崩れた化粧に化粧を塗る -引き寄せの法則卒業に至るまで-

当記事は引き寄せの法則に取り組んでいる人、引き寄せの法則に疲れてしまった人、引き寄せの法則に入りたての人、そもそも引き寄せの法則を知らない人、万人を迎え入れる記事となっている。

中でも特に引き寄せに疲れた人や取り組んでいる最中の人。この記事は私が引き寄せの法則を隅々まで行き来し、引き寄せの法則から卒業するまでに至る回顧録のようなものである。「読んでやるか…」と思った方は是非立ち寄っていって頂きたい。






引き寄せの法則はジプシーとなる人が多いが私もその一人であった。3年程前に引き寄せの法則を知り、殆どの主流メソッドや体験談等を読み漁った。

毎回新鮮なメソッドがあるわけで、やはり楽しそうなメソッドを読むたびその瞬間はワクワクした気持ちになって実践した。
また、メソッドではなく視点を変える気づきを促す体験談を読んでは大きな気づきを得たと気分が高揚した。
たがしかし、それらの気持ちは全て2日ほどで最も容易く消え、何をしても満たされぬ日常にまた戻るを繰り返すばかりであった。

そんなこんなで2年程経ったときメソッド疲れや引き寄せ疲れを自覚するようになった。ちなみにその時点で私が願ったことを引き寄せたと自覚できるほどの引き寄せは一度たりとも成功していなかった。
次の新しいメソッドや気づきで今度こそ引き寄せられる、今度こそと信じてきたがその「今度こそ」が今になったことなどなかった。

今も宇宙の理として引き寄せは存在していると考えているが、私はメソッド的な引き寄せをしても引き寄せられない人間なんだと思う。
こういった発言をするとコンフォートゾーンなどの話を持ちかけられるが、私の場合は引き寄せの法則は完全なるエゴの執着の具現化でしかないためさらに身動きが取れなくなってしまう要因にもなりかねない。


一通りの引き寄せを知り、願いを自分(エゴ)の意思でコントロールすることは不可能であるとわかった。
正直なところやれ大いなるものはエゴという全体の一部でしかないちっぽけな存在の願いすら叶えられないのかと嫌味を言いたくなった。
期待を膨らませていた引き寄せの法則に心底失望したのである。


そんな中、願いを叶えるとびきりの魔法として取り組んでいた引き寄せの法則から身を引く砦となったのが「元祖1式」である。
これで全ての引き寄せの法則に対する諦めがついたのである。
もしメソッドに対する熱意がまだある時期に元祖1式を読んでいても絶対に納得しなかったと思うし、それどころかこんな冷めた考えでやってられるかと突っぱねていたと思う。
私は最後になって元祖へと辿り着き、結果0へと強制送還されたのだ。

しかし引き寄せの法則をガチな気持ちで探究してきたことは大きく人生観を変えるものであったことは間違いなく、進学の関係もあったかと思うが明らかに指数関数的な成長をすることができたと思っている。
もちろんまだまだ人生の探究は続くが引き寄せをやって良かったと思う。

「エゴ」はほぼ全てのメソッドや理論において出てくるワードではあるが、なかなか“どこまでがエゴなのか”を把握するにはエゴの存在に重きを置いて調べなければならない。でないと概念自体を置き去りにして潜在意識のミソを知らずに進めてしまうことになる。
とことんエゴエゴで引き寄せを知り尽くしても良いと思うが、その手前で知っておきたいという方は先程紹介した「元祖1式」と「フェリファブ哲学」をお勧めする。

フェリファブ哲学とはフェリックス・ファブリックさんが発信されている“生き方”に関する哲学である。主にYoutubeで動画を上げられているが、個人的にはそれと並行して書籍を買うことをお勧めしたい。
今ピンポイントでこんな悩みがあるという方はまずYoutubeを。
全体を包括した根幹の考え方を知りたいという方は書籍を。
彼女に関してはまた別の記事をアップする予定である。


