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【小説】天使が死んだ日

最終話


「手が痛い…」

冷え切って乾燥した冬の夕方。私、ミナトは悴む手をポケットに押し込んだ。右手のほうに入っていたカイロが、じんわりと熱を伝えてくる。ずっと家でゴロゴロしていたいのに、クリスマスケーキを自作するのだと言って聞かない親友に付き合わされて、駅前に来てしまった。
「ねぇ、もう帰るよね?最後にイルミネーション見ていってもいい?」
カップルのように腕を組んできた親友のカナデが言う。彼女とは二年以上同棲していて、家族…まるで夫婦のような関係だ、なんて。私は彼女に対して恋愛感情のひとつも抱いたことがない。彼女もそうかは知らないけれど。
「別にいいけど、イルミなんてただの電球じゃん」
「もう、ミナトってば夢がないなぁ〜」
夢がない、か。
私の夢はもう叶ってるんだけどな。そうぼそりと呟く。
私の夢はカナデと親友になることだった。初めて見たときからずっと話してみたかった。それが叶って今もこうやって一緒にいられるんだから、こんなに素敵なことはない。
「ん?何か言った?」
「なんにも。じゃあさっさと見に行こうか。もう17時だし」
「そうね」
彼女は頷いて、私のコートのポケットに手を入れてきた。触れ合った指先が冷たい。
「お前、この時期の指先は凶器だぞ」
「いいじゃん。ミナトの手あったかい」
「カナデの手が冷たいだけだ」
私は苦笑いして言った。


イルミネーションは毎年、駅前の公園で行われる。今年も、公園前の街路樹から既にキラキラと輝いていた。
「わー!きれー!!ねえ、一緒に写真撮ろ!」
「…私は遠慮しとくよ。綺麗なものだけで写りな」
「じゃあミナトも写るんだよ。ほら!」
元気よくスマホを掲げる彼女。
「やめろって」
「なんでよー、ミナトが言い出したんだよ」
そんなこと言われても。私はカナデのように可愛くもないし明るくもないのだ。こうやってまた私は、自分と彼女を勝手に比べては勝手に打ち拉がれる。いい加減学習したらどうだ。彼女にも私にも、なにひとつとして非はないことを。
彼女はこんな私に構うことなく黙ってスマホの画面下の白い丸を押した。微かなシャッター音とともに、一瞬画面が静止する。そこには無数の赤黄の電球と、彼女の笑顔と、私のだらしない姿が映っている。カナデは「ちゃんと笑ってよ」なんて茶化したが、私にはこれが精一杯だ。曖昧に笑った。
男女のカップルに混じって公園を歩く。彼女はスマホを掲げてあちこちでシャッターを切っていた。流石にもう私に、一緒に映るよう無理強いはしてこなかった。ただ、帰って作るクリスマスケーキの話をしながら、無数の電球だけを画面に収めている。こんなのがいいのか。私は美術の大学に通っているけれども、目の前の電球たちになんの美しさも意味も見出せない。彼女にはそれがわかるんだろうか。首を傾げつつ、私は徐に取り出したスマホで彼女の横顔を撮った。彼女は気付いていないようだった。

クリスマスケーキは普通に美味しかった。彼女がうっかり手を滑らせて砂糖を床にぶち撒けたときは焦ったが、それだけだ。片付けながら溢れた砂糖を舐める彼女を見ていたら、どうしても許してしまう。2人して甘いものが好きなので、分量を計るのを諦めて砂糖を多めに入れた。ゲラゲラ笑いながら。

その翌週、2人で地元に帰省して、お互い実家でダラダラ過ごした。いや、そうなるはずだった。
帰省して5日目。2人で初詣に行った帰り道。天使が死んだ。
呆気なかった。彼女は持病持ちだったがそんなのとは無関係に、信号無視の車にぶん殴られて死んだ。私より半歩先を歩いていたせいで。おかげで彼女がバラバラになるところをこの目ではっきりと見てしまった。天使なんかじゃなくて血塗れの肉体だった。あんなに美しかったものが、いとも簡単に砕かれるのを見た。

葬式やら色々あって、私は東京に戻った。戻って真っ先にイルミネーションを見た。あのとき何気なく撮った彼女の横顔が、まさか最後になるなど思いもしなかった。あまりに現実味がない。
ただひとりで、青い電球の群れを眺めた。ひとつひとつがはっきり見えるほど近くで眺めてみた。そして、ひとつだけ切れている電球を見つけてしまった。このひとつが消えようが、誰も気付かず、周りはキラキラ輝いている。カップルはだいぶ離れたところから写真を撮っている。
その切れた電球だけを撮った。きっとカナデが隣にいたら笑うだろう。もしくは冗談で「美術専門は違うなぁ」なんて言ったかもしれない。
「…ただの光の集合体に、こんなに感動するのは何故なんだろうな」
不意に溢れた言葉に、初めて涙を流していることに気付く。それは決して“綺麗”だから泣いたんじゃない。儚さに揺さぶられてしまったのだ。遠くから見ていれば間違いなく感動なんかしない。遠くからじゃ何もわかれないように。

天使が死んで十年が経つ。墓に花を供えながら、また昔のことを思い出していた。相変わらず公園でのイルミネーションは行われているらしい。私はといえば意地でも2人で分けていた家賃を背負って、彼女がいつ帰ってきてもいいようにして暮らしている。何も変わらないまま。あの子の命を奪った奴の正体は飲酒運転をしたあの子の父親だと知ったときは、ひどく虚無感に襲われたのを覚えている。それだけだ。
「今年のクリスマスもケーキ作ろうか」
少し多めに砂糖を入れた甘ったるいケーキを今年も。
独りで食うには甘すぎるのに。

宜しければ。