日曜日の落語
2022年10月16日
TVK「浅草お茶の間寄席」
昔昔亭A太郎「堀の内」
九月にチバテレビで放送された回も録画してあったのだけれど、やはり日曜日のお昼に、のんびりと落語を見るのは格別なものがある。そこそこじっくり集中して見れるので、TVKでの再放送のチェックは絶対に欠かせない。ただ、どちらかひとつにすればいいものを、もし見逃してしまったらとか、チバテレビ放送分を録画に失敗してしまっていたら、なんていうことを考えて、結局は両方とも録画している。よって、はなっから、チバテレビを録画していても、後でTVKで、じっくりのんびり見ればいいやと思っているので、ちっとも見ない。それで、やっぱりずるずるとのんびりと落語を見るなら日曜日のお昼時に限るよなということになって、つまりTVKの「浅草お茶の間寄席」をオンタイムで観ることになる。まあ、早く見ようが、遅く見ようが、落語は落語。そこに変わりはない。しかしながら、高座というのは、一度見ればそこそこ十分ですというところもあるので、TVKの録画も見返すことはあまりない。鯉八師匠の「にきび」とか春風亭愛橋さんの「ぺーる・ぎゅんと」とかスケベ兄さん(羽光さん)の私小説落語とかを、いつかきっと必ず見返す時がくるのではないかと思って、ずっととってあるのだが、これがなかなか見る機会がめぐってこないのだ。やはり、落語というのは、一番最初にそこそこじっくり集中して見て聞いたときが一番フレッシュで味があるんだよな、という気はする。その上等な楽しみのためには、日曜日のお昼時というのは、たまたま自分にとっては、最良の時間と環境の設定となっているというわけなのである。
「堀の内」は、底抜けの粗忽者が、生来の粗忽さを治すため堀の内妙法寺の御祖師様(日蓮)に信心しお参りにゆくという噺。南無妙法蓮華経とお題目を唱えながら粗忽者が江戸(東京)の街を駆けずり回り、てんやわんやな騒ぎを引き起こす。ただ根っからの粗忽者であるだけに、悪気は微塵もない。それゆえ、どうにも憎めないところがある。のだが、まあ常識で考えれば、相当にやることなすことすっちゃかめっちゃかなのである。
噺の体裁としては、息つく暇もなくくすぐりを満載した、滑稽噺らしい滑稽噺だといえる。江戸時代に刊行された笑話本の「軽口福徳利」や烏亭焉馬の咄本「無事志有意」に掲載されていた小咄が元になっている古典落語の古典である。が、途中で水道の蛇口や電信柱などが登場することからも、時代と共に話者によって様々な新しいくすぐりが付け加えられてきた、常に進化し続ける古くて新しい古典落語であることは察しがつく。
実に滑稽噺らしい滑稽噺だし、落語好きならよく知っている噺でもある。なので、それをそのまま何の捻りもなく演るのではあまりにもつまらない。古典落語なので、何の捻りもなく演るのも、基本的にありではあるだろう。ただ、逆にいうと、これほどに、それぞれの噺家の腕の見せ所がある噺というのもないのである。粗忽者の粗忽さをどういう味付けで料理してみせるか、「堀の内」を聞く楽しみは、そこにこそあるような気がする。
御祖師様にお参りに行った粗忽者が、最後に子供を連れて湯屋に行ったりする、あまり脈絡もない実に妙な噺の展開もあるのだが、前段からの粗忽者の粗忽さが炸裂している流れで、やることなすことすっちゃかめっちゃかなまま最後まで押し通してしまう。御祖師様に信心して、あんなに御題目を唱えて、お参りにも行ったのに、粗忽者の粗忽さはちっとも治りそうな気配がない。粗忽は死ななきゃ治らないということだろうか。
高座そのものについて触れる前に、まず言っておきたいのは、昔昔亭A太郎という噺家は、かなりの二枚目、色男であるということ。落語芸術協会所属の噺家の中でも、五本の指に入る男前であろう。特に若手(二ツ目)の頃、真打に昇進した頃ぐらいまでは、非の打ちどころのない正真正銘の男前であった。
では、今はそうではないのかというと、別にそういうわけでもない。まだまだ、A太郎さんは、かなりの男前の色男である。だが、もう真打であるから、ただそれだけで終わるわけにはいかぬところもあってか、近年は、ただの男前で色男というだけではない、また違った味わいが加味されてきている。そう、A師匠は、刻々と進化しているのである。
