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砂浜に佇む彼女の背中は、救いを求めるようにも、すべてを諦めたようにも見えた――映画『マッダレーナ』
マッダレーナは、美しく官能的な女性だ。しかしその瞳には、満たされぬ欲望と、誰にも触れられない孤独が潜んでいる。夫は別居中でありながら離婚を拒み、彼女の自由を奪い続けている。一方で、彼女自身も虚しさを埋める術を見つけられず、くだらない連中と夜な夜な酒を飲み騒ぎ立てることで、一瞬の逃避を求めていた。
そんなある夜、友人がツマラナイ賭けで連れてきた青年司祭と彼女は出会う。初めて会ったその瞬間から、マッダレーナは彼に強く惹かれた――いや、彼こそが自分を救う存在だと信じたのだ。彼の堅い信仰心と静かな存在感は、彼女にとって未知の光だった。
しかし、その光を手に入れるための彼女の行動は過激で破滅的だった。彼女は司祭の働く教会に現れ、彼の家を訪れ、さらには街中で彼を待ち伏せる。司祭の心の動揺は次第に隠せなくなり、やがて彼はその教会を去る決断をする。避難先は、郊外の幹線道路沿いにひっそりと佇む小さな教会。そこなら彼女の目に触れることはないと思われた。
だが、彼の願いもむなしく、マッダレーナは彼の居場所を再び突き止める。司祭は彼女の熱情に追いつめられ、内面で信仰と人間的感情の狭間で揺れ続けた。逃げ場を失い、彼の中の秩序は崩れていく。
そして、司祭が決定的な場面を目撃する――マッダレーナが漁師と情事にふける姿を。彼女に対する微かな救いの期待は完全に裏切られた。これをきっかけに彼は彼女との関係を断ち切る決意を固める。
だが、マッダレーナは諦めなかった。ある日、夫の事故死という過酷な現実に直面しながらも、彼女はその事実をも自分の救済の道具として利用する。司祭を砂浜へと誘い出し、すべてを告白した後、裸の自分を晒し、彼にも服を脱ぐように迫った。波打ち際で二人はそのまま海へと入り、司祭は泳ぎながら自身の存在意義を完全に見失う。そして、彼は外海へと消えた。
残されたマッダレーナは、一人砂浜に戻る。波音だけが彼女の耳に届き、救いを求めた彼女の旅は、虚無の中で幕を閉じた。
『マッダレーナ』は、ただの愛憎劇ではない。人間の欲望、信仰、救済、そして破滅が交錯する深遠な物語だ。マッダレーナという女性を通して、観客は自らの中に潜む光と闇を見つめることになるだろう。その結末は、観る者の心に重く残る。
基本情報
監督:ジェルマン・ローレンツィーニ(Jeremiah Chechikとしても知られる)
主演:
リサ・ガストーニ(Lisa Gastoni)
エリック・ウィルヘルム(Eric Wilhelm)
音楽:エンニオ・モリコーネ
公開年:1971年(日本では未公開)
『マッダレーナ(MADDALENA)』は、1971年に公開されたイタリア映画で、エンニオ・モリコーネが音楽を担当した作品です。しかし、日本では未公開であるため、広く知られることはありませんでした。
それから約10年後の1981年3月4日、BBCのドラマシリーズ『The Life and Times of David Lloyd George』で、モリコーネの楽曲『Chi Mai(キマイ)』がテーマ曲として使用されます。このドラマは当時多くの視聴者を魅了し、『Chi Mai』は英国の音楽チャートで第2位にランクインするなど、瞬く間に注目を集めることになりました。
さらに同年10月21日、フランス映画『Le Professionnel』でも『Chi Mai』が使用されます。この映画では、ジャン=ポール・ベルモンドのカリスマ性と映画の緊迫感あるストーリーとが楽曲の印象を一層強め、フランスを中心にヨーロッパ全土で楽曲が広く知られるきっかけとなりました。この2つの作品の成功が相乗効果を生み、『Chi Mai』は世界的な名曲として認識されるようになったのです。
ちなみに『マッダレーナ』という映画そのものは非常に独特でアート的なアプローチを持ち、恋愛、内面の葛藤、そして宗教性が絡み合ったストーリーが展開されます。その象徴とも言える『Chi Mai』は、映画の中でも重要な役割を果たしましています。
Chi Mai
もともと、私は映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』と『ニュー・シネマ・パラダイス』を深く愛していました。それらの物語が持つ繊細でエモーショナルな感情の描写と、それをさらに引き立てるエンニオ・モリコーネの音楽は、私の心を掴んで離しませんでした。
ここ数日、その情愛がさらなる大きな炎となり、私の中でノスタルジーを伴いながら広がり始めました。モリコーネの音楽は、心の奥底の記憶を優しく呼び起こし、一切の過言ではなく、まるで失われた時を再び生きるかのような感覚を与えてくれます。私の中にある最も美しい感情の一つ、を。
さて、今回取り上げる『Chi Mai』という楽曲全体を通して漂うシリアスさ、楽曲の持つ緊張感と儚さは、マッダレーナという女性が抱える満たされぬ欲望や、孤独の中で救いを求め続ける彼女の姿を映し出します。