私は元祖1式を知り、願いを生み出すものでさえエゴであると知った。

認識の変更といったワードもこの界隈では頻出だが、私にとっての認識の変更は「自分自身が自分にとって許せる存在になるために、エゴが自分への価値付けの条件となるものを提示することが願いである。」といったものであった。
認識の変更というともっと天啓のような感覚かと思っていたが、言葉の印象ほど大袈裟なものではないのだと実感した。

それからというものの私は今まで現状を悪化させまいと遠ざけていたネガティブを受け入れられるようになった。
説得力のある論の裏に経験などの中身の伴った根拠があるように、ネガティブを受け入れることのできた上でのポジティブはしなやかな力強さがある。ポジティブを支えているのはネガティブである。



沢山あるメソッドは本来は潜在意識の力を引き出すトリガーの役目を果たすものとして発案者が紹介してくれている。しかし、彼らの『人に合うメソッドは人それぞれ』という旨の発言にモヤっとしてしまうのは、「これをやれば必ず救われるといった魔法が欲しいからここに聞きに来ているのにそんなことを言われたらまた悲しい日々のままでいなければならないじゃないか!」という悲痛な叫びなんだと思う。

これは教えが開祖を離れた瞬間に元来のものとは程遠いものになってしまうのと同じで、現代でもメソッドをやれば救われるといった達人の本来の教えとはかけ離れたものになってしまっているものが多い。
人間の性であり、心理なのだと思うが、目的と手段を同一にしてしまうことが多発しがちになる。

私自身も意識上ではメソッドのねらいを掴もうとするが、無意識下では「これをやればどんな効果が出るだろう」と考えてしまっていた。
もうこれに関しては回避不可能なものであったため、引き寄せ疲れ、メソッド疲れが出てしまったのだと思う。


今現在引き寄せの法則に取り組んでいる人は行くところまで行っていただきたい。頭で判断せずに心に聴くことを優先してみてほしい。ちなみに私はずっと頭で考えてきたため、実は今でもどちらの道を歩こうかくらいでしか心の声が聴こえない。だがそれで良い。
時にはバカバカしいと思うようなメソッドをひとまずやってみてほしい。どうせ何にも変わらないんでしょと思いながらで全然OK。引き寄せに向かって睨みを効かせちゃってほしい(笑)
もちろん「楽しそう!面白そう!」「やってみたい」と感じたもののみで良い。

今現在引き寄せに疲れている人はむしろチャンスだと思う。諦めの準備が出来た合図ではないだろうか。
諦めは「全てお任せしますよ」という意味であり、世界をより包括的に見ることができるようになる。諦めは初め躊躇ってしまうことも多いと思うが「もういいや」と半ばヤケクソになったら諦めに移るで大丈夫。

私は小さなことを幸せに思おう系の文言はあなたはその程度だと言われているようでかつては今の何倍も腹立たしく感じていた。
今書いていて気付いたが、人によって小さいことというのは違うのに小さい幸せと言ってしまう時点でこの文言は破綻しているのでは?と思った。
資本主義的な大小、二元論の価値基準で幸せを定義してしまっているから小さな幸せと言われると望むな、贅沢言うな、清貧であれと言われているように聞こえて不快な気持ちになってしまうのだと気付いた。

『他の最善の道があるかもしれないのにエゴによって一つの願望に固執している』も以前は好きになれない文言であった。
「いや、私はこれを願望として持っているのになんで水を差したがるの?」と何度思ったことか。願いを叶えたくて引き寄せに取り組み始めたのに最善はそれじゃないかもと言われても、別に私は最善を求めて引き寄せを始めたわけじゃないのだからそれは論点が違う、と思いこんなん箸休めだろと思いスルーしていた。
今はこの文言にも納得し、むしろこちらの考えにシフトしている。諦めの項目でも話したが、その時が来たらこの考えになる選択肢を追加するのもあり、程度で大丈夫だと思う。