進化といえば、昨年からアディーレ法律事務所のCMに起用されていて、テレビやラジオにちょくちょく登場するようになり、今やもういっぱしのCMスターである(最近は、こくみん共済coopのマイカー共済のCMにも出演している)。それもまた、男前の色男でテレビ写りもよいし元から華がある人だからなのである。なわけで、当人が思い切りCMスター気取りでいても、まるでさっぱり嘘臭さがないのがよい。
高座では、客席からの無言のリクエストを承ったという体で、噺に入る前にスマホ・携帯電話での撮影タイムが設けられる。フォトジェニックなA師匠が、威勢よく艶っぽくあれこれとポーズを作って、それを客席から撮ってもらうという、本当によくわからない寄席文化の常識を覆すような時間が作り出されるのである。
その非常にシュールな時間・空間というものが、端正なA師匠の姿形とのギャップを生み出し、会場になんともいえぬおかしみを作り出している。自分の見た目の良さというものを、実によく自覚しているからこそ、可能になる笑いであるといえようか。こういう部分、A師匠は、とても聡いのである。
そしてまた、昔昔亭A太郎という噺家は、とても聡く、かなりの頭脳派なのである。結構、考え抜かれた、細部までしっかりと準備された芸をする人である。その場のノリで、ちょいちょいと小手先で笑わせる軽妙なタイプでは、あまりない。びっしりと登場の段階からA太郎ワールドを作り上げてゆき、その中に聴衆を引き込んでゆくことで、初めて始まる落語であるともいえる。
これは、土台となるA太郎の落語のスタイルというものが、きちんと出来上がっていなくては、どうにもならないものでもある。そういう意味では、登場の瞬間から退場の瞬間まで、ちょっとの隙もなく考え抜かれ、作り込まれている、ひとつのパッケージングされたA印の唯一無二な芸ともいえる。それもこれも、やはり、見た目の良さがあればこそ、なのか。そうでなくては、登場するだけでA太郎ワールドが出来上がってしまうものではない。
だが、それを実際に舞台上でできてしまうというのには、ただただ見た目が良いだけではない頭脳派・知性派の噺家であるからという部分も大きく関わっているのではなかろうか。大学時代は、駒澤のレイ・ルイスと呼ばれていたほどであるから、戦略家でもあるし、実は攻めの守りに関する勘や嗅覚には並外れたものがある。
そんなA師匠の芸風といえば、とにかく気障なところを前面に出しているという印象がある。とりあえず、見た目はとても良いのだが、ちょっと嫌味なくらいに気障ったらしく、それを武器にしているのである。このA師匠に備わる男前と気障の二面性が、独特のA太郎ワールドを作り上げて行っていると言っても過言ではない。
気障といえば、その昔は「ぼくちゃん」の四代目三遊亭小円遊であり、最近でいうと「持って生まれた品」の古今亭文菊あたりが、真っ先に思い浮かぶ気障である。だが、そういう意味でいうと、A師匠の気障は、ただの気障ではない。もっと押し付けがましくて、いやらしい感じの気障なのである。
平たくいうと、実にわざとらしく前面に押し出された気障なのだ。そのかなりのわざとらしいいやらしさですらをも、男前のA師匠だからこそ許せてしまうというか、変に納得させるものがあるというか。そのような、ちょっと嫌味なくらいに気障ったらしい芸風で笑いが取れるというのも、やはり元来の見た目のよさとの両極端なバランスが取れていればこそなのではなかろうか。
そして、そこにまた最近になって新たに付け加わりつつある味がある。二ツ目時代から若手落語家界のスターであったA師匠も、今や四十四である。後厄もすっかり終えていて、言わば初老、つまりおじさんになりつつあるのである。いや、はっきり言って、もうおじさんなのである。
落語の世界では四十代半ばなんて、まだまだ若手なのかもしれないが、人間の肉体や姿形といった自然の域に属するものというのは、そうそう嘘をつくものではない。あんなに艶々とした男前の色男であったA師匠も、やはり着実におじさん化してきている。少しの隙もないほどにしゅっとしていた美顔にも、どことなくおじさんらしい弛みというか緩みというか、何ともいえない(助平ったらしい)隙のようなものが現れ出てきている。
