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二百ラジオ vol.12

こんにちは、浦辺二百です。

二百ラジオ第12回のテーマは「忘れてしまうもの」です。
 
みなさんはよく忘れてしまったり、
思い出せないことはありますか?

僕はよく爪を切ることを忘れてしまったり、
出勤前は家に、退勤時は会社に
よくスマホを忘れていってしまったりしてしまいます。

そのほかには、返信しようと思って既読はつけたものの、
うまい言い方が思いつかなくて保留にしている
メールやLINEも忘れがちです。

爪を切り忘れたときは、
もう切るしかないのですが、
スマホを忘れてしまうのは、
どうしたらいいか対策を考えている最中です。

ただ不幸中の幸い、
家か会社にしか忘れたことがなく、
電車などではないので、
どこに忘れたかがわかっていることが非常に助かっています。

僕の大学時代の友達は、
よく電車やバスで忘れて、
一緒にいるときにその待機で予定が
潰れたことが何度かありましたから……

これはもう一番スマートなのは、
出発前に荷物を確認することなのですが……
なかなか思うようにその時間と気持ちの余裕が取れないものです。
これができたら、
きっと「忘れ物」という言葉自体からも
縁遠い存在へとなれるのかなと夢みるばかりです。

小学生の時に、朝早くにやっていた短い番組で、
忘れ物をテーマに3人のお笑い芸人が
歌って踊っているものを見て、
友達との間で密かに流行っていたものがありました。
その歌にはこういう歌詞がありました。

「心、亡くすと書いて忘れる」

その通りだなと思いました。

もちろん小学生だった当時には
ピンとくるものはなかったかもしれません。
ですが、長年記憶の何処かに張り付いて、
今まで覚えていたということは、
その時も何かしらの本質に
気がついていたのかもしれないと、
淡い期待を寄せるばかりです。
 
もう、成人してから数年が経ちました。
その間にも、世界で、僕の身の回りで、
僕自身のことで、いろいろと起こり、
世の中が動きました。

この数年で、以前よりも昔のことが遠いことのように、
でもつい最近のことのように感じます。
僕は幸い、親しい友達が東京の近辺に住んでいるので、
定期的に会うことがあります。
その度に、昔の話をしては、
懐かしみ、それでいて、
お互いに意外と覚えていないものだなと
感じることが多くなっています。

僕は、「懐かしい」と感じるものは、
「忘れていたもの」または
「忘れていくもの」のように感じています。
なぜなら、たいてい、
「懐かしいもの」を思い出すと、
「あ〜、そんなことあった!」
という反応になるからです。

文法的に解釈していくと、
「そんな」で自分から距離のあるもののように感じます。
「こんなこともあったんだよ」などと
「こんな」と使うだけで、
一気にその記憶と自分の距離が
近づいたような感覚になります。
つまり、手元にはまず残っていないことは
はっきりしていることと思います。

そして、「あった」という時には、
ほとんどの場合、
「それまでなかった」ことになると思います。
今この瞬間までなかったものが急に
(それこそ思い出されるように)見つかった、
そういう時にこそ、「あった」と使うような気がするのです。
 
「そんなこともあったなぁ」
とタバコの煙を吐くのが様になっているようでは
(そう言われてしまっているようでは)、
おそらく自分が思っているよりも
数倍忘れているものは多いことでしょう。

それでも、そうでもしないと、
新しいものを覚えて置けない、
だからこその忘れるだとは思いますが、
なんだか、小さい時はあんなに大事にしていた、
おもちゃを久しぶりに見るようで、
悲しい気持ちになります。

小さい頃には青龍偃月刀に見えていたあの木の枝も、
今ではただの木の枝でしかなく、
小さい頃には城や神殿に見えていたあの遊具も、
気がつけば「子供が遊んで怪我をした」
という理由で無くなってしまい、
想像だけで目の前に現実とは違う世界を
創造するまさにVRのような、
そんな純粋さも、
怪我をした子の容体はわかりませんが、
怪我を痛がりながらも
遊びに夢中で忘れてしまうような集中力も、
いろいろと忘れてしまっているのだなぁ
ときっと後で煙を吐くことでしょう。

それではまた。浦辺二百でした。ありがとうございました。

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