見出し画像

アイスホッケー元日本代表キャプテン大澤ちほさんに聞く、逆境に負けない強さと目標達成の秘訣

世界の一線で活躍してきたトップアスリートから人生についてまなぶシリーズ第二弾。

今回インタビューしたのは、女子アイスホッケー日本代表のキャプテンとして3度オリンピックに出場し、日本のアイスホッケーを牽引してきた大澤ちほさん(以下、大澤さん)。

アイスホッケー選手としてのこれまでのキャリアや、どのようにしてオリンピックという大きな目標を達成してきたのか、そして大舞台でチームを率いてきたリーダーシップなどについて、お話を伺いました。

大澤さんから学んだことの要旨

目標達成の秘訣

  • ブレることのない本心から達成したいと思える大きな目標を設定する

  • 大きな目標から逆算し、細かい目標も設定しながら、具体的な計画を立てる

  • 計画が思い通りにいかなくても、引きずらずに、どうしたら良い方向に持っていけるか、”今”に集中する

  • コントロールできることとできないことを意識して、コントロールできること(例えば、自身の成長、環境への適応)に集中する

  • 時間をかけて大きな目標達成に取り組んでいくからこそ、オンとオフの切り替えを意識して、オフの時間も大切にする

良いパフォーマンスを出すための秘訣

  • 舞台に立つまでの準備で決まる。出来るだけの準備をして、自信を持って臨む

  • 自分自身で全て責任を負いすぎず、今自身ができるプレーに集中する

  • 自分しか持っていない強みを意識して、徹底的にその強みを磨き続ける


プロフィール

大澤ちほ(おおさわ ちほ)
北海道苫小牧市出身。6歳から元日本代表選手の父の影響でアイスホッケーを始める。ソチ、平昌、北京とオリンピック3大会連続で「スマイルジャパン」のキャプテンとして代表チームを牽引した。2021-2022シーズンをもって現役選手を引退。引退後は「大澤ちほスマイルプロジェクト」を立ち上げ、スケート教室やアイスホッケースクールの開催、講演会やイベントへの出演、試合中継の解説など各メディアへの出演を通して、アイスホッケーの普及活動を行なっている。


インタビュアー

箕浦 慶(みのうら けい)
Upmind代表。オーストラリア・パース生まれ。2015年に東京大学工学部を卒業、チームラボに入社。2016年までスマートフォンアプリのエンジニアとして開発業務に従事。2017年に米Bain&Company(戦略コンサルティングファーム、東京支社)に転職し、経営戦略の立案に従事。2021年にUpmind株式会社を設立。瞑想歴はゴア(インド)で体験してから10年以上。


左:大澤さん、右:箕浦(弊社代表)

箕浦 本日楽しみにしておりました。よろしくお願いします!

上手になることの楽しさに気づいた小学生時代

箕浦 最初に、小学生からのアイスホッケーキャリアについてお聞きできたらと思います。アイスホッケーは、いつ頃、どのようなきっかけで始められたのでしょうか?

大澤さん 父親がやっていたのと、アイスホッケーが盛んな苫小牧出身というのもあり、小学1年生の頃に競技を始めました。苫小牧の小学校ではスケートの授業があり、1年生の時にスケート靴を買う必要があります。当時、フィギュアスケートの靴かアイスホッケーの靴か選ぶ必要があり、そこでアイスホッケーの靴を買ってもらったのが始まりでした。

箕浦 小学1年生で競技を始めた頃から、すでに熱心に競技に取り組まれていたのでしょうか?

大澤さん いいえ。始めてからしばらくは、上手くなりたいという強い思いも特になく、小学4年生の時までは試合にもほぼ出られていませんでした。小学5年生になって試合に出るようになり、試合で何もできないのがとても悔しかったのがきっかけで、取り組み方が変わりました。

その頃から毎日自主練習もするようになり、6年生の時には苫小牧の選抜チームに女子で1人だけ選出されました。そこで選抜に集まっている上手い選手と一緒にプレーする楽しさを感じて、もっと自分が上手くなって、上手な選手と一緒にプレーしたいと思うようになりました。

それまでは、どちらかというとただのクラブ活動的に取り組んでいたアイスホッケーでしたが、「上手な人達とやることで、こんなに世界が変わるんだ」と思ったところからモチベーションが変わりました。

小学生の頃にアイスホッケーを始めた大澤さん


日本代表という目標から逆算して計画し、全力で過ごした中高生時代

箕浦 そこから中学に入学してトヨタシグナスという女子チームに加入されていますね。大人のチームだと思うのですが、どういった理由でそのチームに加入したのでしょうか?

大澤さん 小学生までは男子と一緒にプレーしていましたが、中学からは男女が分かれるため、苫小牧の社会人女子クラブチームであるトヨタシグナスに入ることになりました。女子アイスホッケーは中学や高校の部活動がなく、年代が上の選手もいる社会人チームに入部したのは自然な流れでした。

トヨタシグナスに入部して試合をする大澤さん

箕浦 大人のチームに加入されたことで年齢差や加入時の経験の差などもあると思うのですが、どのように環境に適応し、どのようなモチベーションで取り組んでいたかなどありますか?

大澤さん 日本代表に入ってオリンピックに出るという目標がすぐにできました。女子アイスホッケーは他のスポーツのように、全中やインターハイなどの中高生が目標にできるような大きな大会がありません。そのような環境だったからこそ、自然と、チームとしてのリーグ優勝などの目標の他に、自分自身の目標として、日本代表を意識するようになったのだと思います。そこからは日々、どうしたら日本代表に入れるんだろう、ということを考えながら練習に取り組んでいました。

箕浦 とても大きな目標だと思うのですが、中学生の頃からその目標のために具体的にとっていたアクションなどはありますか?

