『鬱の本』を読んだ
点滅社『鬱の本』を読んだ。
この本の存在を知ったとき、私がこれを読まないわけにはいかない、と感じ。
84名の「鬱」と「本」に関する文章。
1名につき見開き1ページなので、さっと読める。読みやすい。心の調子の悪めな時に読むとちょっと引きずられたけど。
各々にとっての「鬱」をテーマに書かれている。診断される鬱病だけではなく、それも含めざっくりとしたくくりの「鬱」。幅が広くてありがたい。
「鬱」という言葉に心当たりがある人は、トラウマや元々の性質などの影響で、物事に正面から向きあって、立ち止まったり受けとめようとしたりする人が多いのかな、と皆さんの文章を読んでいて感じた。
私も、これまで「そんなの意味なんかないよ」「考えすぎだよ」「気にしなくていいじゃん」と言われたり、そう思われそうだから口を閉ざしたりすることが数えきれないくらいあった。
この世の中、ひとつひとつ丁寧に向きあうには情報量が多すぎる、正しさを大切にするには間違ったことが多すぎる。のかもしれない。
ある程度適当に・鈍感にやりすごせる人は、うまくやっていけるのだと思う。世渡り。それも一つの生き方だと思うし、良いか悪いかは置いといて、正直うまい生き方だと思う。そちらにも苦労や葛藤はあるだろうけれど、世渡りができるに越したことはないのかもしれない。
でも私は、ついひとつひとつ向きあったり正しくいようとしたりして結果苦しくなるような人たちの丁寧さを素敵だと思っている。彼らが少しでも否定されることなく、少しでも“生きやすい”状態にあればいいなと思う。
そして、例えば感情、美、言葉、意味、正しさ、そういうところでつい立ち止まる、この「感性」みたいなのを持っていて良かった、と思わせてくれるのが芸術な気がする。私にとっては。
何かを気にしたり考えたり、というのは、すればするほど良い受け取りができそうだし、良いものを作れそうな気がするから。
「鬱」の程度も状況も人それぞれ。でも同じようなものを抱える者同士、何か分かちあえるものがある気がする。一番つらいときには読めなくても、あとからでも、仲間がいるとわかるだけで、苦しかったときの自分が救われるような気がする。
『鬱の本』というタイトルがなんとなくでも気になる方には、いつか必ず手に取ってもらいたい本だった。