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ぼくの琵琶湖探索紀


まえがき

急に物を書きたくなったので、先日ふらっと出かけた琵琶湖について書くことにする。昔から一人で旅に出かけることは好きだった。同行者のいる旅というのは面白いし、それはそれで一つの楽しさなのだけれど、やっぱり気を張ってしまって旅自体を楽しんでいる気がしないのだ。僕は美しいというか壮大な力強い景色を見ると一瞬で心がどこか離れてしまって、その景色に吸い込まれるような感覚になることがよくある。この状態はとてもそれ自体面白いから、旅というのはこの感覚を得るために行うものだという意識が自分の中にあるせいで、他人との旅が旅でなくなってしまうのかもしれない。それ以前にただ僕が気にしいなせいで、他人との沈黙が身がよだつ程に嫌だということも大いに関係しているのだろうが。
というわけで、僕は一人旅が好きというか、そうならざるを得ない状態なのだ。夏休みも後半に差し掛かり、本当に時間が余ってきた。家にいるというのは、なぜか、屋外にいる時よりも気が滅入りやすいことに気づいたのは5月中旬である。そういうわけなので、とりあえず外に出る理由として一人旅を選んだのだった。なぜ琵琶湖を選んだかといえばそれは単に海が好きだからである(これについてはまた書きたい)。ニセ海こと琵琶湖へ行けば、なにか面白いかなと思った、本当にそれだけのことである。

京都駅まで行く

現在僕は京都の大学生で、下宿をしている。今まで京都駅と下宿までの移動は、バスか電車のみであった。僕は、京都は狭い、という感想を抱いているのだけど、果たしてこの感覚はいったいどこから得られたのかは甚だ疑問である。だって、京都に来てからというもの移動は大学近辺だけであるし、大きい移動は地下鉄の京阪であるから、京都のき、いやkすら知らないはずである。というわけだから、初めて自転車を使って京都駅まで行ってやろうということになった。京都駅付近のどこに駐輪場があるのかなんて知らないけれどそれを現地で探すこともまた京都駅を探索する理由になるかなとも思った。
僕の家はほぼ神宮丸太駅に近いところにあるため、鴨川をずっと下っていくだけで京都駅には近づく。入学当初に自転車屋で一番安いのをと店員に言い購入した自転車を、こぎ始めた。鴨川はほんとうに面白くて、なんといってもいつでもあの独特の没入感を体験させてくれることである。底が浅く、かなりきれいな水が流れ、脇にはそれを映えさせるようにと植えられたような木々と舗装路(あれを舗装されたというかはわからないけれど)。しかし川特有のあの匂いを感じ、ああただの川なのかと気づくような、そんな川。
そこを悠々と下っていく。なだらかとはいえ京都駅に向かう方向へ下り坂になっているので、かなり気持ちが良かった。
ある程度のところで鴨川に沿う道を外れ京都駅のほうへ向かった。久しぶりのアスファルトは漕ぎ心地が段違いによかったが、それを邪魔するように京都の碁盤の道路に張り巡らされた信号が進行を遅らせる。そして京都の市街地は本当にしつこく、自転車の進行するレーンを指定してくる。広い道であればいいのだけれど、自転車と車が隣り合わせになるくらいのレーンを走れと指定される区間もあって、これは本当にきつい。そのレーン指定を守ろうとはするのだけど、やはり守れない区間もあって、まるで車がないときに赤信号を渡るのと同じようなあの罪悪感がわいてきて嫌なのである。とは言いつつ、とうとう京都駅の目の前、つまり京都タワーの根っこまできたのだけれど、やはり、というべきか、駐輪場が見当たらないのである。僕は自転車をこぎながらバス乗り場前を右往左往して駐輪場を探していた。すると、警官(警備員かな?)が不意にやってきて、ここで自転車に乗ってはいけないのだよ、ということを教えてくれた。僕はすぐに自転車を降りて、さっきまでに感じていた変な視線の理由が分かったような気がした。まわりにたくさんの人がいて、大体の人もこのような経験をしたことがあるだろうが、こういう時かなりきまりが悪いのだ。大抵ぼくはこういう時にしょうもない屁理屈を考えてしまうのが本当によくない癖で、単なる自己防衛でしかないのだけど、とはいえ、警官のいう「ここ」というのはどこを指すのだろう?僕は確かに京都タワーまでは自転車で来たが、そこからいったいどこの時点で降りればよかったのだろう?砂山のパラドックスみたくなってしまうかもしれないけれど、京都駅の自転車乗ってはいけないエリアはどこなのだろう?あるとしてどうやって決めたのだろう?砂山のように、人が集まっているところだろうか?砂山のように、それは境目がないのだけれど。なんにしても、こういう曖昧な指示というのはこの世界に多くあって、この曖昧さの原因はやっぱり言語にあると思わざるを得ない。まるでプログラミング言語や数学記号のように、どうか厳密に指示をしてほしいと願うばかりである。自然はこんなにも厳密なのに。
と、しょうもないことを考えて嫌な記憶を抑え込んでいるうちに少し奥まったところに駐輪場を発見して、そこに自転車を止めた。長いこと書いたし、自分でもこんなに言葉が出てくるものかと驚いたものだけど、ついに電車に乗って旅が始まる。