まさにレイ・ルイスを思わせるような研ぎ澄まされた佇まいであった若手時代には、微塵も感じられることがなかったような、緩みや隙が、早くも好好爺的な雰囲気となって、目尻のあたりにありありと滲み出してきているのである。これはもう完全におじさん化である。
そんな以前は少しの隙もなかったものに思いもかけぬ緩みや隙ができてきたことで、おじさん化してきたA師匠の佇まいに、実に妙にとぼけた味わいが加わりつつある。かなり噺家らしい顔立ちになってきているともいえるだろうか。持ち前のちょっと嫌味なくらいに気障ったらしい芸風を、そんな妙にとぼけた味が増しつつあるおじさん化が著しいA師匠がやると、これがまた非常にユーモラスでもある。
そんな昔昔亭A太郎が演る古典落語「堀の内」である。これには、いろいろな意味で唸らされた。この「堀の内」を見た人の中には、なかなかおもしろいものが見れたという人もいるだろうし、それとは反対に、もっとちゃんと稽古してこいと突っぱねる人も間違いなくいるだろう。この噺は、噺家それぞれの味付けであれこれと料理することのできる自由度の高い噺でありながら、一応は古典落語であるので、あまり好き放題にやりすぎると邪道だと言われたりもする。
だからと言って、(前座や二ツ目のように)型通りに演ったのでは、最早まるでおもしろみが感じられない。そんな、なかなかに難しい噺ではあるのだけど。A師匠の場合は、かなり好き勝手に料理して、妙にとぼけた味わいが増してきているA太郎スタイルでばっちりと演っておられた。やや好き勝手をしすぎて脱線してしまう演出も多々あって、その辺りもしかすると賛否がありそうだと感じられたというわけである。
だが、そうした型通りから脱線して逸れてゆく部分こそが、A師匠が狙っていた笑い所でもあるのだろう。そのちょっと嫌味なくらいに気障な男前な癖にちゃんとしていないでとぼけているというところこそを、ユーモアの演出のベースなのだと言うところを、しっかり理解することができていないと、これはもう如何ともし難いし、あまりよい評価につながらないであろう。基本的に、もうかなりとぼけたおじさんなのだ。だから、いちいちきっちり噺家一流の演出を真に受けていては非常に危険だと言わざるをえない。
では、そんな「堀の内」のどこに唸らされたのか。それは、A太郎スタイルで料理された古典落語が、見事なまでの手捌き元い口捌きでばっさり脱構築(ディコンストラクション)されているのを目の当たりにさせられたからである。
アメリカン・フットボールでいえば、インサイドラインバッカーのレイ・ルイスによる猛烈なタックルがクリティカルにヒットしてファンブルが起こりボールがフリーボールとなってどこにどう転がってゆくのかわからぬ状態を高座において作り出していたという感じであろうか。
A師匠の古典落語の脱構築は、妙にとぼけたハプニング的な演出から始まった。それが、ハプニングなのか演出なのかは、はっきりとは分からない。しかるに、ハプニングとも演出とも受け取ることができそうな演出なのである。つまり、それこそが、古典落語の噺がフリーボール化されたということなのだ。
底抜けの粗忽者が、わあわあやりながら江戸(東京)の街を駆けずり回って、ようやく御祖師様にお参りをする。まずは、願掛けの前にお賽銭を投げようとするのだが、やっぱり底抜けの粗忽者であるがゆえに、財布から小銭を取り出してから賽銭を投げなくてはいけないところを、財布から小銭を取り出すのを忘れて、財布ごと賽銭箱にぽーんと放り込んでしまうのである。御祖師様に生来の粗忽さが治るように願掛けをするために堀の内妙法寺まで来ているのだから、財布の中には日参する二十一日分のお賽銭が入っていたことになるだろうか。これをひとまとめにして願掛けの第一日目にぽーんと賽銭箱に投げ込んでしまうのだから、これぞ本当に正真正銘の粗忽である。しかし、こんなことではへこたれないのが底抜けの粗忽者なのである。これくらいの失敗は日常茶飯事である。お賽銭を財布ごと投げ込んで、慌てふためくのも一瞬で、御祖師様を拝みながら「まとめてお賽銭払っておきましたんで、そのつもりでよろしくお願いします」と願掛けのシステムそのものを自分で勝手に変更してしまう。
