ここがどんな場所であろうと、noteは言葉を一方的に放つ僕に合っている

395記事目。あと少しで400だって。一年半くらい続けてるなぁ。

たくさん書く時はだいたい「心に何か抱えてる時」なのだろう。書く頻度が上がった時から別の予兆もあった。実際、2月くらいから徐々に頻度があがって、今週見事に潰れた。無理矢理休まないといけない状態で、周囲に迷惑をかけることも分かってる上でお休みをもらった。糸が全部切れる前に手を止めたのはファインプレーだろう。よくセーブした。
今回思うのは、決して良くなる病ではないということ。本当に身に染みた。せめて、マイナスからゼロの状態になってくれればと、短い休息の時間と薬に期待するばかりだ。


病むんだ時はいつも、仕事観とか生活観とか、行く果ては生き方まで思考を飛躍させて遠く深くまで来てしまう。頭の中でいろんな思考や言葉が熱を帯びて巡りまわり、湧いては消えて、出てきては心にひっかき傷を遺して消えて、薬で無理矢理眠らせて、記憶は薄っすら、傷跡で思い出しかけて、、、
「意外と、そんなに思い詰めるほどのものじゃないんだぞ?」って方に優しく微笑みながら肩に手をやって言ってくれる人は、残念ながら僕の周りにはいない。


励ましの言葉をもらうなら、原因を自分で直視して乗り越える方法を考えたほうがいい、って思ってる節もある。乗り越えるヒントになるアプローチには耳を傾ける。けど、踏み込まれると「いや俺のことそんな知らなくせに…」って聞き流しちゃう。悪く言えば人のアドバイスを聞かないし、自分が決めたことには頑固だ。
いつだって、何かいい方法があるわけでもなく絶対的な正解があるわけじゃない。心の持ちようなんじゃないかって、そう思うようになった。心に重くのしかかっているモノがあれば、それを少しずつ軽くするしかない。僕にとっては『時間をかけて考えて、言葉にして、どこかに放つ』しかなかった。


noteは、そんな「どこかに放つ」ことでしか解消されない私にはぴったりなのかもしれない。何かを創りたかったという気持ちもあった。何より、PV数とかスキとか関係なく、自分が書きたいことを程よい距離感で「どこかに放つ」ことができたからかもしれない。

読者として楽しむこともあれば、書き手として何かを世に放つ。ただ、そんなに距離感を縮めなくてもいい。スキやフォローで「あ、この人いつも読んでくれてる」とかが伝わるくらいがちょうどいいや。
もちろん、励ましは嬉しい。スキもフォローも嬉しい。PVは地味に気にしている。頭の中では「PV数伸ばすには何が必要?」を頭の体操が如く考えることもある。

いわばアマチュアだし、別の仕事で食っていってるからこそ、好きにやっている。できれば楽に金を儲けたい。あわよくば唯一続く書き物で。ただし、新興宗教っぽく信者みたいなフォロワーを増やすようなことはしたくないし、後述のような「できないこと」はしない。


書きたいことのメインはここまで。あとは話がどんどん逸れていきます。


誰かが「noteはひとつの街だ」と言っていたのを覚えている。街という響きはいい。良い例えだよね、ほんと。
実際、フェスのように盛り上がってる企画会場もあれば、百貨店のようにひしめき合ってるハッシュタグもあるし。会員制クラブのようなサークル・マガジンも、馴染みの町の居酒屋・スナックっぽいところもある。コンビニのようにどんなジャンルの記事もそろってるし、一方でゴミの掃き溜め場のようなところも、火事場も事故現場もある。
いろんな記事を眺めるのは、街を散歩するような気分にもなれる。それもいい。ただ、治安は少々緩かったりする。そこも現実の街のよう。最低限の治安だけは保障されるが、運営/版元が発端となるトラブルもあるから悲しい。なーんかどっかの政治に似てない?とか言うと悪い表現になってしまう←
※とはいえ民間企業運営のメディアプラットフォームなんだし、個人的には害が無いのでnoteは支持しています。


激しい共感の輪に揉まれたことがないのだけど「何か言いたい人」は言わないと気が済まない。その形が多種多様すぎるってのがとても大変なのだろう。良い言葉はクリエイターとしては励みになるけど、悪い言葉はずっしり乗っかってくるもんね。言った本人はすっきり/言われた当人はだるおも……なんてよくある。
だからね、悪い言葉だと思ったものは触れないし放置するようにしてる。SNSでは相手のデータを消すことが難しかったりする。ツイッタランドはミュート・ブロックができるけど、noteでは設定できなさそうで「臭い物に蓋をする」ことはできないから、目を背けるしかできない。察知したら即座に避けることが大事だったりする。

『一人ひとりに寄り添った創作活動をしていきます』なんてのは誰にもできやしない。やるなら事業として、せめて運営/版元のようにチームを組んで取り組んでいくしかないが、それもきっと大変な道のりなのだろう。

僕はアマチュアさんなので、やりたいように好きなようにやっていく。そう、火事場であっても掃き溜めであってもいいんだ。だって「放って終わり」だから。そういうこともあっていいよね。
誰宛に向けるでもない、届けるでもない笹船のようなnoteを今後も書き続けていこう。

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urara
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