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「生者の書」(折口信夫「死者の書」の二次創作)

*第7回book shorts 10月期に掲載。

 眩しい。
 瞼を開ける、ただそれだけの動作に時間が掛かった。
「あぁ、お戻りになりましたね」
と誰かが言った。他の誰かが小声で
「7回目」
と呟いた。
 目は採光の調節に手間取っているが、経験から状況は分かる。
「・・・また生き返ったんですか」
「そうですよ。おめでとうございます」
 医師の愛想笑いも、見えずとも分かっている。
(そろそろ死んでも悔いは無かったんだが・・・)
 80歳。勿論、他人がもっと長寿を望むのを否定はしないが、儂はもう十分生きた。7度の結婚と10人の子ども。枝分かれして繁殖した孫たち。しかしこうして7回目の延命をさせられたということは、生殖可能と診断されたらしい。
 目が慣れてきた。視界に広がるのは真っ白な世界。
 白い壁。白いカーテン。白いシーツが敷かれたベッド。白衣の医師たち。生還する度に見る同じ景色。清潔な空間。医師の1人が容体を説明する。
「そうですか、分かりました。少し眠っても構いませんかな」
「どうぞごゆっくり」
 やれやれ・・・今度は自動車事故か。
 生き延びたと言うか、死に損ねたと言うか。まぁ良かった。何時かは死ぬにしても、準備は万端といきたいものだ。突然に死んでは遺された者が困る。今の妻は自分より50も若い。無邪気で純粋で可憐な、最新にして最愛の妻。彼女の為にも、もう暫く生きなければ。
 年老いた患者は健やかな寝息を立て始めた。

 医師2人は、患者が寝入るのを確認して病室を出た。
 若い方の医師が感心した声で言う。
「あっさりした爺さんですねぇ。事故で片足無くして、体の中の半分を人工臓器に取り替えたってのに。何者なんですか」
「知らないか?有名な書道家だよ。水墨画も描く。映画のタイトルを書いたり、海外のホテルのロビーに作品が置かれたり」
 年長の医師が幾つかの作品名を挙げると若い方も納得した。
「あー、あの人が。顔は初めて見たなぁ。それでですか、これだけ延命回数が多いのは」
「延命病棟の常連さんだ。外貨が稼げる商売で、生殖能力有り、犯罪傾向無し。国家としては長生きして稼いで納税して下さいってことさ」
「あっちの病棟とは真逆ですねぇ」
「あぁ、まぁな」
 二人は渡り廊下から反対側の病棟を眺める。安楽死病棟。
「ここで働いてると、自分は将来どっちなんだろうって思わないか?」
「はは、先輩ならこっちに決まってますよ。じゃ、僕はもう上がります」
 若い方の医師は話題から逃げるように歩き去った。残された年長の医師は渡り廊下のガラス越しに安楽死病棟を眺めながら、
「あっちの方が幸せかも知れんよなぁ」
と、呟いた。

 若い方の医師は仕事を上がり、久しぶりに学生時代の友人と飲んでいた。友人も医師だが、自分とは専門が違う。
「仕事どうよ。慣れた?」
「あー、もう大分。最初はやっぱ抵抗あったわ」
「うちの病院にも安楽死病棟はあるんだけど、全然交流が無いんだよな。正直どう?」
 友人は少し考え込んだが、
「うーん・・・延命と違って安楽は計画的だから、休みは取りやすいな。今は死に方も選べて苦痛も感じないし、殆どの人は納得して逝ってると思うよ。遺される家族も心の準備がしやすいんじゃないかなぁ」
「土壇場でゴネる人は?」
「意外と居ない。病棟みんなそうだから、同調圧力ってやつかな。ま、最後の最後に我が儘を言い出す人は居るけど。大きな声じゃ言えないんだけど、どうやら腹上死専門の商売もあるらしい。いや、病院が斡旋するんじゃないよ?本人か身内が、死期が近づいた時にこっそり呼んで、って・・たまーに、やたら綺麗でセクシーなお姉さんが見舞いに来たりするんだよ」
「それ違法だろ」
「うん、ま、場合によっちゃ目を瞑るよ。最後の最後だもんな」
「はー・・・」
「可愛いパターンもあるよ。皺々のお婆ちゃんのとこに、イケメンが見舞いに来るの。初恋の人にそっくりなホストを身内が手配してさ。お婆ちゃんがニコニコしながら手を握ってるのなんて微笑ましいよ。で、俺らがこっそり薬を注射する」
「いい夢見ながら逝くんだろうなぁ。それもいいな」
「な。死亡選択制度が決まった時、医者としちゃどうかと思ったけど、ここまでサービスが広がるってことは需要があったんだろうな」
「何だ、のんびりしてていいじゃないか。こっちは搬送されてきた患者の星が多いと緊張しちゃってさぁ。こないだ来た7回目の人も星5つだったから、こりゃ絶対生かさなきゃって病院も必死よ。評価に関わるから。評価が落ちれば給料にも響く」
「少子化は歯止めが効かないし、今キープ出来ている優秀な人材を長持ちさせようってのは分かるけどな」
「如何に生き如何に死ぬか」
「すみませーん、イカ刺しひとつ」

