人生の「コントロールできない領域」を受け入れる
人生は、自分が直接コントロールできないことで溢れかえっています。
例えば、自然環境、世界情勢、他人の行動や思考、過去の出来事、未来に起こる事など、ほとんどの事柄は、コントロールすることができません。
コントロールできるのは常に「今ここの自分自身の選択」だけです。
あなたの選択以外に、この世界でコントロールすることができる事柄は存在しません。
ですが、多くの人は、無意識のうちに「コントロールできない事柄」を「コントロールしよう」とするために、苦しむのです。
今あなたが悩んでいることがある場合、それは本当に自分でコントロールすることができる領域なのかをはっきり見極める必要があります。
というか、ほとんどの場合、私たちは「自分ではコントロールすることができない事柄」で悩んでいるのです。
この事実をまず認識するだけで、不安感は薄れ、「今、何をするべきなのか」「今、自分にできることは何か」という前向きな発想に切り替わります。
そして、「コントロールできないこと」は、コントロールできないという事実をを受け入れて、それらを手放す必要があります。
コントロールに執着しても、コントロールを手放しても、どちらにしても人生をコントロールすることはできないのです。
本当の「願望」とは?
「では、人生で願望を叶えることはできないのか?」と思った方もいると思います。
結論としては、精神的な願望を叶えるための手段は無限大に存在しているため、自身の選択によってコントロールすることができるが、現実での物質的な願望は、他者や偶然の出来事の介入があるため、コントロールすることができない。ということです。
どういうことか?
本来、私たちの潜在意識が望んでいる”願望”とは「精神的な願望」です。
「精神的な願望」とは、"目に見えない願望"であり、「物質的な願望」の裏に隠れている、満たしたい価値観や欲望、味わいたい感情のことです。
それに対して「物質的な願望」とは現実でのお金や恋愛、人間関係などの"目に見える願望"のことです。
例えば、「お金持ちになりたい」という物質的な願望に対して「注目されたい」という精神的願望を抱いている人もいれば「家族から頼られる人になりたい」という精神的願望を抱いている人もいます。
人は、「お金」という物質が欲しいからお金持ちを目指すのではありません。
人は、「お金」を得た先にある、満たしたい価値観や味わいたい感情があるから、「お金」を求めるのです。
つまり「物質的願望」というのは「精神的願望」を叶えるための”手段”に過ぎないのです。
物質的願望は代用可能である
ここで問題になるのが、「特定の精神的願望は、特定の物質的願望でしか叶えることができない。」という思い込みです。
わかりやすい例で言うと、「私は、あの人と結婚しなければ、幸せになれない」といった思い込みです。
「あの人と結婚する」という物質的な願望の裏には、満たしたい価値観や欲望、味わいたい感情という精神的な願望が必ず存在します。
ですが、結婚することによって得ることができる感情や充足感は、「特定の誰か」という条件に縛られるものではありません。
今好きな人と同じくらい好きになれる人がいるかもしれませんし、今好きな人とは比べ物にならないくらい好きになれる人がいるかもしれません。
つまり「物質的な願望」というのは「他の物質的な願望」で代用が可能なのです。
だから、一つ一つの物質的な願望はコントロールすることはできないが、精神的な願望は叶える手段は無限大に存在する、ということになります。
物質的な願望の意義
では、「物質的な願望を叶えるための努力は無駄なのか?」というと、全くそんなことはありません。
そもそも「物質的な願望」とは、自分自身の人生における、進むべき方向や辿り着きたい地点を判断するための”道標”であると同時に、人生の”動力源”となる存在です。
物質的な願望があるからこそ、人は人生で成長したり向上するためのエネルギーが湧いてきますし、実際に行動に移す勇気や、達成感やモチベーションなど、あらゆる「前進するエネルギー」は、具体的で特定された物質的な願望があるから生まれるのです。
例えば「100億円稼ぎたい!」という物質的願望を持っている人がいたとして、その人が本当に100億円を稼ぐことができるかどうかという未来の結果は、その人は完全にコントロールすることはできません。
ですが、少なくとも「100億円を稼ぎたい」という願望が生まれてきたのは事実なわけで、「今のままの収入で、安定していれば満足だ」という価値観の人と比べれば、「経済的な豊かさ」に向かって確実に前進しているわけです。
今のままの収入で満足している人は、副業などにも関心を示しませんし、当然ビジネスの勉強などに自己投資しようとなどと思いもしません。
ですが、100億円を稼ぎたいと本当に望む人は、ビジネスや経営の勉強に時間もお金も投資しようと考えると思いますし、そうなれば、何も行動をしていない人と比べると確実に「経済的な豊かさ」という方向に向かって前進しています。
これは恋愛でも当てはまります。
「特定のあの人」との恋愛成就は、結果を完全にコントロールすることはできません。
なぜなら、他者の選択や行動をコントロールすることなどできないからです。
ですが「特定の誰かと結婚したい」という願望を抱く人は、その理想を実現するために自己成長や自己改善に努めるでしょう。
「特定の誰かと結婚する」という物質的願望が生まれたことがきっかけで、その人は自己成長に向けて積極的に動くようになったわけです。
物質的な願望があることで、自分の行動が意識的に変わり、結果的に成長を遂げるのです。
当然、こういった選択や行動をしていく中で、狙っていた通りに物質的な願望が叶うこともあります。
ですが、それらはあくまで結果論であり、最初からコントロールできたわけではないのです。
つまり、物質的願望自体が人生の方向性を示し、それに向かって努力や行動を促す原動力となるのです。
成功や実現そのものが最終目的ではなく、そのプロセスを通じて自分がどう成長し、どのような選択をするかが、「物質的な願望」の本当の意義と言えます。
そして、その過程で得られる経験や成長こそが、「精神的願望」を実現させるための大切な要素になります。
このように、物質的な願望は「実現するかどうかを完全にコントロールすることはできないが、精神的願望を叶えるための”動力源”となる」ということなのです。
物質的願望を"未来に仮置き"する
では、どのように「物質的な願望」を動力源として「精神的に願望」を叶えていけばいいのか?
感覚としては、精神的な願望を叶えるために、自然と湧いてきた物質的な願望を、動力源として”未来に仮置き”するような感じです。
あえて”仮置き”としているのは、執着することなく、柔軟に、自分ではコントロールすることができない人生の流れ(他者の行動や偶然の出来事)を乗りこなす必要があるからです。
どんなに努力していたとしても、それが他者の介入や偶然の出来事によって、現実で、特定の物質的願望は達成されないこともあります。
ですがそれは「精神的願望を叶えるための、手段としての物質的願望が1つ消化された」というだけなのです。
既にお伝えしたとおり、1つの「精神的願望」を叶える手段としての「物質的願望」は無限大に存在していて、代用が可能なのです。
だから、今のあなたの物質的願望を”未来に仮置き”し、進んだ先に障害物や壁があったのなら、柔軟に方向を転換し、また別の物質的な願望をまた先の未来に”仮置き”する。
このように、「精神的願望」をがっちり捉えたまま、「物質的願望」を柔軟に変えていく。
これが、コントロールを手放すということであり、”流れに身を任せる生き方”なのです。
そして、逆説的ですが、この「コントロールしない生き方」が身につくと、物質的な願望を叶える精度も高まるのです。
ということで、今回はここまで。