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【短編】同じ神様に作られた人間論

登場人物の方言は私がよく使う言葉に倣ったもので、関西寄りでありながら、関西弁ではありません。ご了承ください。


「あかん、だめや…」
大学から帰ってくるなり弟はそう嘆いた。
「姉ちゃん、俺、何の役にも立てん人間や…話し合い、なんも参加できんかった」
こういうときって、どんなに“そんなことないよ”と話しても無駄な気がする。本人は役に立てないと思い込んで動けないのだから。
あたしはそんな弟を横目に夕飯の支度を始め、さも独り言のように呟いた。
「明日遊びに行こかぁ」

あたしたちは血の繋がっていない姉弟きょうだいで、当然ながら顔は似ていない。育ての両親がこれまた毒親というかで、大学生になった途端家を出たら、弟もついてきた。今は弟が一年生で、あたしが三年生だ。
昨日の言葉通り外に出た。どこに行こうか、目的のない旅は嫌いじゃない。
「なぁ、どこに行くん?」
街を歩きながら弟は聞いてくる。
「特に目的は…あっ、あれやろうや!」
それっぽい、占いと書かれた小さな店を指差す。弟はげんなりした顔をして、
「そんなもんに金出せへんわ」
と言った。
「あたしの奢りやけん!やろうや!」
特に意味はないけれど、なんだか惹かれてしまったのだ。弟は「姉ちゃんの奢りなら」と、渋々、と見せかけて結構うきうきで、あたしの後をついてくる。
「なぁ、ええこと思いついた。姉弟って言わずに恋人っぽいふりしやへん?」
「あほ……いや、面白そうやん」
弟の提案を受け、あたしは店に入り声をかける。この店の主は若くて綺麗な女性の方で、長い黒髪に透き通るような目が美しかった。弟のほうを見るとその女性に目を奪われていた。恋人のふりをするなんて言葉はどこに消えたんだ。
二人並んで占ってもらうと、女性は納得したように言った。
「貴方達、前世からの付き合いか…もしくは同じ神様が作ったような…素晴らしい縁を感じるわ。結婚までもう間も無くでしょうね」
なんとまぁ占いなどこんなものなのだ。結婚までもう間も無くだって、そんな中途半端なことよく言えたなぁ。いや、恋人同士だと言っているから仕方ないのかな。しかし弟とそんなに深い繋がりとは、思い当たることも全く無くて笑ってしまう。深い縁…深い縁か。赤の他人でしかないあたしたちが、何の因果か姉弟を名乗れるほどになっているからあながち間違いではないのかも、しれない。
弟はこの美しい女性に言われることだからなのか、それとも思い当たることでもあったのか、うんうんと力強く頷いている。思えばあたしは弟のことを何も知らないんだな。こうやって弟と呼んでいるのも、許されたわけではないのだから。
占いの店を出ると、なんとなく二人で駅に向かって歩き出した。気が付いたら駅の前にいて、「あたしが駅に行こうとしよったの分かっとったん?」と聞くと弟は首を横に振る。「俺も駅に行こうと思いよったんやけど、そっちこそ分かっとったんやないん?」なんて聞かれ、なるほどもしかしたらこういうところが、同じ神様に作られたとか、まぁ考え方が同じというか、惹かれ合うのかもしれない。なんて、今のはただの偶然だろう。そう思ったが念の為、行き先まで答え合わせをした。あたしが「咲が浜とかで海を見ようや」と言うと、弟は目をかっ開いて「俺も咲が浜言おうとしてたわ…」なんて呟いた。それが本当なら、同じ神様に作られただなんて軽い作り話程度の嘘を、信じてやってもいい。
都会と田舎の中途半端な場所に位置するこの駅は無人駅だ。古臭くもなく、ただ少し錆びれた柱に駅名がぶら下がる。それはまるで拙い嘘のように、頼りなく、だらりと。あたしはその駅名看板を見ているのが好きだった。そこだけ別世界に切り取られたようで、まぁ誰にも分かってはもらえないけれど。そういえば二人でこの駅に来るのは初めてだ。弟を見上げると、弟は名も無き旅への片道切符を光に透かし、やがて視線の先に駅名看板を見つけた。
「姉ちゃん見てみい!あの看板面白いやろ!ぶら下がってんねん」
「ああ、ぶら下がっちょうね…ねぇ、あそこだけ別世界みたいに見えん?」
いつもなら絶対に言わない。変なの、と散々友人たちにも笑われてきたからだ。しかしさっきの同じ神様に作られた人間論をほんの少しだけ、信じたいと思ってしまった。
