【23-11-30】本と、音楽。意識の流れ。:大阪で大阪の生活史。
●おれは娯楽として本を読んでいる。言ってみれば、AirMAXめっちゃ買ってますとか、月1回は旅行してますとか、おしいしごはんのお店いっぱい知ってますとか、ゴルフのギアにけっこう突っ込んでますもちろん月2回ラウンドしてますとか、テイラーのVIP席とるよとか、そういうのと同じで、それがたまさか本だったということにすぎない。言ってみれば、推しだ。そして、誰のどれがというわけでなく本というシステムじたいの推しだ。
●その本というシステムが不全を起こしている。といった話はもう毎日のようにフィルターバブルに流れてくる。しかし先行きは暗いんだろうか。推し活・娯楽消費者としては「よくわからない、でも頑張ってください、いつもありがとうございます」というのが正しいアティテュードだろう。実際に書店に行くと読みたい本に溢れていて、この豊かな出版状況をまずは言祝ぎたい。
●いっぽうで実際にビジネスとしてモデルチェンジが必要だというのはよくわかる。しかし、このシステムに関わる人たちも指を加えてただ見てるだけなんてことはなく、それぞれの持分の現場で日々考え活動しているはずだ。作者、編集者、版元、印刷会社、取次、そして書店、独立書店、ネット書店。公私の図書館もそうだろうし、いわゆるブックディレクター的な人も状況を少しでも良くするために動いているだろう。『世界』もリニューアルするし、『BRUTUS』は、正月あけたら1000号だ。他のコンテンツ、プラットフォーム、サービスを検討が必至だという見城徹が、それは出版文化を維持する原資確保のためだと考えているなら、これほどすばらしいことはない(そうあって欲しい)。だから、いち消費者としては残念ながら物心両面で控えめに応援するしかない。間違っても、界隈のネガティヴな話題に入れ食いのように食いついて、何をかするというわけでもなく、評論家風情で野次馬ゆえに油を注ぐだけ注ぐといったふるまいは慎むべきだろう。not your business 。
●ということなので、推し活、娯楽消費としての本の話に戻る。冒頭で、本に対比する形でいくつかの娯楽を列挙した。あえてすべて本より圧倒的にコストのかかるものを集めている。比べると本はかなり低コストだ。しかし、いつも本は高いと言われる。当たり前だ。生活必需品ではなく、かつ推しではもないものに人はベットしない。ただそれだけ。安くても買わない、高くても買う。言い換えると安くても高い、高くても安い。推しというフィルターを前にしたときのライトな認知的不協和。本は値段が高いという人に、コストパフォーマンスめっちゃ高いやんかとか言ったところでなんの意味もない。相手の「推し」を否定しちゃうと「推し活」は決裂する……ってなにが言いたいのかわかんなくなってきたのでこの話はいったんおいておいて、以下2冊ほど推し活しとくよ。もしテレビが壊れたりして、でもYouTubeも見たいものがあがってこない休日になっちゃったりしたらおれの推し活を思い出してください。
●自宅は関東だけど、わけあって今日この日記は大阪の実家で書いている。TLも喧しいので、よもやと思って立ち寄った実家の近所の書店ですら山のように積まれていた。『大阪の生活史』(岸政彦編/筑摩書房)。これ東京に持って帰るの大変だなと思いつつも抗えなかった。大阪で買うべきじゃないかという思いもあった。いくつかの聞き取りに目を通すとあたりまえだけど『東京の生活史』と違って、充満している語りは関西の言葉、大阪弁、京都弁……や。あたりまえやけどこれって語りの内容以上に大きいねん。どうゆうたらええんやろ……そばにおる人から話きいてる感じがすんねん。生活しててふつうに喋ってるような言葉。言うても『東京の生活史』は、ぜんぶは読まれへんかってんけど、こっちは、めっちゃ読めそうな=聞けそうな気がするわ。うん、あたりまえやけどこれはすごいことや。で、4,500円(+税)やけど、大阪推しには売れるんやろな。
●『今どきの若者のリアル』(山田昌弘編著/PHP新書)。ふつうはこの手の(タイトルの)本は買わない。仕事用途であれば市場調査データを買う。ただこの本は待望して買った。山田昌弘先生というのもあるし、谷川嘉浩氏や飯田一史氏が書いているのも面白い。以下の目次にもあるように気になる潮流が概括できる。飯田氏の「本離れ」や、それこそ「推し」の話とか、コーホートにとどまらない話題じゃないかと思う。
●ちなみに「イミ消費」は、「モノ消費→コト消費→トキ商品→」に続く消費行動コンセプト仮説だけど、トキのあとに「エモ消費」というのがあって、それが推し活なんかに近いらしい。ただまあ、いずれの消費行動も懐疑的にはみてるんだけどね。