"気にしてないよ"から考えた、精神年齢の低い僕のお話。
日記は6日目。
正確に言うと7日目のはずなんだけど、昨日おやすみしてしまったので今日が6日目ということにしておこう。
こういうちっちゃなところから習慣って消滅しちゃうから気をつけないといけないな、と思いつつ、今日も書いていこう。
今日の1日
今日はどんな1日だったかというと、正直特に話すほどの特別なことがない。
遅めに起きて、生活必需品を買って、大学に来て作品制作の作業をして、それだけだ。
でも、今日自分が考えを巡らしたことはあったので、それについて今日は書いていこうと思う。
気にしてないよ
「気にしてないよ。」
よく使うことばだと思う。
僕に限らず何かよろしくないことが起こった時に、皆が使うことば。
めちゃくちゃ私事なんだけど、先日、結構前から楽しみにしていた予定を知り合いにドタキャンされた。
誘ってきたのは向こうからだったし、実は半年弱前にも同じ内容の約束を立ててキャンセルされていたので、リスケくらいしてくれるのかと思いきや、ない。
その1件だけなら別に良かったのだけど、この人には他にも色々ともやもやすることがあり、シンプルに舐められているというか人間として大切にされてないんだな、と悲しくなった。
まぁ、僕の心が狭いのもあると思うけど…と書こうとしたけど、この話を知人にしたらほとんどの人から相手が悪いと言われたので、そうやって何かあったときの予防線を張るのはやめようと思う。
まぁそんなわけで残念な出来事があったのだが、先日、その約束をした相手と偶然出くわした。
開口一番、相手から謝罪のことばが出てきた。それに対して少し安心しつつ、謝らないでへらへらと笑っていてくれれば素直に憎むことができるのにな、なんてことを考えた。
僕は、出来るだけ平静を装いつつ、
「ぁーー、気にしてないよ。」
なんて答えた。
そのことばが口を出たときは何ともなかった。
謝られた時に誰もが、機械的に、毎度おなじみのように発することば。
あの場ではああ言うしかなかったとは思う。
でも、後になってどんどんもやもやが募ってきた。
気にしてないなんて嘘だ。悲しかった。
何より、僕が悲しんでいることなんて相手は気にも留めずにのうのうと生きているんだろうな、ということが苦しかった。
僕はそんなに大人じゃないから、大切にしてくれないなら、せめて爪痕を残したかった。後悔でも、悲しみでも罪悪感でもなんでもいい。ただひとつでいいから、心に穴を空けたかった。
伝えることの重要性
さて。そんな子どもの駄々みたいなみっともない感情は置いといて、僕は何を言いたかったのかというと、
"自分の思っていることは、ことばをぼかしてでも全て相手に伝えたほうが良い"
ということだ。使うことばと伝え方を考えるべき場合の方が多い気はするのと、あくまで僕個人の話なので、これに賛同できない方がいたらそれはそれでその考えを大事にしてほしいと思うのだけど。
自分の考えをことばに出して相手に適切なかたちで伝える、という当たり前のことが出来ないと、この人は何をやっても許してくれるんだ、と舐められる。大切に扱ってくれなくなる。
それだけじゃない。自分の考えを表現できない人に人は寄ってこない。面白みがないから。
自分がいくら何かしらの考えを巡らせていようが、それが表現されないのであれば、外界から見ればそれはないのと同じだ。
察しろ、なんておこがましい。
伝える努力をしない人間の考えを聞き出そうと思うほど人は他人に興味がないし、そんな時間も余裕もない。
だから、これからは何か思ったことがあれば、ことばを選びつつ相手にしっかりと伝えるということを習慣化しよう。
ことばに出してみればすごく陳腐で当たり前のことなのかもしれないけど、実際に体験し、そこから考えを巡らせないとそんな当たり前のことにすら気付けない。
そんなことを考えた1日だった。
逆コナン
…一応、お話が一旦着地したかな?
正直、どんな感じで一段落つこうか分からなくなっていたのだけど、どうにか着地点を見つけたようで安心した。
まぁ、この長ったらしくて画像も入っていない無味乾燥な文章をここまで読んでくれた人は分かると思うが、僕は精神年齢がそんなに高い方じゃない。
未だに、中学生や高校生が気づいているであろうことで悩んで、それに振り回されて生きている。
そんな自分が情けないな、と思う。
どうして自分はこんなに子どもなのかというと、おそらく、人よりも、見てきたもの、感じてきたものが少ないからだ。
おそらく、多くの人は思春期に(←ここ重要)本や映画やアニメなど、何らかしらのコンテンツを見て、こういうことを擬似的に体験し、成長してきたのだと思う。
だけど、僕はそういう多感な時期にテニスとゲームと勉強くらいしかやって来ず、皆よりも触れてきたものが少ない。
小学生の時はたくさん本を読んでいたので読解力は高くなったものの、小学生の時にただ好きというだけで触れるコンテンツと、思春期に悩んでその答えを出すために(そうでなくとも)触れるコンテンツとでは質が全く違う。
僕には後者が足りなかった。
結果、体だけデカくて精神年齢は低いという、逆コナンみたいな青年が出来上がった。
こんなんでも、高校ではかなり頭が良く、ものを知っている方だったので井の中の蛙状態になっていた。
だが、大学に入ってからは、自分の知らないことを周りは当たり前のように知っていて、友達や同級生との知識や教養の差を思い知らされるばかりである。
まぁ、一生井の中の蛙をしているよりか、自分がクソ雑魚なんだぞってことを教えてくれる環境に入れて良かったな、とは思うけど。
まとめと、今後。
さて、また着地点を見失いつつあるけど、これからどうしていこうかと言うと、
"僕の周りの人たちが思春期に体験してきたであろうコンテンツに触れてみる"
ということをしようと思っている。
名作と呼ばれる本、映画、その他諸々、皆が見てきたものを追体験する。
ヨルシカの作品に喩えたくなっちゃったので喩えるけど、まるで、エルマがエイミーの旅した街を歩くかのように。
かなり皆と比べて出遅れてしまったけど、今からでも遅くはないだろう。そうしたら、僕もちょっとは皆との差を埋められるかもしれないし、埋められないかもしれない。
でも、僕にとってこれは意味があることだろうと僕は思うから、やることにする。
まだ、何から見るのか、何から読むのかみたいなことがはっきり決まっている訳じゃないけど、今学期はそんな時間にしたいな、なんて考えている。
ただの日記のはずが、話が脱線してこんなところまで来てしまった。日常会話でもよくあることだけど。
さて、大体感情も吐き出したし、今後の展望も書けたから、そろそろ筆を置いて作品制作に戻ることにする。
書きまくっていたらいつの間にか更新が翌日の19時とかになっていたから、日記とは何だったのかという話だが…
まぁ、また今日のことは今日のことで、数時間後に日記を書こうと思う。
それじゃ、また数時間後に(?)。
(ヨルシカの作品のに関してはにわかなので喩え方間違ってたらごめんなさい、、!)