「おお〜見える見える!今にも向こうから妖精らやなんやが飛び出してきそうやね」
「…そうっ、そうなんよ!ねぇ、そうやんね!?」
びっくりした。びっくりして弟の腕を掴んで揺さぶった。弟はそれに合わせて首をがくがく揺らして見せ、ああああ〜と言って戯けた。
今までこう弟とちゃんと遊んだ・・・・ことはなかったな。あの占い師、もしかするとすごい人なのかもしれない。あたしたちのお道化に気付きながら遊ばれてくれたのかもしれない。
電車に乗り込んで二駅。歩けないこともないなと弟が溢し、帰りは歩こうかなんて約束を取り付ける。昼間、十三時過ぎは人がまばらだ。車窓が段々と青みを含んで、みずみずしく、海に近づいていく。こんなに近くに住んでいるのに、長らく目にしたことはなかった。あたしは窓に手をついてその青に見惚れた。なんだか見ていると奥の奥がふっと軽くなる気がする。浄化されるというか、ゆるくゆるく首を絞められるように楽になる。もしかしたら弟もーーそう思いかけて、いや、と首を振った。もしかしたらではなくきっとそうだ。もう聞く必要はない。
咲が浜の駅名看板はしっかり取り付けられていた。無人ではなく、それなりに人で賑わっている大きな駅。つまらない。
海の匂いを肌に焼き付けるように両手を広げてみたところ、隣で弟も同じことをしていた。駅を出てすぐ横の細い道を抜け、ゆっくりと今を区切る波の音と対峙する。
「姉ちゃん!波打ち際だけ許してくれん!?」
「ちゃんと靴脱いでからにせなよ」
弟は我慢ならないように靴を脱いで、透明のベールに足を潜らせた。白い砂が指を潜り抜け、弟が無邪気に笑う。それはまるで、幼い頃何度も読んでもらった絵本があるとしたら、そしてそれに今になって巡り会うような、なんとも救われない淋しい感情。もうすべてが分かるような大人になってしまっては、あのときの面白さは蘇ってこないような。
守りたい、と思った。弟は、永遠に弟でいてほしい。他のものになんて、なってほしくない。
「姉ちゃん!」
はっと顔を上げると弟が笑っていた。
「姉ちゃんもこっち来ようや!」
なんて、なんて綺麗なんだろう。汚れることを知らない真っ直ぐな少年。このまま、もう、どこにも行かないで。
あたしは靴を脱いでそっと足を焚べた。じわじわと焼かれていく足先が冷たい。やがて水を掬ってそっと弟の足元にかけた。弟はゲラゲラ笑いながらやり返してくる。ああ、何者にもならなかったらいいのに。
すっかり日が落ちそうになり、ようやっと水遊びを切り上げて歩き出した。二駅分、二人ならきっと歩けるだろう。
「姉ちゃん、今日はありがとうね」
「いいや、あたしのほうこそ。楽しかったけん、よかったよ」
弟は少し考えてから、言った。
「なぁ、同じ神様に作られたって、本当やと思う?」
あたしも少し考えるふり・・をして、言った。
「本当やと思わざるを得ないようなことばっかりやったよ」
「そっかぁ。じゃあ、あれも本当かなぁ?」
「あれって?」
弟の顔を覗き込むと、弟は少し頬を赤く染めてからそっぽを向いた。
「秘密や」
「やっぱ、嘘かもしれんね?あたし、今のは全然分からへん」
軽く笑いながら、あたしは勇気を振り絞って言葉を握る。力加減を間違えて、潰しそうになる。
「何でもええがやけど、あんたは、おってくれるだけで、あたしの役に立っちょうよ。何の役にも立たんかったなんて、悲しいこと言わんといて」
弟は一瞬ぽかんとして、やがてゲラゲラ笑い出した。昨日の続きかや、と笑い続ける弟になんだか照れ臭くなって、「悪いかよ」と乱暴に吐き捨てる。
「いいや、俺も、姉ちゃんが居てくれるだけで嬉しいがよ。いつもありがとうね」
ふと足を止めると一駅分歩いていた。流石にもう歩きたくなくて、ふらりと駅に立ち寄ると弟も同じ動きをする。
「「一駅乗って行こうかね!」」
なぁ美しき少年よ。あたしはまだあんたと同じ神様に作られただなんて信じたくはない。弟のほうがとてもとても綺麗だからだ。しかしそれでも足掻いても変えられぬこれは運命だなどとぬかすのなら、上等だ、いつでもあんたを汚してやれるさ。
「なぁ今日の夕飯、せーので言おうや」
あの人間論を信じたらしい弟が持ち掛けてくる。あたしはちょっと考えて、
「カレーうどんやな」
と言った。今はまだ同じ神様に作られた人間論を、信じてやってもいいかもしれない。

宜しければ。