 翌日。若い医師は二日酔いの薬を飲みながら出勤した。
「え、何事ですか?」
 特別病室から叫び声が響く。例の星5つの書道家だ。廊下にはスーツ姿の若い男性と、先輩医師の姿。男性は書道家のマネージャーだと名乗った。丁度事情が説明される所だ。
「すみません。先生に、奥様が行方不明とお伝えしたらこんなことに」
「え?事件ですか?」と先輩が訊くと、マネージャーは決まりが悪そうに
「いやあその・・・美々様は大変お若くて美しい方で、先生も随分と入れ込んでいらしたのですが、全財産持ってトンズラされまして・・・」
「トンズラって貴方」
「あ、失礼。先生が延命されたと聞くや否や、莫大な資産を全て現金に替えて、何処かの男と愛の逃避行を」
「いや、言葉変えても大変な事態じゃないですか」
「そうなんです。あ、病院代についてはご心配なく。これまでの御恩もありますから、私が立て替えさせて頂きます」
「まぁこの患者さんの場合国の補助がありますから、それは大丈夫ですよ」
 病室から花瓶か何かが割れる音がした。
「先輩、かなり暴れてますよ?鎮静剤打ちましょうか」と若い医師が口を挟む。「打ったけどあの状態だ」
 流石に星5つ、お元気でいらっしゃる。マネージャーの証言は続く。
「こう申しては何ですが、以前から怪しいと思っておりまして・・・今回の自動車事故、前回の食中毒、前々回の崖からの滑落、前々々回の腹上死未遂。全て美々様とご結婚されてからのことで」
「最後のはともかく、それはまさか」
「見た目は美しいが金目当ての禿鷹女です。全て剥ぎ取られて先生はもうスッカラカンですよ」
マネージャーは少々口が悪い。

「うきゃーっ!!」

 高名な芸術家は猿のような奇声を上げて病室で暴れまわっている。マネージャーは案外平気な顔をして腕時計を見た。
「ま、そろそろ落ち着くでしょう。こんな興奮状態は、作品の制作中にはよくあることで」
 数分後中が静かになったのを見計らって、3人は病室に入った。

