見出し画像

四十八文字の話『ヘ』③-3 「平安時代」貴族「藤原氏」と「古代イスラエル ( ゼブルン族 )」との不思議な関係①

🌕旧約聖書
【創世記49章13節】
 ゼブルンは海辺に住み、そこは船の着く岸辺。その背中はシドンにまで至いる。


………

前回は古代イスラエル民族十二支族の内、「鹿」を紋章とする「ナフタリ族」と「藤原一族」との関係を、簡単に纏めて記されて頂きました。
今回は同じく十二支族の「ゼブルン族」について述べさせて頂きます。

………「ゼブルン族」とは

皆さん、「ゼブルン族」と言ってもあまり馴染みがない方が多いのではないのでしょうか?

世間にはこんな話が有ります。
古代、現在のパレスチナ地方で暮らしていた十二支族は、数々の問題が発生したため当地で平和に暮らす事が出来なくなり、移住を余儀なくされため、別の平和な地を求め、世界中に散らばりました。
その中の一派は中央アジア~中国へ、また他の一派はインド~東南アジアへ、と移動し、ついには東の果て、この日本にやって来た、と言う話です。
年代で言うと、古くは紀元前七世紀頃くらいからでしょうか。
ですが移住と言っても、何も一度に大集団がやって来たとは限らず ( 例「弓月ノ君」: 日本書紀より ) 、記録にも残らない個々の小さな集まりで、いそいそとやって来た場合も有るでしょう。
その中から、先進的な技術を生かして次第に頭角を表し、この日本の「古代豪族」にまでなったと言われる集団もいます。

例えば
「ダン族」➡️「物部氏」(もののべし)
「エフライム族」➡️「蘇我氏」(そがし)
【日本皇室】に何らかの関わりがあるのでは?、とされる「ガド族」
そして
「ナフタリ族」➡️「藤原氏」

集団が形成される場合ってやはり同じ価値観、既得権益を持つ者同士が集まりますよね。
その最たるものが「血筋」。
そして自分達の存在意義、仲間同士の意識を高めるためには何らかの「象徴」「シンボル」といったものが必要となります。
それが「紋章」。
前回から述べたきた「トーテム」に裏付けられたシンボルマーク、です。

「イスラエル十二支族」  各々の紋章

「ダン族」( 物部氏 ) は「蛇」。
「エフライム族」( 蘇我氏 ) は「葡萄」✳️ここには出てませんが「ユニコーン」( 一角獣 ) も紋章の一つ、となります。
「ガド族」は「宿営、幕屋」✳️移動式の礼拝所、の事。
そして
「ナフタリ族」は、ご存知「鹿」となります。

で、今回の準テーマである「ゼブルン族」。
この支族の紋章は「船」。

神話、伝説などに語れている日本の古代豪族の祖となった有名な支族など比べると、彼ら「ゼブルン族」はあまり知られていません。
その理由の一つと思われるのは、冒頭の旧約聖書の一節に書かれていると思います。

「ゼブルン族」とは何やら海洋的な一族、文字通り「船」を使って遠方まで赴いて交易などを生業とする支族の印象があります。

大海を跨いで行動する海洋支族。
そんな支族が自分達の「行動」、「足跡」なんてイチイチ残すでしょうか?



ですが、この日本にはその海洋民族「ゼブルン族」が渡来していたと思われる「名残り」が残っている様です。

………「ゼブルン族」の日本における足跡

①室町時代の前期、所謂「南北朝時代」。

この時代を描いている軍記物「太平記」( たいへいき ) 。
この書物の中で南朝側天皇【後醍醐天皇】( ごだいごてんのう ) は、軍功のあった「楠木正成」( くすのきまさしげ ) 公に「天皇家の象徴」の一つ、「菊花紋」( きくかもん )  を下贈 ( かし ) された、との話が記されています。これはまあ有名な話です。
ですが、この場面と同じ様な話が書かれてる箇所があります。

後醍醐天皇が鎌倉幕府を転覆しようと密談している事が発覚し幕府によって隠岐の島に流されてしまいましたが、これを救出したのが伯耆国 ( ほうき 現:鳥取県 ) の豪族「名和長年」( なわながとし ) 。この人物もこの武功により帝 ( ミカド ) からある物を下贈されます。
それが「船紋」、です。

「船紋」

つまりここで何が重要かと言うと

天皇家の象徴である「御紋」。
皆さんも「菊花紋」や「五七ノ桐」といった御紋はご存知かと思いますが、天皇家は更に「船の紋章」をお持ちだった❗、という事です。


現在はどうだか解りませんが、少なくとも室町時代まではそうであられた、という事になります。

🌕Ameba「三重県の高校教員Nのブログ」より

「名和長年」公を祀る「名和神社」( 鳥取県西伯郡大山町 )
「名和神社」の社紋   「船紋」


②古代にこの日本に渡来してきた「秦」( はた ) 氏。

大々的にやって来たのは四世紀頃 ( 「日本書紀」による ) の様です。
渡来して以来、その卓越した技術力、財政力によりそれまで長閑な野原だった京都を雅な「平安京」にまで造り上げ、また日本の代表的な神社 ( 上賀茂神社、下鴨神社、八坂神社、松尾大社、等々 ) を創建した一族です。この秦氏、「古代イスラエル民族」の末裔だと言われています。
そんな秦氏自体を祖としているのが戦国時代の「四国の覇者」、土佐「長宗我部」( ちょうそかべ ) 家。
この戦国大名の家紋の一つが「船紋」となります。

四国の覇者「長宗我部元親」

イスラエル民族の末裔と言われる秦氏、そのまた末裔と称する長宗我部氏。
そんな一族がどうして「船紋」を家紋としていたのでしょうかね?


🌸同じく代表的な戦国大名、薩摩「島津」( しまづ ) 氏。
この島津氏の本姓は「惟宗」( これむね ) 氏となりますが、こちらも「 ( 古代イスラエル民族である ) 秦氏の末裔」と称しています。

島津家の家紋は有名デスヨネ。
「船紋」ではないですが、古代イスラエル民族の居住地であったパレスチナ。そこから紀元後に布教され世界中に拡まったのが「キリスト教」。
島津の家紋は、そのキリスト教を象徴する「クロス」「十字架」を模した紋、だとも言われています。
その「イエス=キリスト」が生まれた町が「ナザレ」ですが、ナザレは「ゼブルン族」の土地の町、でした。

「島津十字」紋
「丸に十字」紋

………続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?