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スティサート師の説法〜この私から自由になる(10)寺や修行場で瞑想実践をする意義
このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
再び
スカトー寺副住職、ウィリヤダンマアシュラム・リーダー僧の
スティサート・パンヤーパティポー師の説法を
お届けします。
タイでは今年は
7月21日から雨安居(うあんご)が
始まりました。
お坊さまたちはこの雨季の3ヶ月の間
止住して修行に専念する期間です。
この説法があった日からアシュラムでは
4泊5日でタイの方たちの瞑想リトリートが
始まりました。
初日の説法です。
今回のテーマは
「この私から自由になる」
今日の部分のタイトルを
「寺や修行場で瞑想実践をする意義」
と、しました。
私たちがついつい
気づきを失いやすい落とし穴。
そこからさらに一歩
学びを深めてまります。
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