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「てまりうた」(童謡「山寺の和尚さん」の二次創作)

(説明)book shorts 第6回(2019年度)9月期 掲載。

↓以下本編↓

 事件を起こした会社員山寺について、周辺の人間はこう語る。
「仕事ぶりは真面目でした」
「いい旦那さんでしたよ、いつも奥さんと一緒で」
「中学で同じクラスでしたけど、地味で目立たない感じでしたね」
 最後にはお決まりの、
「あんな事件を起こすような人には見えませんでした」
という証言で締めくくられる。

 事件の二ヶ月前の朝。山寺はいつも通り家を出た。
「今日は遅くなるよ」
「分かった。無理しないでね。いってらっしゃい」
 出勤する山寺を妻が玄関で見送る。いつもの光景だ。
 山寺は小さな会社の営業職をしている。三十代は、まだまだ若手。地味な風貌と性格ながら、とにかく客の要望を聞いてこまめに動くので、成績はまぁまぁといった所だ。理不尽なクレームを受けてもぐっと堪える。会社の為、給料の為、妻の為・・・自分を抑えつける枷は幾らでもある。山寺は溜まったストレスを飲みに行って吐き出したり、休日にスポーツで発散するタイプではなかった。ただただ腹の底に澱のように、やり切れない鬱憤が溜まっていった。思いがけない発散法を見つけるまでは。

 それは山寺自身どうして自分が、と思う方法だった。きっかけは家へ帰る途中の公園に座っていた時。山寺はいつもこの公園で自分を切り替える。
 客の無茶な要求に応え、制作部門へ頭を下げ、余計な仕事を増やしてしまったアルバイトへ自腹でジュースを奢る。そんな苦労も上司にとっては当たり前のことで、評価の対象にはならない。家へ帰れば今度は良い夫の役割が待っている。
 ああ、そう言えば今日はお土産のコンビニスイーツを買い忘れた。太るんだけどなぁと言いながらも妻は喜んで食べる。
(買いに行くか)
 勢いよく立った時、足元から
 ギャッ!
と悲鳴が上がった。
「えっ?」
 黒い影が飛ぶように逃げて行く。野良猫の足か尻尾を踏んでしまったらしい。
「あ、あぁ。ごめんな・・・」
 逃げる影へ謝りながら、心の奥から初めての感情が湧き上がる。これは何だ。この感情は。

「山寺さん、何か最近明るいですね」
 会社の同僚にそう言われるようになった。
 快活な表情になり、積極性が出てきて、周囲の評判も営業成績も右肩上がり。それらは皆、初めて見つけたストレス発散法のお陰だ。
 あれ以来、山寺は毎夜公園へ寄り道をする。ポケットから猫餌を出し、人目につかない場所に撒いておく。
(今日あたり、やるか)

 んぎゃあ!んぎゃあ!
 深夜の公園に悲鳴が響く。トイレの裏に人影が動く。
「ほら、どうだこの、部長の、課長の馬鹿め」
 リズミカルに蹴り上げられる紙袋の中には、四本脚を一括りに縛られた猫。
「喚け、ほら、鳴けよ、この」
 紙袋を蹴り上げる山寺の顔は、地味で温厚な営業マンとは思えない程歪み、目の色が変わっている。
(あぁたまらん、この悲鳴・・・)
 罪のない柔らかい生き物を蹴り上げる感触、鼓膜を蕩かすこの悲鳴。
(なんで、今まで知らなかったんだ・・・)
 自分の何処にこんな残虐な部分があったんだろう。今しているのは悪い事だ、いけない事だ、ああ、なのにどうして、爪先股間脳天へと突き上げるこの快感!悲鳴は甘い麻薬となって鼓膜から流れ込み心臓を熱くする。一晩中でもこうしていたい・・だが、やがて悲鳴は止む。紙袋はぴくりとも動かない。
 山寺は公園を出て、紙袋を近所のどぶ川に投げ捨てた。そしていつもの地味で温厚な顔で家路に着く。
 山寺は用心深く、公園を転々としながらこの快楽を続けた。
 誰にも見られていない筈だった。

