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【超短編】死ぬ為のシナリオ

 それは、綺麗なあなたに相応しい、綺麗な紅色くれないいろでした。
 その日はたまらなく寒く、吐く息も白く濁っていました。あなたに握らせた一輪の白い薔薇が、いつの間にかあかに染まっています。わたしはその薔薇をあなたに握らせたまま、あなたをベッドに寝かせると電気を消しました。

「こんな感じでいいんじゃないかしら」
 私は親友を振り返った。さっきまで、跳ねた前髪をどうにかストレートアイロンで伸ばそうとしていた彼女は、もう諦めたのかホテルの柔らかなベッドにひっくり返っている。
 「死ぬ為のシナリオ、できたわよ」
本当に昔から、彼女は私がいないと何もできない。私が行く学校に行き、私が勉強するから勉強していた。私が風邪を引いた日には、彼女も一日中ベッドで過ごす程だ。ずっとそれは変わらない。
 彼女は秘密にしているつもりなのだろうが、私は知っている。彼女は私に恋をしていることを。そして、それは恋という言葉で片付けられないほどの感情に、成長してしまっていることも。
 「ありがとう、相変わらず綺麗な文を書くよね。わたし、好きだなあ」
 自分で放った好きという言葉に照れたように、私が書き上げたばかりの文章を読んだ彼女が笑う。私はわざと呆れたように呟いた。
 「もう何回も聞いたから、今更好きなんて言われても響かないわよ」
「そうだとしても、伝えたいんだよ」
彼女の真っ直ぐな目にどきりとした。
「どうしたらそんな文が書けるの。わたしも知りたい」
「ただ書きたいことを書いただけよ。これでもシナリオライターだもの」
 彼女は私の全てを知りたがる。私も彼女と胸の内を共有するのが好きなので素直に教えていたが、今日は上手く言葉にできなかった。
 どんなに私を知りたがる彼女でも、きっとこれだけは知らないだろう。彼女と言葉を交わす度、私が彼女に夢中になってしまっていることを。それはまた恋というものより、もっと繊細でもっとつまらない。夕焼けをぼんやり見ているときのような、些細なものだ。
 「また、気取っちゃって」
彼女は素っ気ない回答をした私をそう表現した。誤解を解くために私は口を開く。
 「気取ってなんかないわ」
「そう。じゃあひとつ不満を言わせて。このシナリオ、上手く出来ているけれど、終わり方が半端じゃない?」
「半端って?」
介錯・・の最期を書いてないんじゃない」

 ハッとして目を開けると、そこは自室だった。横には、私が昨日“者”から“物”にした彼女が寝ている。
 枕元に広げた「死ぬ為のシナリオ」は、彼女が死んだところで終わっていた。元々、彼女が死ぬ為のシナリオだからだ。
 ーー介錯・・の最期を書いてないんじゃない。
 あの日はいつか書くよと受け流した。受け流してそのままだった。今更遅いのはわかっているけれど、私は心の中で返答する。
 書けないのよ。私は死なないから。
 私は意気地無しなのだ。未知へ飛び込んだ彼女と違って、見慣れたこの世界を自ら飛び出す勇気がない。一応用意したロープで首を吊ろうとしてみたが、やはり無理だった。
 彼女は私を嘲るだろうか。生臭い包丁を水に晒しながら考えた。きっと暫くは会社も行かなくて済むし、食事も保証されているんだろう。彼女の声が聞けないのは寂しいけれど、私にはこれしかない。

「はい、私が彼女を殺しました」
 あまりに私が平然と頷くので、警察の方が顔を顰めた。本当にと聞かれて、はい本当にと答える。嘘をついてメリットがありますかと尋ねると、警察の方は黙って何やら紙に書いていた。少し煙草のにおいがした。
 彼女はどうしているだろう。彼女の身内は皆んな死んじまったと昔話していたが、誰が彼女を引き取るのだろう。目玉のひとつくらいくり抜けばよかったと思ったところで、流石にこれは気持ち悪いと自分に震えた。
 必要最低限の物しかない部屋の中、「死ぬ為のシナリオ」の続きを脳内で書き進める。彼女が綺麗だと言った文章は、いつの間にか投げやりになり、崩れ、廃れ、穴が開く。彼女の心臓を抉った包丁で、知らぬ間に開けていたのだろうか。
 私は意気地無しだから、彼女に生きてくれと言えなかった。あんな真っ直ぐな目で殺してと言われて誰が断れる?私には無理だった。彼女が死ぬを救う手伝いをしたくて、言われるままシナリオを書いた。
 無理に生きろと言えば、彼女はきっと私に失望しただろう。私だって、きっと自分で自分に失望する。大切だからこそ、親友だからこそ、彼女を殺した。どんなに世間に蔑まれようと、私は彼女を救いたかったし、守りたかった。彼女にとって死は、破壊ではない。希望だったのだ。
 親友を殺すなんて残酷かもしれない。でも、本当に彼女が大切だったのだ。彼女の望みは、私のこの手でできることなら何でも叶えたかった。
 それにしても。
「最期は自分で決めてしまうのね」
 ずっと、私がいないと何もできなかったのに。私のやることを真似ていたのに。
 変わらないのは私と、この世界だ。
「あなたが私のことも殺してくれたらよかったのに」
 そう呟く私はまた意気地無しだろう。彼女が居なくなれば、文章すら碌に書けぬくせに、何を願う資格があるのだ。
不意に虚しくなった。
 私はシナリオライター。だから書かなければ。これからのシナリオを。私の為のシナリオを。
 もう彼女はいない。私は私で決めて、私を書くんだ。
 介錯の最期も明記した、「死ぬ為のシナリオ」を。

宜しければ。