「こ、これはっ・・・」
 マネージャーが息を呑む。医師2人も室内の様子を見て棒立ちになった。真っ白だった特別病室が闇に包まれ真っ黒に・・・いや違う。墨だ。墨汁。激しい筆致で描かれた美女の肖像と、名前と、罵詈雑言、悪態の極み。語彙と怨念の限りを尽くしてトンズラした妻を罵っている。
「あ、あの女ぁ・・・」
 肩で息をしているが、その背中からは妖気が立ち昇っている。これが先日手術したばかりの80歳の老人だろうか。
「・・・こんな先生は久しぶりに見た・・・」
 マネージャーが呟き、そっと老人に近づいた。今、慰めてやれるのはこの男しか居ない・・・
「先生、最高じゃないですか!」
「「えっ?」」
 若い医師と先輩の声が同調する。
「やっぱり先生は、追い詰められると良い作品が出来る!特にこの書体は素晴らしい!漢字の一覧表を持って来ますから書いて下さい。絶対売れますって!いやあ、絵の方もいいなぁ。病院にお願いして保存してもらいましょう。壁を削ってアトリエに持ち帰るか・・」
「いっそこの部屋をギャラリーとして開放出来ませんかね」
 先輩が話に乗っかる。マネージャーも
「いいですねぇ!後ほど院長先生とご相談を」
 傍らで聞いていた書道家も呆れ返り、
「き、貴様ら鬼か!人の不幸を何だと思っとるんだ!」
「何を仰る。先生の今後を考えてのことじゃないですか。全財産失ったんですよ?また稼いでいただかないと」
 マネージャーの目が円マークにしか見えない。若い医師は若干の同情心を抱きつつ書道家に近づいた。
「あの、お体に障りますから、ベッドへ・・」
 書道家は泣いていた。悔し泣きだろう。
「う、うう・・・何故、何故儂を生かしたんです・・・こんな事になるならいっそ・・・」
「さぁ、肩に掴まって」
 その優しい腕を振り払って、またも書道家は暴れ出した。
「クッソおおおおおおお、勝手に延命なんかしやがってぇ!死なせろ、いっそ死なせろーーーー!」
 先輩医師が困り顔で言う。
「そうは言っても貴方、星5つですから。安楽死を希望するには高額な費用を納めないと認可が下りませんよ。今、お金無いんですよね?」
 マネージャーも追い討ちを掛ける。
「そうですよ先生。安らかに死ぬには稼がなきゃ」
「普通に死なせろやぁぁぁ!!」
 偉い芸術家がフンドシ振り乱して叫んでいる。若い医師が突っ立っている横で先輩が囁く。
「・・・まぁね。簡単に死なせやしないんだけど。まだ7回だし。延命の世界記録って、13回なんだよね・・・」
「せ、先輩?」
「ホラ。記録作っておけばさぁ。死ぬ時何かと有利かなって」
 マネージャーは独り言を呟く。
「えぇと、この書体で一稼ぎしてもらってと。先生はプレッシャー与えると燃えるタイプだからな。何処かでまた、ろくでもない女を探してくるか・・・」
 スーツ姿の尻に、先が鉤になった尻尾が見える。
「死なせろぉ、とっとと死なせろぉーーーーー!」
 義足を操りながら敏捷に跳ね回り、魂の叫びを筆に込め壁に叩きつける。本人には申し訳ないが、まだまだ死にそうにない。その書体は制作者の心境とは裏腹に生命力に溢れ、素人が見ても心が打たれる迫力がある。芸術とはそういうものか。

 半裸姿を墨と怨念に染める書道家。金と欲にまみれたマネージャーと先輩医師。白衣に飛び散る墨汁を眺めながら、若い医師は自らを省みる。
(え、俺、どうしたらいいんだよ。人を助けたくて医師になったのに。自分が助けた患者の姿がこれって、どうなんだよ俺・・・)
 無論、延命されて涙を流して喜ぶ患者も居る。この子を助けてと土下座をする親も、共に生きようと難病の患者に寄り添う伴侶も居る。俺の出す答えは・・・「うん、まだ分かんねぇわ」
 人間としても医師としても自分はまだ若輩だ。今の俺が判断することじゃない。多分、両方の経験を積みながら少しずつ理解していくのだろう。だからまだ今は、とりあえず。
「先生、落ち着かれたらご飯食べましょう。それからお風呂も入りましょうか」 
 若い医師の声に、書道家がぽかんとして振り返る。
「人工臓器ですからね、もう食事はとれるんですよ。美味しいものでも出前しましょ。で、暖かいお風呂に入ってリフレッシュ。後々のことはゆっくり考えましょうよ」
 若い医師がぽん、と肩を叩くと、気が緩んだのか書道家の瞳に涙が浮かんできた。
「う、うう。すまない。取り乱して・・・」
「大変な目に遭われたんだから当然ですよ」

 若い医師は優しく書道家の背中を撫でる。何だ、他愛ない爺さんじゃないか。気難しくてとても付き合っていられないなんて聞いていたが。若い医師の心に、この哀れな年寄りを慈しむ気持ちが生まれた。この患者が立ち直れるように寄り添ってやろう。自分に出来ることは何でもしてやろう。なんならいつか、打ち明けてやってもいい。
 お宅の奥さんウチに居ますよって。


                     (了)

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