 ひと月も続けた頃か。どぶ川へ紙袋を捨てに行った時に視線を感じた。
 ぱしゃん。
 水飛沫の音が響く。山寺ははっとして周囲を見回した。
(誰か見ていた?)
 刺すような気配を感じた。ごみの不法投棄と思われたか。お節介な住人が証拠画像を撮影でもしてはいないか。しばらく待ったが、誰も何も言って来ない。
 用心深い山寺は暫く行為を控えることにした。
 当然、再びストレスは溜まっていく。三日に一度は発散していたものが、日に日に腹に溜まり内臓を焦がしていく。
「山寺、最近体調でも悪いのか」
 気遣う上司を睨み返す。
「あなた、少し仕事を休んだら?」
 労わる妻に怒鳴り返す。今までそんな態度を取られたことが無かった妻が泣き出すのを、うるさいとまた怒鳴る。
 職場の同僚は山寺の妙な癖に気づいた。デスクの下でぴく、ぴくと足を跳ね上げるのだ。貧乏揺すりとも少し違う。山寺は空想の中で、愛しの紙袋を何回も蹴り上げる。鼓膜の奥で悲鳴が聞こえる。だがそれは山寺が無意識に呟く独り言だった。
「ぎゃ、んぎゃ・・・」
 山寺は会社から強制的に休みを取らされた。
「いいな、病院へ行くんだぞ」
 上司が優しく、しかし怯えた目で囁いた。
(ああ、もうだめだ。もう耐えられない。公園へ行こう)

「なんだこれは」
 久しぶりに公園へ行った山寺が見たのは、
〈野良猫への餌やり禁止〉
の立て札。立て札に添えられた文章には
〈猫餌の残りに烏が集まり、公園で遊んでいた児童がつつかれる被害が出ました。また残飯が放置されると不衛生でもあり・・・〉
「猫が居ない。猫が」
 この公園でも、あの公園でも。
(そうだ、里親譲渡会で貰えば)
 しかし調べると、譲渡会で貰い受けるには住所氏名の記入と身分証明書の提示が必要だった。何度も繰り返すと怪しまれる。
(車で遠征して、離れた所で捕まえるか)
 いい大人が野良猫を追い掛け回すのを怪しまれずに済むか?車のナンバーを控えられたら?どうすればいい。いっそ知らなければ良かった。知ってしまったあの快感を諦めろというのか。町を放浪し、今日も夜の公園で蹲る。また、刺すような気配を感じる。
「誰だ、誰が見てやがる」
 ぎらぎらした目を闇に凝らす。誰も居ない。だが、見られている。こちらからは見えないのに、絶対に何かが俺を見ている。
 金色の丸いものが、闇に光った。
 丸いものが二つ宙に浮いている。近づいてくる。大きくなる。目。目だ。金色の丸い目が俺を。

(あぁ・・・聞こえる・・・)
 なんだ、聞こえるじゃないか。あの妙なる響き。ここにあるじゃないか、柔らかな感触。
 んぎゃ。んぎゃ。んぎゃ。
 あぁ可愛いな。もっと啼け。
 んぎゃ。んぎゃ。んぎゃ。
 ふふふふふん、ふふふんふん、そうだ、何か歌があったよなぁ。
 やがて恍惚から醒めた山寺が見たものは。
 自分が蹴り殺した臨月の妻と、臍の緒と、繋がったまま息絶えた我が子の姿。

「おい、何か聞こえないか」
「ああ。お前初めてか。中のあいつが歌ってんだよ」
 近所の住人の通報で山寺は捕まった。
「あいつ何やってんだ」
 留置所の中の山寺を覗き込んだ看守が同僚に尋ねる。
「さぁな。俺に聞くなよ」
 ぶちり、ぶちりと山寺は自分の髪の毛を引きちぎる。束で掴むので頭皮から血が滲む。殆ど丸坊主になってしまった。
「あれで精神鑑定受けて罪から逃れようってのかね。ふざけんなよ。あんな惨い事しておいてよ」
 看守は二人とも見ない振りをした。
「そういやあいつ、変な事言ってたらしいなぁ。ワイドショーで見たんだけどさ。俺は化け猫に操られてたって」
「何だそれ。ホントにおかしいのかな」
 ホントにおかしくなれたら、どんなに楽だったか。山寺は正気を保っていた。愛する妻と誕生を待ちわびていた我が子を、自分の足で蹴り殺した後でも。妻の腹部にくっきりと刻まれた足跡と、どこか自分に似た嬰児の死顔を見ても。
 山寺は、看守には聞き取れない位の小さな声で歌い続ける。

 山寺の、和尚さんは、毬がお好きで毬は無し、

 涙が溢れる。

 猫を紙袋へ へし込んで、
 ポンと蹴りゃ、ニャンと鳴く・・・

 あの子は生きてた。だって泣いたんだ。俺はあの子の産声を聞いた。

 んぎゃあ、んぎゃあ、んぎゃあ。

 山寺は極刑になるだろう。
 山寺が紙袋を流したあの川を、一匹の雄猫がじっと見ている。
 愛する妻と我が子の面影を、水面にゆらゆら追っている。


                     (了)

 ※申すまでも無い事ですが、本作に動物の虐待を推奨する意図はありません※ 

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