていて推力や出力では及びませんが、機体形状も装備もほぼ陸戦型ガンダムと同じで装甲もルナチタニウムが採用されており、全体としては標準的なジムより強力な機体となっています。頭部ユニットなど構造上のジムとの互換性は20%程度だったようです。
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本機は50機ほどが生産されて、極東方面軍コジマ大隊には4個小隊(02、03、05、07小隊。定数12機)が配備、その他の機体の多くは欧州方面軍の独立混成第44旅団に回され、オデッサ作戦にも従軍しました。残りは少数が第20機械化混成部隊”スレイブ・レイス”で運用されたようです。
恐らく連邦軍ではMSの大量投入に向けて最初からV作戦以外にも複数のプランが並行して走っていて、本機を含む陸戦型MSの先行量産機もそういった計画のひとつだったと思われます。数百機規模の大量投入には機体はともかく多数のパイロットの練度不足を補うためにV作戦の運用データ回収が必要だったはずですが、戦術運用面でも先行して実戦での試行錯誤が必要とされたということでしょう。また最終決戦はジオンの本拠である宇宙で行われるにしても、戦後も見据えて宇宙軍に主導権を渡したくない連邦地上軍としてはできるだけMS運用の実績を作っておきたかったでしょうし、そのためにV作戦の経過を待つことなく適性の高いパイロットを選抜して数十機規模の部隊を重要な戦線に投入したいという思惑もあったんじゃないでしょうか。想像です。