佐藤紀毅さんっ!#1(レストランURATIE) ~うらほろ『人』発信 1人目
僕たち発信隊が浦幌町の魅力である『人』をインタビュー形式でお伝えする「うらほろ『人』発信」
1人目はレストランURATIE の若き店長、佐藤紀毅さんですっ
~調理師(サンジ)の道へ~
--はじめに、佐藤さんの経歴をお話ししていただけますか。
まず、中学校まではもちろん浦幌。これは浦幌で生まれたから変えられないよね(笑)
目立ちたがり屋の性格で、中学校では学級委員長、生徒会長から応援団長。オールコンプリートでしたね(笑)
高校に行くとき、浦幌高校があったらたぶん行ってたと思う。けど、それがなくなって芽室高校に進学。(地元の友達が)誰もいない高校だったけど、初日にたまたま隣の席の人が学年の番長だったんですよ!それでなんか舎弟みたいになっちゃって…それから自然に一年生からすげぇ目立つ人みたいになっちゃっいました(笑)
そのあとそのまま時間がたって、進路決めるとき「いやぁ、何も考えてねぇや」ってなって…その時に先生に呼ばれて「調理師どうだ?女子にモテるぞ」って言われて(笑)学校は「どうせなら北海道で1番有名な学校だ!」ってまた先生に言われて札幌の専門学校に。札幌で一人暮らしできるし最高だなって思ってました(笑)
そんな理由で札幌の調理師の専門学校に入学。その時にはすでに「調理師になるからには絶対地元で店出してやっから」って言ってました。将来のことをそこ(卒業時)で全て決めたって感じだよね。
--高校のときに調理師を進路に決めた訳ですね。では、小さい頃からの夢は?
小さい頃の夢はサッカー選手とか。でもすぐ挫折して、それから特に何も無かったね。スポーツトレーナーみたいなのに興味あったけど、それももうごく一部じゃん、プロ選手について回れるっていうのは。
--調理師は?
料理するっていうのは・・・たぶん、ばーちゃんが調理師で、ずっと給食センターで働いてたからっていうのもあって、嫌いじゃなかったから。あとは海賊王になりたかったか!!
--専門学校の生活はどうでしたか
専門学校にはフワフワした感じで入っていったから、実習とか行った時にめちゃめちゃやられましたね。「うわー、こんなん無理だー」って思った。もちろん多少料理やってた人が来るから、他のみんなは最初から千切りとかみじん切りとか、ある程度できるんですよね。俺みたいなフワフワしたやつが行ったら、みんなに「やってた?」ってびっくりされて…だけどその分、テストとか必死に勉強したよね。
後は…何よりもう札幌生活が楽しすぎて遊び歩いてましたね(笑)1番楽しかった二年間だったけど、人としては1番クズでした(笑笑)
そんなだからもう、実習の途中でホテルとかでの調理は無理だって思いましたよね。ボロクソに叩かれるし…もうすごかったから。そんなときに船と出会ったんですよね。船で働くことの説明聞いてたら、一人で調理できて、誰にも怒られないで、しかもお金は貯まるし、すごいいいじゃん!と思った。しかも、ONE PIECE超好きだから「サンジじゃん!」って。それで「よし、乗ろう」って決めて、面接の時にそのままストレートに「サンジになりたい」って言ったのね、そしたら受かって(笑)
〜船上コックの世界〜
--憧れが叶ったんですね(笑)船上コックとはどんな世界なんですか?
最初の方は一人で自由にできるなぁと思ってたけど、まぁ思った以上に大変だった。まず船によったら朝めっちゃ早くて4時半起きとかで。毎日三交代制で回って朝昼晩と作るんだけど、それを三ヶ月間休み無し!120連勤!!!で、その後一ヶ月丸々休みっていうサイクルだから、年に3回出勤すればいいけど、その3回が地獄!!!(船に乗るための)飛行機乗るまでが本当に行きたくないって思ってました。乗っちゃえばもう逃げれないから牢屋みたいな感覚で乗ってましたね(笑)
でも、船は何がいいって仕事で色んな港に行けるから!日本全国いろんなとこに行って、地元の有名な食べ物とか食べられたりするし、一回だけ海外でロシアに行ったんだけど…その時は色々あってあまり外に出れなかった。ゴミ捨ての時だけ外に出られて「ロシアのゴミ収集車でも見てやろうか」と思って…見たら日本製で、日本語で「バックします」って言ってて、何だよもうって(笑) あと、俺あんまり釣りとかしないけど、船の上ではなんせキャプテンが絶対だから、キャプテンが「刺身だなぁ」とか言ったら全員で釣竿持って全員で釣って、釣り上げたのを調理師がさばいて寿司にしたりとかして(笑)他にも船の上、一面の海原の中で焼肉なんてすっごい気持ちいいよね!
--本当に海賊みたいですね(笑)
【次回】
憧れの船上コック生活から「URATIE」に至るエピソードをご紹介します!
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