ここで辿ってきた流れを簡単に含めまとめると
○メソッドや体験談を読みまくる
→引き寄せに疲れる
→元祖1式と出会い、願いを放棄する
→意識上で願望を強く持ち続けるのに耐えられなくなる(どうにでもなれ)
→ネガティブの旨味を知り、受け入れられるようになった、むしろ好きになった
→フェリファブ哲学に出会う
→本当に全てがどうでも良くなる、人生本当の意味でいつ何をしてもいいと人生計画を完全に脇に置く



さて、肝心の私が引き寄せを卒業して(捨てて)どのような生活になったか、気になるところでもあると思う。
結論、私は人生の伏線を意識できるようになった。これがやりたかったのにダメだった、あれが欲しかったのにダメだった、そんな出来事があっても全て伏線であると悟ってしまっているのである。
だから「あー、伏線なんだな」と思いながら次の何かに着手し始める。

そんな感じで過ごしていたら全てがガッツリ一気に返ってくることとなった。やりたかったが諦めたこと、今まで取り組んできたが熱意を失ったこと、それら全てが遂行できる環境・条件が一気に確定したのである。

中には私が幼い頃に挫折し、そこに関わる人間すら見たくもないと涙を流した世界に当時とは形を変えて再び関われることとなる条件も含まれていた。

私は今後10年間に渡ってそれらに着手し取り組んでいく。
ああ、大どんでん返しだなと思った。


個人的にお勧めしておきたいのが「無言実行」。引き寄せでは夢や目標は口にしようとよく言われているが私は断然無言実行派。もちろん有言実行を試した時期もあった。

感想としては周りに夢や目標を言うことで周りが誰か力になる人を連れてきてくれるかも?周りが何か案件を引っ張ってきてくれるかも?と期待してしまうことが多々あり逆に疲れてしまった。これはまさにエゴによるコントロール欲。

また、上記と並行してちゃんと人を頼れるようになろうと取り組んできたが、結局どちらも本質が他人に期待することになってしまっていることに気づき私には合わないなと思った。
他人に期待しないは最強のツールだと思う。「今期待しちゃってるんじゃね?」と気付けたのならその時点から切り替えればいい。期待とはエゴそのものであると私は思う。

あと、選択を迫られた時に選択できるのはひとつじゃない。全部だ。
同時並行は無理だよなと社会の経験則で考えずともやりたければ全て第一線にしてしまって良い。
(ここで注意。私自身なりやすいのだが、「私が一番最初になる!前例になる!だから早くやらなきゃ!」というエゴが出てきやすい文言。最初からあなた自身この世界において紛れもない前例である。)




引き寄せの法則、潜在意識の一連を通して気がついたことは、これらの最終地点には人間の本来の姿があるということである。

メソッドや理論に取り組んでいくということは「崩れた化粧に化粧を塗る」ことだと分かった。我ながらまさに言い当て妙!と思った表現である(笑)
今取り組んでいるメソッドは効果がでないから次はこのメソッド!いやこの理論!といった風に私はどんどん塗り重ねてしまっていた。
2ch掲示板でお馴染みイウォーク師匠の“真っ白・0になる”がどういうことなのか、どれだけ大事なことなのかを知った。

”真っ白・0になる“とは、全てを任せること・委ねることだと私は思う。
コードギアスR2最終回で民衆と共に叫びましょう。(←わからない人も多いネタぶっ込んできてすみません)




日本は成長し豊かな現代社会へと発展したが私たちは幸せを一向に感じられない社会として生きているし、心が満たされない日々を延々と繰り返して生きる意味を見出そうと手を伸ばしている。

今こそ”人間らしさ”を取り戻す時だと私は考えている。
欲望だらけでいいし、許せないものだらけでいい。
生きているのだから望め。生きているのだから大いに落ち込め。
生きているのだから大いに勝ちを味わえ。
生きているのだから大いに負けを味わえ。
それが私のスタンスであり、モットーである。

ある意味私は資本主義の価値観にズブズブでこの社会の回転の加速に加担しているとも言える。


もしかしたら記事の着地地点に落胆した方も多いかもしれない。
引き寄せの法則はもっとキラキラしたロマンチックなイメージがあると思う。実際私がそうだと思っていた。だから色々なメソッドや理論でキラキラと化粧を塗り重ねてこの3年間生きてきた。

