自分の日々を生きよう
公園で親子がキャッチボールをしている。実際に親子なのかは分からないが、とりあえずそう思うことにする。
陽射しも和らいだ夕方で、こっちは酒を買うためひとりスーパーへ向かうところだ。
仕事はまだ見つかっていないが、それよりヨーロッパ文化に触れることにしよう。ワインでも飲んで。そんなことを考えて家を出た。
子供が投じる、まだぎこちないフォームからのボールを、お父さんらしき人が背伸びしたり、かがんだりしながら受け止める。
人はキャッチボールをするとき、単なるボールではなくそれ以上の何かをやり取りしている、、中学校か高校の時に読んだ文庫本で、誰かがそう言っていた記憶がある。
自分にも、我が子とキャッチボールするような日々がもしかしたらあったのかもしれない。そんなことを考える。そのとき、そのときを違う選択をしていれば、今頃は誰かと家庭を持って過ごすような日々がもしかしたら。
後悔や反省、というのではない。ただの想像、仮定としてそのようなことを考えてみる。
今のように一人で過ごす日々と、家庭を持って過ごす日々。どちらが幸せなのかはわからない。家庭を持っている方が、感じる幸せの総量は大きいのかもしれない。
そうなのだとしても、それはそれでいい。
自分が失敗だらけの人生を送っているのだとしても、それもまた、それで良し。自分の日々を生きよう。自分なりのベストで。強がる必要もないし、開き直ったり、反発することもない。
人と比べてもいいし、比べる必要がないと思えばそうすればいい。個人の自由。
湾岸からの風も涼しく、気持ちを穏やかに優しくしてくれる。
この世に生きる人すべてに栄光あれ。
(写真はアテネ・モナスティラキ広場)
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