弦楽器は、柔らかいハーモニーと、二人の間に漂う緊張感をそのまま映し出しているように感じます。バイオリンが高音域で主旋律を奏でるその音色は、決して慰めるものではなく、むしろ空虚さや未解決の感情をそっと照らし出すかのよう。一音一音が抑え込まれたような強さを持ちながらも確実に響き、マッダレーナが持つ内なる孤独への救済を求める叫びに感じます。
そして、折りたたまれ合うかのように繰り返されるベースラインは、映画全体に漂う焦燥感や抑えきれない欲望を表しているのではないでしょうか。そのリズムは一見穏やかですが、次第に波紋のように広がり、胸の奥底に眠る不安や痛みを引き起こします。それは砂浜で一人佇むマッダレーナの背中に重なる波音のようであり、彼女の虚無感と諦念を静かに描き出します。
この音楽は、感情を直接的に爆発させることなく、むしろその抑制の中にこそ深い力を秘めています。静けさの中に潜む微かな悲鳴や、未解決のまま残された感情が、聴く者に問いかけます。それは、救いの光と破滅の影が同時に交錯する『マッダレーナ』という映画そのものを想起させるものです。
ただ、『Chi Mai』を聴くたびに湧き上がる感情は、明確に言語化できるものではありません。孤独と安らぎ、救済と諦念が入り混じるようでありながら、それらすべてが確信を伴わず、あやふやなまま心に漂います。もしかしたら、この曲が私に何かを伝えようとしているのではなく、私自身が何かを探し求めているだけなのかもしれません。
それでも、何度も繰り返しこの音楽に耳を傾けてしまうのは、そこにある「何か」に触れたいと願う自分の弱さと好奇心なのでしょうか。それとも、単に、この曖昧さそのものが私にとっての答えなのでしょうか。
この楽曲が放つ抑制された力と、隠された激しさは、映画の観客に自らの感情と向き合う時間を与えてくれると思います。波音とともに幕を閉じるマッダレーナのように、この楽曲は、聴く者の心に深い余韻を残します。
「心が打ち震える!」というわけではないのですが、なんでしょう。やはり曖昧な美しさみたいな感覚を得て、それがなぜだか心地よい。もう少し他の演奏も聴いてみたくなるほどの関心は湧いたため、今回はいったんのまとめ記事化をしてみました。
映画『Le Professionnel』から、The Original Movies Orchestra による演奏。収録は『The Very Best Of Ennio Morricone Vol.2』とのことですが、これはあまり心に響かない。オーケストラによるライブ向きなのでしょうか。
映画『ミッション』の楽曲「Gabriel's Oboe」も、映画の世界観と絶妙にマッチした素晴らしい作品だと思いましたがそこまで心奪われず。映画『続・夕陽のガンマン』の「The Ecstasy of Gold」はユニークだし、「The Good, the Bad and the Ugly」も格好いいけど今のところ「そこ」止まり。映画『夕陽のガンマン』『ウエスタン』『荒野の用心棒』は、んー、ピンと来ず。モリコーネおよび彼の音楽は、これからも学んでいきたいと思います。
おまけ
映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督が マエストロの葛藤と栄光に迫るドキュメンタリー
芸術の深淵を見た彼が、カメラの前で最後に語ったこととは?
2020年7月、世界は類稀なる存在を失った。
エンニオ・モリコーネ、享年91歳。500作品以上の映画とTVの音楽を手掛た。アカデミー賞®には6度ノミネートされ『ヘイトフル・エイト』で受賞、全功績を称える名誉賞にも輝いた。
そんな伝説のマエストロに、弟子であり友でもあるジュゼッペ・トルナトーレ監督が密着、結果的に生前の姿を捉える最後の作品となってしまったドキュメンタリー映画を完成させた。
モリコーネ自らが自身の半生を回想、かつては映画音楽の芸術的地位が低かったため、幾度もやめようとしたという衝撃の事実を告白する。そして、いかにして誇りを手にしたかが、数多の傑作の名場面とワールドコンサートツアーの演奏と共に紐解かれていく。さらに、70人以上の著名人のインタビューによって、モリコーネの仕事術の秘密が明かされる。
モリコーネのメロディを聴くだけで、あの日、あの映画に胸を高鳴らせ涙した瞬間が蘇る。同じ時代を生きた私たちの人生を豊かに彩ってくれたマエストロに感謝を捧げる、愛と幸福に満ちた音楽ドキュメンタリー。
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』
出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか
原題:Ennio/157分/イタリア/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕
翻訳:松浦美奈 字幕監修:前島秀国
配給:ギャガ ©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras
公式HP: https://gaga.ne.jp/ennio