引き寄せの法則は自分自身の内面と向き合うツールである。私が分かったことは私の願いは全てエゴによるもので私自身の願いではなかったということ。
外を塗り固めようと始めたのに、振り返ってみたら内が磨かれていたのである。

自分の本当を知る機会を手にしたあなたは確実に人生を廻しているのだ。
ここまで辿り着いたからこそ、その化粧を落としてみてはいかがだろうか。





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長い記事を最後までお読みくださりありがとうございます。
私史上最長の記事となりました。(笑)
そして引き寄せの法則や潜在意識に関しての記事はUrauとして執筆するのはなんとなく避けてきましたが、数年の期間を経てやっと引き寄せの法則に対する私の結論が出たので記事にしたくなりました。

普段は結構辛口な社会的記事を書くのでこっち系は別名義で執筆しようかとも思っていましたが、最近の日本や世界の情勢を見ていて今の地球における激動の転換点を越えていくことに焦点を当てるようになりました。
私が出した結論と今の世界でどう生きていくかの両者が感覚的ですがリンクした気がして、もうここで書いちゃおう!と筆を取りました。

最近の執筆する記事が日本古来のものに関しての話題が多いのもその影響です。
中身がすげ替えられ、傀儡となっている日本政府ですから、やはり我々日本人の血が流れている者が日本を守っていくことを改めて意識することが急務だと感じています。

先日はトランプさんが大統領に当選しましたね。私は都市伝説やオカルト等の側から見たら怪しさ満点なものも好きで見ています。アメリカ大統領選に関してもそちら界隈で盛り上がっていましたから行く先を大変興味深く見守っていました。

彼がしっかり大統領に就任するこれからが注目ですね。最近は誰が悪意を持っている人物で誰が世界を前に進める人物なのか、メディアの情報操作もありさらにわかりにくいものになっていると感じます。善良を装っていたが実は悪意を持つ側だった、はたまた悪だと思ったが任務を遂行するための演技だった、とか。

今回の大統領選でもそれは垣間見えたかと思います。やはりまんまと騙されました。流石です。
情勢関連は疑いの目で見る姿勢が私のデフォルトですので、トランプさんに関しても世界を前に進めてくださる方だとは思いますが注意深く動向を見ていきたいと思っています。


しかし私は多くの物事においてニュートラルな考えでいたいと思っています。
私は今年に入っていつもの如く無意識下に潜り思考しておりましたら、二元論が消滅する感覚を体感することとなりました。
これは絶対皆さんも体感できるのでまた記事にする予定です。

もしどこかで片方に偏ってしまってもそれは「人間らしさ」だと思うのです。
例えば、自分が嫌いだと思った人や物事には必ず自分自身のコンプレックスやアイデンティティが核にあります。

人間“好き”だけでなく“嫌い”もちゃんと持っていて良いと思うのです。ただ自分の抱えた“嫌い”によって苦しさを感じてしまうのであれば、しっかり核に迫ろうとしてみることも大事だと思います。
核に何があるかを知ってそれでも嫌いだったら一旦対象から離れてみるのもあり、とことん嫌ってみるのもありです。どちらも大アリ。
それこそ引き寄せ的な考えに囚われず自分の好きな方を選びましょう。
もし自分ではわからない、かつ肯定を求めず本気で解決したいのであればやはり第三者の客観性を仰ぐのが有効な手段です。
意外と自分の中の真実と向き合うのは怖くないですよ。

なんだかんだであとがきもめちゃめちゃ長くなってしまいました。
やはり評論口調で書いてるとこういうところで発散したくなります。
普段が会話好きな結構キャピキャピしてる人間なのでなおさらです。(笑)

ではそろそろ締めますね。本当に長い記事を読んでくださりありがとうございます。あなたの今が少しでも善いものであるよう、ここから祈りを届けます。

また次の記事でお会いしましょう。




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