というのが、通常の「堀の内」において粗忽者が御祖師様にお参りをする場面となる。そして、通常の噺家は、懐から見えない財布を取り出して、そこからお賽銭の小銭を出さずに財布ごと賽銭箱に放り投げてしまうという身振りをする。それでも、大抵は何も持っていない手から見えない財布が飛んでゆくのが見えるものなのである。落語とは、そういうものである。しかし、A師匠の場合は、懐から取り出した財布に見立てた手拭いを、実際に粗忽者が賽銭箱に投げ込む場面を写実主義的に演ずるかのように、本当にぽいっと放り投げてしまうのである。当然、A師匠の手を離れた財布に見立てた手拭いは、賽銭箱ではなく客席へと飛んでゆく。これは、通常の噺家であれば、絶対にしないハプニングである。噺家が高座から噺の途中で客席に手拭いを投げ込んだら、普通にざわつくであろう。噺は中断し、さっきまで見えていた御祖師様の境内の場景は、一瞬でかき消えてしまう。何もかも台無しである。そんな普通なら落語の噺そのものが台無しになるようなことを、本当のハプニングなのか予定通りの演出なのか分からぬが、A師匠は持ち前の妙にとぼけた調子でさらりとやってのけてしまうのである。
A師匠の手からすっ飛んでいった手拭いは、客席のおじさんが見事にキャッチしたようだ。噺家の大事な商売道具である手拭いであるから、おじさんはわざわざ席を立って、それをすぐにA師匠のところまで返しにきてくれる。とても優しいおじさんである。しかし、それを一旦は受け取るものの、A師匠は折角だから差し上げますと再び手拭いを客席のおじさんに向けて投げ返してしまうのである。それも、ご丁寧にも、軽く手拭いで顔や額の汗を拭ってから投げるのである。昔、エルヴィス・プレスリーがステージ上で汗だくになりながら熱唱し、最前席の熱狂的なファンが差し出すハンカチを受け取って、顔の汗を拭ってから丁重にお返しするという、一種のファン・サーヴィスをやっていたが、まさにそれの再来であった。このとき、浅草演芸ホールの高座にはエルヴィス級の大スターが出現していたのだ。ちょっと前までは御祖師様の境内だった場所が、一瞬にしてエルヴィス・オン・ステージになった。ここまで非常にテンポ良く進んできていた「堀の内」は、このハプニング的な演出によって、完全に腰が折れてしまうことになる。
そして、この手拭いをめぐるどたばたがひと段落して、また何事もなかったかのように噺に戻ってゆく。いや、A師匠は、妙にとぼけた調子でなんとか噺を脱線から修繕しようとしていた。だがしかし、あれだけのハプニング的な演出があった後では前と同じように噺が聞けるものでは決してない。この時点で、もうすでに大方の客席の人々の頭の中には、A師匠は手拭いなしで最後の湯屋のくだりをどうするのだろうかという素朴な疑問が、沸々と思い浮かんでいたものと思われる。粗忽者が子供を連れて湯屋に行き、脱衣所でよその家の子供の着物を脱がしたり、子供の着物を脱がせるのに一生懸命で自分は着物を着たまま風呂に入ろうとしたりと、ここでも粗忽などたばたがたんまりとあり、さあいよいよ風呂につかろうかという段になって、懐に手を入れて探っても肝心の手拭いがない、こりゃ困った、なんてことになるのではないかと、見る方はちょっともうかなりはらはらどきどきしていたのである。
湯屋の場面、手拭いは最終的に噺のオチにも関わる重要な小道具であるので絶対に必要なものなのである。だがしかし、もうすでに客席のおじさんにプレゼントしてしまっているので、もう懐の中をどんなに探し回っても出てくることはない。さて、A師匠なら、どうするか。その湯屋のくだりを演るときだけ、ちょっとの間だけあのプレゼントした手拭いを返してもらうという手がある。「これ終わったら、すぐにまたお返ししますんで、ちょっとだけさっきの手拭いお借りしてもよろしいでしょうか?」なんて言いながら。もうここまでくると、その客席とのやりとりだけで大きな笑いがとれるだろう。そして、その借りた手拭いを使って最後まで噺を演って、サゲでほっと笑わせ、またおじさんにその手拭いを丁重にお返しして、駄目押しの笑いをとる。というように、もはや投げてしまった手拭いだけで何段階もの笑いを積み重ねてゆくことが可能になる。
