また、来週会いましょう うちのママシリーズ4
パパはその後、いつ出て行くか特に何も言わずにママとボクの家に居る。そろそろ3週間になる。
パパは来た時に比べると肌もツヤツヤして少し太った感じもする。元気で楽しそうにボクらと暮らしている。
〝ふつう〟が何だかボクにはわからない。とはいえ普通の家族とはちょっと違いルームシェアみたいな感じだ。
パパは基本一階にしかいない。朝ご飯はママの朝が弱いので、外に働きに行っているパパが来てから、パパと食べる。ご飯の準備は夜中にママがしておいてくれて、パパとふたりでよそって食べる。夜はパパの帰る時間が遅いので三人で食べる日は少ない。
夕飯はママとボクは先に食事をし、パパはラップしてあるオカズや鍋のカレーなんかを帰ってきて自分で準備して食べる。
ママと話し合ったのか知らないけど、洗濯物はパパはパパ、ボクたちはボクたちで洗う。ママはついでにパパの服を洗ってあげたりしない。
休みの日にはパパはリビングや廊下に掃除機をかけているし、お風呂は最後に入ったらパパが洗うことになっている。
リビングと続き間になっているテレビの部屋はパパに番組選択権やステレオ音楽権もない。パパは観たいものがあれば自分の部屋で観るようにママに古いパソコンを貸してもらっている。
パパはひとりで篭ってよく野球やサッカーなど観ているようだ。パパはパパで気楽で楽しそうにしている。パパのいる4畳半はお風呂と洗面所の隣にあり、リビングの丁度裏側の長い廊下を挟んだむこう側にある。その廊下には段ボールが積み上げられており、居間の音もあまり聞こえなそうだ。
パパが夜中に飲んで帰ってきてボクらがまだ起きていてリビングに居たとしても、ボクらに一度も顔を合わせずに部屋に行くことが出来る。
玄関から左へ行き、二階へ上がる階段下を通り階段の隣はトイレ。突き当たるとお風呂。そこをまた右へ曲がり真っ直ぐいくとパパの部屋だ。階段前にダイニングキッチンへの入り口があるのだが、その扉が閉まっていたら、パパはマンションの個室に住むようにボクらに挨拶もしないで自分の部屋へ入っていく時もある。
「お互い自由に。コミュニケーションには気を使わない。でもプライバシー確保には気を使う」
これはママが作った共同生活ルールだ。ママはパパが来た時に「ここにいるのは二週間なのか半年なのか?」と言っていたがパパが長くいて、お互いに負担にならないように決めてある。
パパは毎月ホテル代にかかっていた費用と食費や高熱費をママに払い、ママから領収書を書いてもらい保険会社に提出することになっている。
保険会社と管理会社はまだまだ揉めているようで、水道管が破裂したのだけは速攻で直したらしいが、水浸しになったパパの部屋には、まだ手をつけていないらしい。その報告を今日受けたら、ママはイライラし出した。
「揉めれば揉めるほど〝宿泊費〟という経費や〝交通費〟という経費がかかるのに、サラリーマンは会社のお金のために戦っているはずなのに計算ができないんだね」
ママかなり呆れてかなり怒っていた。
「さっさと直してから、お金のことは後から揉めれば良いのに。どっちかが払っちゃったら、もうお金を出してもらえない気がしちゃうのかね?それにさ、カズさんが外にいればいいればいるほどカズさんに対して慰謝料も必要じゃん。バカじゃないの!」
プンプン怒るママをニコニコ嬉しそうにパパは見ている。
「でも里央さん、ホテルにいた時は死にたいまで思ったけれど、ここに来てから僕は前より楽しいんだけど」
ママはまたタタッタタッタと足音を立てながらすごいスピードで走って、雑誌を取りに行き、丸めてパパの頭をパァーンと気持ちが良いほど音を立てて叩いた。
「カズさん!今はいいけど、保険会社や管理会社にそんなこと絶対言わないでよ!もし言ったらアタシこそ、裁判起こしてやる!」
パパは叩かれてもうれしそうに、頭をさすりながら笑った。
「里央さんは、優しいなぁ。そんなに心配しなくても、僕もそこまでバカじゃないよ」
ママはパパに背を向けて、タタッタタッタと台所に行きビールの缶を出してきた。プシュと音を出してプルトップを開けて、ごくごくとビールを飲む。
「カズさんがどの程度バカかなんて、アタシにはわからないよ!アタシたちの結婚生活はたった5年間で、その後7年も離れて暮らしてたんだから。わからないことと納得行かないことだらけだよ!」