電車にのります

京都駅は見た目の大きさの割に、いろいろ機能がキュッと詰まっていて、そんなに広くない印象がある。だからどの線に乗るにしても大して苦労はないわけだ。しかし琵琶湖へ行くとは漠然と言ったものの、どの部位へ行くかは決めてなかった。ぼくは琵琶湖のあの広い青を見たいのであるから、なるべく海岸線(湖岸線?)に近い路線を選びたかった。路線図とにらめっこすると、どうやら湖西線(こさいせんと読むそう)が一番僕のニーズを満たしてくれそうである。湖西線は、その名の通り琵琶湖の西側を走る線で、地図で見る限りとことん湖岸線に近い。これがどこまで続くか、琵琶湖の西をどこまでとしているのかわからないけど、とりあえず行き先は乗ってから考えることにした。スタバで買ったアイスコーヒーを携えていざ乗車。ほとんどが二人掛けの椅子で、ところどころが反対向きになって、4人席になっていた。そして驚いたことに、乗っている客がほとんどいないのである。あんなに人でひしめきあっていた京都駅の二階の通路から一旦このホーム、電車にまで降りてみると人が極端に少なくなるこの事実が、意外で、面白かった。同時に、今から向かうところがあまり人気(ひとけ、にんき、の両方で読んでほしい)のないところなのだなとも感じた。たしかに琵琶湖の西側にある人気の観光地はあまり聞かない。琵琶湖バレイは聞いたことがあるが、あそこはどちらかというと自動車で向かうような場所だと思う。というかそれでわかったのだけど、わざわざ琵琶湖の西側に電車で向かおうとする人がいないのだ。大抵が車で行くような距離を向かうのだから当然と言えば当然だった。そして加えれば、人がいないということはまえがきに書いた通り僕にとってとても好都合である。意識に人、他者があるというのは、なんだろうとにかく負担になる感じがあるのだ(これもちゃんと書きたいかも)。
電車の中は不快にならないくらいの清潔さで、まあ気にならないからよしとしよう。