あの中盤でのハプニング的な演出があったことで、「堀の内」は古典落語としては、腰が折れてずたぼろになってしまった。だが、A太郎スタイルの落語としては、それはそれで、まんまと成功だったということになる。その独自の工夫を古典落語に盛り込むために、あのハプニングは演出されていたのだと、思いたくもなってくる。ところではあったが‥‥
「堀の内」の脱構築は、さらにもう一つのハプニング的な演出により、思わぬ結末を迎えることとなる。粗忽者が財布(手拭い)を投げてしまったことで、さらなる破壊の地雷が、その先に先回りして仕掛けられていたようなのである。これが、本当のハプニングであるのか、元々の演出として想定していたものなのかは、はっきりとはわからない。その辺りは、A師匠の匙加減次第ではあるのだろう。元々想定していたことではあったけれど、パプニング的に即興の演出にしてしまったといったところが、見たところ最も近いか。最初のハプニングを受けて、その先の展開を多分に心配していた客席の(多少過剰な)反応が、その即興的な演出を引き出したとでもいおうか。しかし、古典落語の「堀の内」は脱構築され、それに伴って高座と客席を一体化させるようなセッションが、あの瞬間に(多少ぎこちなくも)成立していたのではないだろうか。そんな一席に、なんとも唸らざるをえぬものを見て聞いたというわけなのである。
堀の内妙法寺でお参りを終えた粗忽者は、境内で家から背負って持ってきたお弁当を食べようと、風呂敷包みを背中からおろして開こうとする。しかし、よく見てみると、褌に枕を包んで持ってきてしまっていたようだ。こりゃいけないと、急いで家に引き返す粗忽者。戸をがらっと開けて飛び込むが、あんたの家は隣だと隣家の家人に笑われてしまう。こりゃいけないと、急いで隣の自分の家の戸をがらっと開けて飛び込んで、両手をついて「誠にあいすみません、どうぞご勘弁を」と謝った。この粗忽者が自分の家を間違えて更にまた謝る先も間違えるくだりで、客席からぱらぱらと拍手が起きた。A師匠が正面を向き両手をついてお辞儀をするような仕草をしたところが、噺のサゲなのだろうと受け取った観客が少なからずいたことを、この事態は示している。手拭いはもう放り投げてしまって懐にないのだから、湯屋の場面以外でのサゲがつくものだと思い込んでしまっていた人々も、やはり多かったのであろう。
御祖師様にお参りに行くため家を出た粗忽者が、弁当をちゃんと持たせてくれなかった奥さんに叱言を言うために急いで家に帰ってきたという、なかなかに中途半端なところで、客席から拍手が起きてしまった。元々、完全に腰が折れていたA太郎スタイルで脱構築された「堀の内」に、ここでもう一つ大きな折り目がついたことになる。A師匠は、ちょっと思案して、ここですっぱり噺を切り上げたのである。この唐突な終わり方が、えもいわれぬ斬新な笑いを生んでいたことは確かである。ハプニング的な演出がなされた噺ならではの、その場で即興的に作り上げられたおもしろみが、そこにはあった。おそらく、あの場面、そのまま手拭いを借りてまで湯屋の場面を演るのでも、両手をついて拍手があったところで切り上げるのでも、どちらでも良かったのであろう。噺の全体的な内容としては、やや蛇足とも思える湯屋の場面は、やはりあってもなくても良いのである。それに、手拭いを放り投げてしまった時点で、古典落語の「堀の内」は、もうすでに脱構築されていたのである。ゆえに、A太郎スタイルの「堀の内」は、終わりがどこでどうなろうが、一応は完結し完成するということになるのである。
