「食べる音楽」リターンズ
No.1 歌手の食欲について考えた
ドン・ジョヴァンニ:
ああ、なんて美味い料理!
レポレッロ:
(ああ、なんて荒々しい食欲!
巨人のごときひとくち!
俺は気を失いそうだ)
ドン・ジョヴァンニ:
(私のひとくちを見て
奴は気を失いそうだ)
料理をもて!
W.A.モーツァルト<ドン・ジョヴァンニ>第2幕17場より
歌手は食べることが大好きだ。もちろん食欲は第一次欲求であるから「食べることが嫌いである」と公言するひとは世の中そうそういない。しかし声楽業界には、世間一般に比べて、食にこだわるひとたちが格段に多い、と筆者は確信している。
試しにオペラ歌手の SNSをご覧あれ。稽古の後に何を食べたか、おすすめの店のランチがいかに美味しかったか、家で作った晩ご飯がどれほど上手に作れたか、などなど、食事の話題でいっぱいだ。旅公演でもあった日には、いったい演奏会で何を歌ったのか、肝心のプログラムはそっちのけで、公演先の名物料理の写真とグルメ・レポートで記事が埋め尽くされている。
旅公演がたくさんあるから、いきおい様々な地方の美味しいものを口にする機会が増え、結果として“食いしん坊ばんざい”な歌い手ができあがるのだろうか。しかしそれならば旅公演を行っている他の楽器奏者も歌い手同様、食に尋常ならざる情熱を傾けそうなものだが、そのような印象を受けることはあまりない(アルコールに関しては別の話である)。
昔からオペラ歌手のステレオタイプとしてあげられるイメージは、横幅豊かな体型である。一説によると、オペラ歌手が一公演で消費するカロリーはサッカー選手の一試合分と同じだという。試合中ずっとフィールドを駆け回っているサッカー選手に比べて、オペラ歌手がそれほど“運動”しているようにも見えないが、歌唱はコントロールされた激しい呼吸を繰り返すことに他ならないため、エネルギーを大量に消費することになるのであろう。ではなぜ、サッカー選手は筋骨隆々で、オペラ歌手は脂肪のよろいを身にまとうこととなるのか。
それは公演後、大概は夜の10時過ぎ以降にピッツァやら居酒屋ごはんやらを大量に食べるからだと思う。なにしろアスリートなみにカロリーを消費しているので、身体は自然とそのカロリー分を取り戻そうとする。しかし公演後は緊張からの解放感と達成感により脳内麻薬がだだ漏れ、垂れ流し状態。いきおい食べ過ぎ、飲み過ぎて、身体が失った分以上のカロリーを摂取することになる。その後アドレナリンによる興奮状態も収まり、公演後の疲労も手伝って満腹のまま眠りにつくと、就寝中に成長ホルモンが分泌され身体は見事クレシェンドする。
現在の歌い手はテレビ出演やDVD収録などもこなさねばならないため、天井桟敷から舞台を見たときにちょうど良い恰幅であればよい、というわけにもいかなくなってきた。しかし、わかっていても食への飽くなき情熱を止めることができないのはなぜだろう。その答えは明白だ。歌手は身体が楽器である。食べるという行為は楽器にとって最も重要なメンテナンスだ。それゆえ歌手は、最高の音楽を奏でるべく、今日もせっせとメンテナンスに勤しむのである。
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