車窓

電車が発進した。これも自分ではなぜかわからないのだけど、乗っているものが動き出し、慣性力で体が席に押し付けられる感覚が、とても好きなのだ。リラックスとドーパミンの共存というか、とにかく脳が一瞬フワッとするのだ。例のように今回もその感覚を味わったわけで、湖西線さまさまである。京都を出て次に止まるのは山科だ。高速だったり下道で山科を通ったことは何回もあるけれど、それらは通るところが低い位置であるから、山科全貌を見たのはこれが初めてだった。なんという囲まれた土地だろう。こればっかりは、狭い、という感想を抱いてしまった。まず京都を出てからすぐにトンネルが始まることからも察しがついていたが、とにかく山に囲まれている。昔には、ここを中心として自治都市が形成されていてもおかしくはない攻めづらさだろうと思ったり。あと書くとすれば、山科という名前である。科をしなと読まされるこの屈辱。「やまか」だろう「やまか」。名前通りこの地は山科山目に属すであろうなこのやろうとも思った。とか考えていたらまた電車は発進する。続いてまたトンネル。このトンネルがうまい具合に場面を転換してくれて、車窓を見つつまるでひとつの演劇を見ているような、そんな感覚がした、というかそう思うようにしたら楽しいかなと思っただけだ。
次の場面ではもう早速主人公である琵琶湖が目前にあった。なんて広い!嗚呼、水よ!といった感想。その日は雲があるとはいえ晴れていて、空の青さと水とがあいまってやはり心を奪われた。電車が本当に適当に古いせいで、心地よい揺れを体に届けてくれるので、この美しい琵琶湖の沿岸を、いま実際に、移動しているのだという実感を与えてくれる。この、恍惚とした状態でかなりの時間を過ごしたと思う。乗るときはあんまり気にしていなかったけど、どうやら終点は近江舞子という駅だった。その駅は、琵琶湖をこん棒に例えるとすると、こん棒の取っ手をもう少し上った、ふくらみが出始めたあたりに位置している。そこから先にも行けないことはないが、乗り換えをして普通列車に乗り換える必要があるらしかった。また近江舞子周辺を調べると、駅のすぐ近くに海水浴場があり(海ではないことを気にしてか、ほんとうの名前は水泳場だった。そこまで気にする必要もないのにな)、だったらこの海水浴場で時間を過ごすかと心が決まったので、とりあえずの目的地を近江舞子にした。というように、湖を見ながらマップを確認して自分の位置を検査しつつ移動している感覚を得ようとしていた。するとどこかの停車駅で、途端に高校生たちが電車に乗ってきた。今乗っている車両におそらく7、8人の高校生が乗り込んだと思う、とても声が大きい。しかし、やはり僕がもう失ってしまった一種の若さ、純粋さを持った声だなと思ってしまって、嫌いになれなかった。僕は浪人を経て大学に入っているから、おそらく彼らとは3,4年の隔たりがある。今になって思い返してみれば高校生という時代はあまりに特権的であり、人生において象徴的である。そんな、人生の代表となるかもしれぬ時代を、彼らはこの湖の見える地で過ごすことができるということにかなり嫉妬してしまった。そして彼らはおそらくそれに無自覚である。そういう、特権的な幸せというのは、相対化されて初めて幸せたりうるのだなと思う。僕でさえ、高校時代は何も考えず、いや少しは考えていたようだが、往々にしてだらだらと日を重ね、アア早く大学生になりたいナアなどと考えていたことを覚えている。卒業して、大学に落ちて、浪人して初めて、あああの時代は良かったなあと本当に心の底から感じた。そしてその感想は今もあまり変わらない。だからこそ、今目の前にいる幸せに無自覚な彼らに嫉妬、あるいは怒りすら抱いてしまうのかもしれないなと思った。どうか君たちよ、今が楽しいことを自覚するのだよ…。彼らは4人席を陣取ったりほかの席を友達と交換し合ったりと、とにかくあまり落ち着きが感じられなかった。4人席を陣取る男子たちの会話が節々聞こえてくる。多分だけど、だれか先輩の悪口?というか不満を言っているようであった。悪口についてもまた書きたいことがいっぱいあるのだけれど、しかし彼らのそれは、僕からするとあまり不快になる悪口ではなくて、やっぱり彼らのことを嫌いにはなれなかった。駅に止まるたびに、高校生たちがどんどん電車から降りていく。さっきまではしゃいでいた4人席も今は一人だけである。4人席に座る一人ほど、哀愁を誘うものはないだろう。彼は何を考えているかわからない顔で携帯をいじっていた。僕はそれを横目に見ながら、湖を見ていた。一つ書くとすれば、途中駅に和邇という駅があった。何と読むのかわからなくて調べようと思ったけど、こういうとき、何をどう調べればよいのかわからないのだ。まず読みが分からなければ検索エンジンに打ち込めないので。これについてはある程度対策法を知っていて、その地区の周辺の店名を調べるのである。すると、たいていその地区の地名を使った医院だの飯屋があるのだ。例の如く、わに病院という名前の建物があった(詳しくは忘れたがこんな感じの名前)。わに!?カッコイイ!和邇をワニと呼ぶのか!とかなりの衝撃を受けた。住所を聞かれたときに僕も、和邇と言ってみたいものだ、書くときはかなり面倒だろうけど。

