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「忘れる」ということ

 YouTubeのショート動画で、晩年のトニー・ベネットが歌う姿を見た。アルツハイマーを患って、晩年は記憶も途切れがちで、誰がデュエット相手なのかもよくわからない状態だったそうだが、動画の中で、レディーガガに「フライミートゥザムーンを歌ってくれる?」と言われたら、変わらぬ艶やかな深みのある声で歌いあげていた。それがたまらなく切なくて、短い動画だったけれど、泣いてしまった。今も書きながら涙がこみ上げている。

 昔、仕事の関係で、認知症カフェに行ったことがある。認知症の夫とともに来られていた方と、少しだけお話をした。子どもはいない。夫は自分のことを忘れてしまっている。それでも、とその方は言葉を続けた。「紳士なところは変わっていないの。今でも、扉は先に行って必ず開けてくれるのよ」

 最後に、みんなで「星屑のワルツ」を歌ってお別れをした。その時、本当に思いがけず涙がこみあげて来て、泣いてしまった。いろんな思いが湧き上がってきて、耐えられなかった。職員さんに背中をさすられながら、みなさんが帰るまで、ずっと、ただ泣くことしかできなかった。

 忘れられてしまうということの、残酷さを思う。「記憶」が、その人を作り上げるのに、それを取り上げられてしまうことの残酷さを思う。本人はどれほどの苦しみだろうか。忘れられてしまった人たちの苦しみは、いったい、どれほどだろうか。それでも一緒に生きていくと選択した人の、苦しみは、いったい。この世からアルツハイマーも認知症もなくなってほしい。こんな残酷な病気は。

 あの日のことは、これからもずっと忘れないと思う。
「冷たい心じゃないんだよ 今でも好きだ 死ぬ程に」
歌っていた旦那さんと、それを聞いていた奥さんのことを。

 「さよならなんてどうしても いえないだろうな 泣くだろうな」
「別れに星影のワルツを うたおう…」

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