深酒もしていないのに、黒いママ到来の予感にボクはママの側に行ってひとつの椅子に無理矢理ふたりで座った。
パパは何を言われてもニコニコしていて、ボクもちょっとイラッとした。ママはさらにイライラしていて、ボクは心配してママの手をギュッと握った。
「もう!もう、もう、もうもうもう〜!カズさん!アタシに今すぐ高いお取り寄せのおつまみ買って!やってらんない!」
ママはボクと手を繋いだまま、立ち上がって足をダンダンダンダンと踏み鳴らす。
パパはいそいそとママに借りてる古いパソコンを自分が使っている四畳半から持ってきた。
「里央さんどこのサイトから何を買えば良いの?」
ママはパパの頭を雑誌で3回叩いてから自分のお気に入りの店の名前を告げた。パパが店の通販サイトを開けるとママは指を刺してイカの塩辛と牡蠣の塩辛、イカのうに合えと明太子合えを指差した。
「これで良い?」
「1万円になった?」
「なってない」
「だったら送料で高くなっちゃうから何かを2本買って!」
「うん、イカの塩辛を二本買うね」
「カズさんと暮らすには私にはお取り寄せのつまみが毎月必要だよー!」
「そのくらいお安いご用だよ」
「バカバカバカバカバカバカー!」
ママは一際強くパパの頭をパシーンと叩いた。気持ちはわかった。パパと離婚になった決定打は、こういうところなんだろうなと思った。パパってココロがない感じがしてしまう。
パパはうちに来た日から、ママに出して貰ったTシャツと短パンを家で一週間着ていた。ママは嫌がって、パパが仕事に行ってる時にパパの洗い物の袋に放り込んだ。パパは帰ってから、洗い物の袋からそれをサルベージしようとしてママに見つかり、パジャマをスーツケースから出すなり買うなりするように言われた。
パパは「俺は、パジャマなど持っていない。俺は一人暮らしだからパンツ一丁で暮らしている」と言い張り、ママはまた自分のTシャツと短パンを貸した。
ママのこういうところもパパに甘く見られて増長させているのだろう。ママは何事も用意のいい人間だ。パパは今は居候だから、洗濯や掃除をしているけど、ずっとうちの家族だったら何にもしなかったに違いない。
「カズさんには昭和のマウント男の臭いと怠け者の香りがする」
これは、ママが言っていたわけではなく、ママの弟でボクのおじさんの紀ちゃんがうちに来た時に言っていた。
「厳しくした方がいいよ。姉さんは厳しくしきれなそうだから、時々様子を見に来るね」
ママは眉をへの字に曲げて情けなさそうに肩を落としていた。紀ちゃんはママより8歳年下の弟でまだ独身だ。ママはじいじとばあばにはなるべく自分のことは話さないで困ったことがあると紀ちゃんを呼ぶ。
紀ちゃんは一週間に一度やって来るが今日がその日だった。金曜日にやってくることが多い。夜19時ちょっと前に来る。
「こんばんは。姉さんこれ」
紀ちゃんは崎陽軒のシウマイとコシヅカハムとウインナー、コンビーフのセットを持ってきた。今日食べても後日食べてもいいように日持ちがする物を持ってくる。
「ありがとう。紀之はもう夕飯食べたの?」
「いつもながらまだだよ」
「今日はハッシュドビーフだよ。カズさん来てから煮込み料理多くて。揚げ物なんてずっとしてないわ。頂いたボロニアソーセージはちょっとサラダに乗せちゃおう。アタシたちもこれからなんだ」
チビはパパが来ると逃げちゃうけど、紀ちゃんはうちにずっと前から来ているので、紀ちゃんがいる時は食卓の近くで座っている。ママはボロニアソーセージを乗せた大皿のサラダを紀ちゃんに渡し、小皿も渡す。
それからハッシュドビーフをよそって紀ちゃんに三人分次々と渡した。パパは金曜日の夜は遅いのでまだ帰らない。
スプーンとフォークを持って、ママが着席する。
「ハッシュドビーフって酒にイマイチだけど、ちょっと飲む?」
「そうね、ワインなら」
ママはグラス2個とワインを出してきて紀ちゃんに渡す。紀ちゃんはコルクじゃない安いワインをパリパリっと開けて、ママと自分のグラスに注いだ。チビはワインやペットボトルのパリパリとしたパッケージカバーの剥いた物が好きなので紀ちゃんのところに取りに行く。それを食べもしないのにガシガシと噛むのだ。
ボクには麦茶が注いであり、三人で乾杯した。
「何の乾杯だか。なんだかアタシ疲れちゃって。別に労働が多いわけじゃないんだよ」