到着

そんなこんなで、数人の高校生とともに終点の近江舞子に着いた。電車から降りて高校生たちが走っていく。初めてきた場所だから出口がどこかもわからないので、とりあえず彼らについていくことにした。ホームには自販機も何もなく、階段を下りてもそれは同じことだった。改札は一つしかなかったが、かろうじて駅員は一人いるらしかった。高校生の後に続いて改札を抜けた。出口にあった周辺地図を見ると、湖岸はすぐ近くであったから、気の迷いもなくそこへ向かうことにした。駅を出て歩いていると、高架下にある駐輪場で先の高校生たちが自転車を動かしているのを見た。彼らはそこそこの雑談をしたのちに、すぐに各々の住む方面へ帰っていった。彼らはおそらく明日も会う。だからこそ、こんなにあっさりと人と別れることができるのだろう、あまりにも軽く、そして理想的で、安全な関係性だと思う。大学生になってからというもの、こういう安定した関係性が失われたように思う。そもそも大学にはクラス分けはあるけれど、その括りはないに等しいくらいに、授業はバラバラであり、サークル活動はあるとはいえ必ず来なければならないものでもないから、目的の人に会えることは確実ではないのだ。一つ一つのイベントがいわば一期一会になってしまっている感覚がある。
なんてことまで考えを闊歩させながら、湖岸まで歩いていた。

湖岸への道

人通りは全くと言っていいほどなかった。蝉が少しだけ鳴いていて、それがこの道の寂しさを増幅させたように思う。少し歩いていると、すぐに琵琶湖の青色が見え始めた。まず船着き場があって、そこの水と琵琶湖が連続していた。琵琶湖のどこから発生したかわからぬ波がその船着き場に入り込み、回折を起こしていた。その波は手前の穴に落ち込むようになっていて、ぐわぐわと揺れながら、変な模様を描いている。やはり自然は流体の不思議を見せてくれる。波ほど数学的なモノはないと思う。その船着き場を超えると、水泳場の入り口が見えてきた。ここは湖で遊びたい人に向けて作られた場所であって、更衣室だったり、ごみ箱、トイレが至る所にあった。湖岸と道路の間には松が植えられていた。

松の植えられた地帯を抜けて、砂浜まで歩く。サンダルで来たので、砂が足の隙間に入ってくるのに必死である。砂の侵入を避けながら、ついに砂浜まで来た。

琵琶湖がみえる

とても広い。海、湖の魅力はここに尽きると思う。絶対に届かないようなこの広さに心奪われてしまう。水泳場がゆえに、奥のほうに行けないようにする浮きが設置されているのが、純粋に湖を楽しめている感じが減って少し悲しい。とはいえ圧倒されて、もっと景色を楽しもうと砂浜に座り込むことにした。ただ厄介なのが、近くに、本当かどうかはわからないがおそらく東南アジア出身の人らが、大音量でおそらく彼らの母国の音楽であろう、を流していて、まさか異文化にここで触れることができるとは思ってなかったので面食らった。そして今日は別に異文化に触れたいとは思っていなかったので、もっと静かな、落ち着いた場所に移動することにした。
松の中を歩いて、さらに奥へ行く。
途中で気持ちよく眠る猫に会った。近づいても、チラッとこちらを見るばかりで、また眠り始めた。とてもかわいい。かわいいですね。かわいい。