ファンブルでフリーボールになったボールが、転々と転がり攻撃方にも守備方にも確保されることなく、あっさりとアウト・オブ・バウンズに出てしまったかのように、偶然の成り行きでキリがついたところで噺は終わった。A師匠は「続きは、またいつか」とちょっととぼけた締めの言葉を述べながら、今度は深々とお辞儀をする。ゆっくりと。殊更にゆっくりとした動作で。そして、そのまま座布団の上に座ったままで、腰を上げずに動かない。やおら扇子を広げて汗が吹き出している顔面をぱたぱたと扇ぎ、腕を少し上げ気味にして袖口の中にも風を送る。だが、まだ立ち上がらない。しきりに首を捻ったりして、思案している様子である。それでも、まだ立ち上がらない。ややあって、ようやく座布団からは立ち上がるものの、しきりに首を傾げている。動作はおそろしくゆっくりである。再び、客席に深々と頭を下げてお辞儀をし、のろのろと退場してゆく。お囃子の音が流れ続ける中、あちらへ、こちらへ、ゆっくりゆっくり頭を下げてお辞儀をしながら。なかなか退場をしない。
粗忽者が駆けずり回る、かなり忙しない展開の「堀の内」を、A師匠もかなりぽんぽんと大汗をかくほどテンポよくやっていたこともあってか、ぎゅっと凝縮された噺になっていたのだろう。だが、それゆえにか、途中で噺が思ってもみなかった方向にアウト・オブ・バウンズになってしまって、持ち時間が少し余ってしまったのではなかろうか。その時間的余白を少しでも埋めようとするかのように、退場はおそろしくもったりとしていた。そして、そこにまた予期せぬおかしみが生じていたのである。その様子は、どう見ても時間稼ぎをしているようにしか見えないものであったから。
寄席では、それぞれの演者はきっちりと持ち時間が決まっていて、おおよその出番の時間はみな前もって把握しているものである。よって、自分のひとつ前の出番の人が、決まった時間より少し早く演目を切り上げてしまったりすると、まだ出番までは少し時間があるとのんびり構えていたところに、急に出番だと呼び出されて急いで支度して高座に駆け上がらなくてはならないという、やや困った事態が生じたりする。自分の後の出番の人に、そうした迷惑が少しでもかからぬようにか、A師匠はお囃子が流れ続けている高座を、実にゆっくりと時間をかけて退場していった。
その実に勿体ぶったような深々としたお辞儀を何度も繰り返しているA師匠の姿を見ていると、そんなに時間が余っているのならば普通に最後まで「堀の内」を演ったら良かったじゃんという思いも沸々と湧いてきた。だが、フットボールの楕円のボールのように、どう転がるかわからないのがA太郎スタイルなのある。そう言う意味では、この高座では本当に凄まじくディコンストラクトされた「堀の内」を見せられた・聞かされたという気がしてならない。うるさ型の古典派の人々にとっては、ちっともなっていない落語であったかもしれないけれど。そして、A師匠本人にとっても全く会心の出来ではなかったかもしれないけれど。そもそも脱構築というのはそういうものなのだろう。
だが、やっぱりどうしても最後にひとつ大きな疑問が残ってしまうのである。A太郎スタイルで脱構築された「堀の内」は、なんだかんだ言って、落語としては実は失敗だったのではなかろうか。いや、もしかすると落語ですらなかったのではないか。そういう、実に根本的な疑問がもやもやと残ってしまうのである。人口に膾炙されている落語の定義によれば、最後にオチ(サゲ)がつく落とし噺でなないと落語とはいえないはずなのである。ハプニングにハプニングが重なり、途中ですっぱり切り上げてしまった脱構築「堀の内」は、やはり厳密にいえば落語として成立していなかったのではないか。いや、意図せずキリのいいところで客席から拍手がきて、ずっこけたような終わりになってしまったところが、実はオチの代わりになっていたということだったのか。成立か不成立か、これはちょっとなかなかに微妙なところである。落語の本質や根幹の部分に関わるデリケートな問題でもあるので、考え出すと、それこそキリが無い。それなので、この問題に関しては、まあやっぱりA師匠にならって「続きは、またいつか」ということにしておきたいが如何か。
(2022.11)
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