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20241022:書店の終わりというより、書籍を買うことが終わりつつある

出版関連の話は難しいけど、言いたいことは「本を並べてるだけの書店は潰れるだけだし、出版社も取次もそのままじり貧なのだから、人を書籍に注目させるために何をすべきか出版社・取次・書店が一体になって考える時期では」ということです。

海外文学ずっと読んできて、読書会という「読む理由」があった。
個人的には文学少し休憩という感じだけど、他の人はどうなんだろ。
本を読む意味ってなに?
今のわたしは文学を離れて、コケや地学について調べているから、自然科学の本が多い。
でも、一般的に「本を読む」というと小説を読むことを指しているような気がする。何年も小説の読書会をやっていたくせにこんなこと言うのなんですが、一旦小説から離れてみたらどうかなって。

時々Twitterで書店がつぶれるからもっと本を買えとか、作家や翻訳家にもっと還元しろとかいろいろ意見を見ます。
分かるよ、本を身近に感じている立場の人間からするとそう言いたい気持ちも分かる。
でも、世の中の多くの人は本を読まないんだ。残念ながら。
むかしはエッセイとか週刊誌で活字を読みたい欲求を満たしていたところ、いまはインターネットのニュースやら動画やらがある。
本を手に取るって相当な労力が必要で、労力がいることをする人は減ることはあっても理由がない限りは増えることはない。
さらに人口が東京に集中して狭い家に住む人が増えて、本を保管する場所を確保することだって難しい。自分より若い世代で本を集めてるって人の話はほとんど聞いたことがない。

そういう環境的な問題に加えて「どうして本を読まなきゃならない?」という問いには誰も答えてくれない。
「おもしろいから読んだらいいよ」くらいの軽い理由では読書に何時間も使えないし、おもしろい本にはある程度の知識量が前提になる。
その人を尊敬していてかつ「この本読んで人生変わったんだよ、読んでみる?」くらいの強い外的要請がないと、なかなか本を読むってことに踏み切ってくれる人はいないんじゃないか。
そういう視点から見ると、書店に本を読む動機がないのもそうだし、そもそも書店がないから本を必要としない・読まない・買わないというスパイラルみたいなのができていくんじゃないだろうか。

書店に入るだけで1000円みたいなお店を取次がやってるらしいですが、1000円というボーダーと、本を読みたい潜在層ってマッチングしてるのかなってふしぎ。
ライトノベル飽きてきたからもっとおもしろい本が欲しいとか、もうちょっと具体的な要望をすくい上げられるようになったらいいんじゃないすかね。
本を読んで自分が変わることができるというか、知らないことを知ることができて楽しいという環境を作ることが先なんじゃないかな。


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