かなり長いこと歩いたと思う、少し煙臭いBBQができる松の地帯を抜けて、だれもいない砂浜までたどり着いた。

とても清々しい気持ちになった。広いものを見ることのもう一ついいことが、自分が良い意味で矮小化されることである。この湖に対しての自分を捉えることで、ちっぽけな存在だと、心の底から認識できる感じがする。結局自分の小ささを認識して今ある様々な悩みも一緒に矮小化してやろうという、なんとも月並みな動機ではあるけれども、それでも心が楽になるなら、やって損はないと思う。30分くらいだろうか、湖の青、そしてその先の空気が色を霞ませた山々を見ていた。どの方向をみても、山があることがわかってしまうと、さっきの山科のような落胆を感じてしまう。どんなに広くてもやっぱり端はあるのかと思わせられる。オープンワールドゲームの端っこをみたような、あの落胆である。もっと広めて、世界にもやっぱり端はあるのかと帰納する昔の人の気持ちは、やはりよくわかる。地球が丸いことは後々わかって、それが常識となってしまったけど、その帰納法は未だ私たちの中に残っていて、だから宇宙にも端があるのだと考えてしまうのだろう。逆に端がなかったら無限に宇宙が続くことになるからオカシイ、という背理法があったはずだけれど、無限に広がっていることのなにがおかしいのだろうと思う。僕たちの感覚は無限を上手く捉えきれなくて、そこからすべての矛盾性が生まれてしまうのかもしれない。今のところ無限を知るのは、数学だけだと僕は思う。
…と思考が迷子になったところで、ちょうど波が寄せている向こうのほうに、一匹の野鳥がいるのを見た。おそらくアオサギである。


砂浜、奥にアオサギらしき影

本当に最近、『君たちはどう生きるか』を見たので、そう見えるようにバイアスがかかっているのかもしれないけど、とにかくアオサギがいた。僕と同じように、長いこと湖を眺めていた。僕はなんか、あの映画のせいだろうか、周りに人がいないからだろうか、そのアオサギに変な仲間意識を抱いてしまって、湖を一緒に見ていることが面白くなってきた。挨拶でもしてやろうと、近づいてみると、本当に少ししか近づいていないはずだけれど、バサッと羽を広げて飛び出してしまった。やはり体が重いからだろうか、素早く高く昇ることはできないようで、空気の合間を滑空しながら、そして半円の軌跡を描きながら、松のほうへ帰っていった。唯一の仲間がいなくなってしまってなんやら少し寂しい気持ちになってしまったが、その気持ちも消えかかるようにまた湖を眺めることにした。さっきの船着き場でも不思議に思ったが、琵琶湖には海同様、波があるのだ。海の波すら僕はどう発生しているのかなど知らないけれどとにかく、しっかりと周期的な波で、強弱はまちまちだが、本当に、この水が塩味であったなら海と間違えてもおかしくないと思った。というか、海も地球規模で考えてしまえば大きい湖なのだから、海と湖の区別は塩味できまってしまうのかもしれない。このとき湖の味は確認していないので、もしかしたらここが海となることもあるかもしれない、だれか余力がある人、琵琶湖の塩分濃度を確かめてきてほしい。というわけなので、その波を感じようと思って、ちょっとだけ湖に入ってみた。

冷たかったけど、耐えられないほどではなくてむしろ心地よかったのを覚えている。写真を見ても分かる通り、水が本当に綺麗だった。透明で、無色。波が適度に水をかき混ぜてくれて、いい気持である。この後のビショビショのサンダルの始末など考える隙などなく、リラックスしていた。
しばらく浸かっていて、満足したのでそろそろ帰ることにした。
おそらくだが、というかむしろ願望に近いのだが、駅まで歩く間にこのグチョグチョになったサンダルがカピカピに乾くはずだと勘定して、歩くことにした。ついでに、さっき見た猫をもう一度見に行くことにする。