「そりゃそうでしょう。元夫が居るって特殊な状況だけど」
ボクは紀ちゃんの持ってきたボロニアソーセージを野菜より多めに取って、ムグムグ食べた。ボクはボロニアソーセージが好きなのだ。
「涼介は手がかからないから、余計にしんどいんだと思うよ」
紀ちゃんはボクを褒めながら、ブロッコリーをよそった。
「ホントにどうしてアタシとカズさんから涼介が生まれたのか謎なる天の采配だよ。涼介は紀之に一番似ているのかも。なんか顔も似てる。紀之も幼少期から賢人だったよねえ」
紀ちゃんは他の人から見たら笑っているかいないかわからない。でもボクとママには紀ちゃんがニヤけているのがわかった。
紀ちゃんはちょっと綺麗な顔をしていて表情が少ない。ママと顔は似ているんだけどママは表情が多いので全く印象が違う。ママはあっけらかんとして、年中バタバタ動いているけれど、紀ちゃんは動く音さえ立てず、毎日研究所に通う固いお勤めだ。私服で通っていていつもカッコいい。さぞかし、モテそうなのだけれどそれすらよくわからない。紀ちゃんは生活感が全くなく、匂いすらせずアンドロイドの様な感じがする。
ボクにはとてもいいおじさんで、今までパパの不在をあまり感じなかったのも紀ちゃんがカッコいいお父さんの様にボクの面倒を見てくれていたからだ。
そこにやってきた実のお父さんであるボクのパパは、紀ちゃんを7割引きにしたと言ってもまだ、足らないくらいだ。パパもそんなに醜いわけではないのだけれど、紀ちゃんがカッコ良すぎる上に本当に気が利くからだ。紀ちゃんはうちに泊まってもパジャマも持参して来る上、全員の洗濯物が朝起きたら干してあり、朝食まで作ってくれる。
パパはママが用意したご飯を一緒に食べてくれるし、お茶碗を洗うけどなんだか全般的にだらしない。今も帰って来ないけど、仕事というより紀ちゃんを避けて遅く帰って来ている様な気がする。
紀ちゃんは「義兄さん、あ、もう義兄さんじゃないから、僕もカズさんって言っていい?」と淡々と言う感じがもうピリッとする。
さらに「一旦、不義理をした家族のところに世話になるなんて、僕には考えられないなあ。姉さんは人がいいから、考えの足りない人間をダメにするタイプだよねえ」とサラッと話す。ボクがパパなら紀ちゃんからは離れていたい。
ボクらが夕飯を食べ終わる頃に、玄関から物音がした。パパが帰って来たみたいだった。
「ただいまあ」
パパがそう言った時は足音も立てないで紀ちゃんが玄関に立っている。
「カズさん、ふーん、ただいまって言ってるんだ。お邪魔しますとも言えないか。もう3週間も経つもんね。このままずっと居座る気はもちろんないよねえ」
「おお、紀之君、こんばんは。いきなりキツイなあ.相変わらず俺のこと嫌いだねえ」
パパは笑いながら通り過ぎようとすると、紀ちゃんはパパの腕を掴んだ。
「姉さんが夕飯作ってあるけど、食べないの?」
「あ、頂きます。まずは着替えて参ります」
「ふーん、いつもパンツ一丁じゃないんだ.へーえ」
ふたりの静かな嫌味と逃げの応酬に、ママは疲れたようにソファに横になった。紀ちゃんにパパを丸投げして、もう頭を空っぽにしたいに違いない。紀ちゃんは大きい声も出さないし、パパはパパで笑って逃げてばかりいるので放っておいて大したことにはなりはしない。
ボクはママのところに戻って、ソファに座ったらママがボクを抱きしめた。
紀ちゃんは「姉さん、カズさんが取った塩辛のお取り寄せが届いているんだよねえ。それをつまみにまだ飲もうよ。日本酒ある?」と言い出し、ネチネチとパパに過去のママに対する罪状と紀ちゃんの私見を言いながら、その夜はママもパパも酔い潰れるほど、牡蠣やイカの塩辛とサラダとハムで、恐ろしいような面白いような本音トークと嫌味のジェットコースタートークの不可思議な宴会をしていたのだった。
紀ちゃんも不思議な人である。紀ちゃんはやはり酔い潰れて、この日はさすがにソファに泊まった。パジャマは持って来なかったけど、替えのTシャツと元々パンツはスウェットスタイルで来ていた。
明日の朝も紀ちゃんのご飯がきっと出来ている。多分オムライスにハッシュドビーフがかかっているのだ。ボクは朝食を楽しみにベッドに入り、パパは紀ちゃんに引きづられて四畳半に放り込まれた。
また紀ちゃんは来週も来る。この次は何が起きるのかボクはちょっと怖いけど楽しみだった。
《了》