ちゃんとしてよ
僕は「ちゃんと」という言葉が苦手だ。苦手というか、嫌いだ。いつか、「ちゃんとやってよ」と誰かに言われたことがある。中学生のときの同じ委員会の女子だったような気がする。僕はあの子のことが嫌いで、あの子も確実に僕のことが嫌いだった。あの子は僕に何度か「私、あんたのこと、嫌いなんだよね」と言っていた。そう言われるまでのプロセスにも僕はあの子を嫌う要素があった。委員会の活動のある日を僕があの子に聞くと、「活動がある日は私から言うから、あんたから話しかけないでくれない?」と言われた。おそらくこれがあの子との初めての会話だった。自己紹介を除いて。なぜか毛嫌いされているなと思って、聞いてはいけないと思いつつも「僕何かあなた(実際は名前で呼んだが実名を出すわけにはいかないので)に何かしたっけ?」と聞いてしまった。あの子は案の定怒りながら、「去年のことも覚えてないわけ? 自分の心に聞きな」と言われた。僕は確実にあの子とはこの年初めての交流であったし、知ったのも僕はこの年同じクラスになって初めてだった。無知は罪かなどと覚えたての言葉を小さく呟きながらも、考えてみたがやはりそんな記憶はなかった。愚かな質問をしてしまったばっかりに僕はその日あの子に文字通り踏んだり蹴ったりされた。その姿を見た別の委員会の友人が後日、僕をなぜそんなにも嫌うのかを勇気を持って聞いてくれたらしく、その答えを教えてくれた。答えは、去年隣の席で授業を受けているときに、いつも私を「ブス、ブス」と言っていたから、だそうだ。そんなに根に持つくらいなら、犯人の顔は間違えてはいけないと僕は思うのだが、冤罪も冤罪である。まず去年同じクラスではなかったことから誤解をしないで欲しいし、そんなことは思っても(悪い)口には出さない。それでも弁解しようにも「私が1番正しい」と口にしてしまうほどの子だったので、僕は委員会が解散するまでの1年間、彼女に蹴られまくった。そんな彼女に毎度のように言われたのは、「自分の罪くらいちゃんと覚えていろよ」。それは僕のセリフである。「自分の敵くらいちゃんと覚えていろよ」
そもそも「ちゃんと」のラインは曖昧なのである。人によってその尺度は違うし、擦り合わせるのも大変だ。先日大学の授業をサボったら、講師からメールが届いた。「次回はちゃんと出席しましょう」この場合の「ちゃんと」はそこにいるだけでいいのだろうか? 途中で抜けても、寝ていても、「ちゃんと」に入るのだろうか?
辞書で調べてみると、「すべきことをきちんと行うさま(Oxford Languagesより引用)」とある。一般的にこの意味通り使われているだろうか? 僕はそう思わないが。言葉はちゃんと調べて、ちゃんとした使い方で、ちゃんと使いたいものだ。