すると、先の猫の他に4匹の猫がいた。写真はそのうちの一匹である。どうやら先の猫と違いほかの猫は人慣れしておらず、僕が近づくとすぐに逃げ出そうとしてしまった。だからむやみに近づくのはやめて、遠目から見ていた。人間を初めてみるような、そんな目で見られてしまった。ただかわいいです。かわいいですね。かわいいは無罪ですが、罪ですね。

先の船着き場まで到着したところで、おじさんが釣り竿を垂らしていた。
最初は素通りしたけれども、なんとなくここで何が釣れるのか気になって、また現地の人間と話してみたいとも思ったので、声をかけた。
「何か釣れましたか?」
「いや何も。ゴミ釣ってるだけ」
これで会話は終わった。たしかに釣っていたのは木屑でしかなかった。なんとも納得いかないような、不満足さが残る会話ではあったが、というか会話でもなかったが、しかしそれ以上聞きたいこともなかったので、素直に駅に戻ることにしたのだった。


大体17:10くらいに駅に到着したと思う。サンダルは予想に反して、そして願望の通りにかなり乾いていた。触れば湿り気は感じるが、とはいえ不快にならないくらいの湿り気であった。帰りの電車は17:26発であったから、かなりの時間待つことになった(このかなり、という判断は人によってまちまちだろうが、僕にとって電車をこんなに待つ経験は、それほどなかったのだ)。そして行き先を見てみると、姫路とある。姫路というのは、あの姫路だろうか?姫路城の姫路?でも姫路というのは、兵庫県にあるはずである。まさか、この琵琶湖の西から、電車一本で姫路まで行けるのか、と驚いてしまった。JR西日本の強さを思い知ったが、同時に、というよりもむしろ日本の狭さを実感させられた。確かによく考えてみれば、日本最大といわれるこの琵琶湖も、実際に見てみれば、向こう側の山々が見えるくらいの広さでしかなかった。こんな行き先の文字だけで世界の大きさが変わってしまうことは悔しいけれども、感じてしまった感覚には抗えないのです。

旅の終わり

ぼーっとして駅から見える琵琶湖を見ていたら、17:26もすぐであった。電車に乗り込むと、さっきと同じ配置の電車である。丁度良い2人掛けの席に座った。これで旅は終わりである。なんのこともない、ただ琵琶湖をみるために移動したに過ぎない。しかしそれでも家にいたのでは得られない幸福感があると、改めて思う。これからもまた行ったことのないところへ行きたい。
太陽は沈みつつあって、だんだんと景色も暗くなっていった。琵琶湖の青がどす黒く変色していくのを横目に、眠りについた。
しばらくして、大量に人が乗ってきた。一人で独占していた二人掛けの椅子に、もう一人が乗ってくる。ここでやっと、幻想的といえば大げさだがとはいえ非現実的であったこの旅に、本当の終止符が打たれたような気がした。その他人の存在によって、現実に戻された感じ。
そんな名も知らぬサラリーマンとともに、2つのトンネルを抜けて、京都駅へ戻った。京都駅は未だたくさんの人であふれていて、慣れないホームの階段を昇っていった。サンダルに挟まった砂もさすがに取れ切ったようであった。

おわりに

勢いで文章を書きたい!と思って、noteにすぐさま会員登録し、書きなぐっていきました。大学のレポートを書いていたときに感じたあの快感を、書き始めてすぐに感じていって楽しかったです。この快感はなにが由来で出てくるものなのかわからないけれど、とにかく不思議であるし、小説だの評論だの、人間みんな妙に文章を書きたがるなと思っていましたが、その疑問が少し解消された感じがあります。

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