大澤さん はい。昔から、目標から逆算して計画を立てて取り組むのが好きだったので、オリンピックにいくために何をしなければいけないのかを計画して、それを日々こなしていくということをしていました。

具体的には、中学1年生の時はチームのレギュラーになる、中学2年・3年ではチームで活躍する選手になる、高校1年でチームを引っ張る選手にになる、そして高校2年・3年で代表に入る、ということを目標に掲げていました。そのために、今日何する、今週・今月何するという細かい目標を設定して取り組む日々を積み重ねていました。

箕浦 そういった小さい目標も設定して取り組んでいく中で、上手くいかないことや理想としていたタイミングとずれたりすることも出てくると思うんですが、そういう時はどういう風に対処されていましたか?

大澤さん そういった時は、どういう風にいい方向に持っていけるかを考えていました。もともと、失敗をあまり気にしないタイプなんです。起きたことはどう頑張っても変えられないから、反省はするけど引きずらずに、それを生かして次どうするかを考えるような習慣が昔からありました。

箕浦 過去や未来に捉われずに今に目を向ける、マインドフルネスに通ずる考え方ですね。そういった習慣が身についたきっかけは何かあったのでしょうか?

大澤さん 大きなきっかけというよりは自然に身についたという感覚ですかね。小さい頃から、今目の前のことに全力で取り組む習慣がありました。ホッケーだけではなく、勉強も遊びも好きだったので、時間が限られている中で、どれもやる時は中途半端にせず全力で取り組む癖が自然と身についたと思います。


強みを活かし、高校2年生から日本代表入り

箕浦 オリンピックを目指していく中で、高校2年生の時に日本代表入りされたと思うのですが、選出された時の心境の変化などはありましたか?

大澤さん 素直に嬉しかったですし、ここからもっと活躍したいと思いました。選ばれた当時はオリンピック最終予選という大きな大会ということもあり、ほぼ試合に出れなかったのですが、少し試合にでれた時にあまりプレッシャーを感じずに伸び伸びとプレーできたのがとても楽しかったのを覚えています。

箕浦 初めての代表としての試合でも、緊張をしないのはすごいですね。

大澤さん 基本、プレッシャーを感じないタイプなので、代表の活動だからといって特別な緊張というものはあんまりなかったです。ただ、自分に自信を持つための努力や準備をしておくことは意識していました。大きな舞台に立つ時にはなんの不安もなくいられるように、そこまでできることは全てやっておくようにしていました。

箕浦 かなり年齢が若い中での選出だったと思うのですが、経験という面で周りとまだ差がある中、意識されていたことはありますか?

大澤さん 若いからこそ、チャレンジし続ける姿勢を見せたいと思って取り組んでいました。氷上も陸トレも全部全力でやることで周りと差をつけるしかないと思っていました。

(心の声:すごいな、、。)

箕浦 上手い選手がたくさん集まっている日本代表という環境で、ご自身の強みとして認識していたことと、選出されてからその先も選ばれ続けるために意識されていたことはありますか?

大澤さん 絶対的な自信があったのはスピードで、そこは誰にも負けないと思っていました。だからこそ、スピードにはいつでも自信を持っていられるように常に努力をしていました。代表に生き残り続けるためには、自分が必要だと思われなくてはいけないので、自分にしかないものを活かし続けることが重要だと思っていました。自分の特徴を知って、そこをどう維持し続けるかを常に意識するようにしていた代表期間だったと思います。

日本代表入りした2009年にと2021年の大澤さんの比較写真

箕浦 自分の強みを認識して磨き続けていたのですね。一方で、代表に選ばれ続ける為には監督のスタイルや評価みたいな要素もある程度大切だとは思うのですが、そこに関してはどのくらい意識されていましたか?

大澤さん 監督が変わったり、他者にどうみられるかなどはコントロールできないところなので難しいですが、そこは、監督によって評価したいところや何に重きをおくかを探って、うまく対応するようにしていました。

私が代表にいる間に3人の監督がいたのですが、そのうち一人はディフェンシブなスタイルの監督だったので、体を張ってパックを守ることをすごく求めていました。私はそれがすごく苦手だったのですが、そこに向き合わないと必要とされなくなることはわかっていたので、その監督のもとではそういったプレイをより心がけるようにしていました。


日本代表のキャプテンとしてオリンピック3大会に出場

箕浦 その後、2014年のオリンピックのキャプテンとして出場されています。すごく若い年齢でキャプテンとして任命されているなという印象なのですが、任命されたきっかけや理由はあったのでしょうか?

大澤さん その大会から、キャプテンは選手間の投票で決めることになり、投票で自分がキャプテンに選ばれました。当時は20歳で下から4番目とか5番目だったので、選出されたことには正直びっくりしました。どんな練習やトレーニングも手を抜かずに全力でやるところは自分が選ばれた理由の一つだったのではないかなと思います。

一瞬不安になって、信頼する先輩にも相談したのですが、「大丈夫だよ、ちほならできるよ」と言ってもらった一言で不安も吹き飛び、自信を持ってキャプテンをやろうという気持ちになりました。

箕浦 そこからオリンピック3大会連続でキャプテンを務められたと思うのですが、キャプテンになって何か意識していたことや変わったことはあったりしましたか?

大澤さん みんなの話を聞くことを、より意識するようになりました。最初の方は、「自分の考えが正しい」とか「自分の常識が普通」と思っていて、自身の考えを押し通すタイプでした。

ただ、1・2年経ってチームの雰囲気がよくなかったりしたり、反感が大きくなってきたな、と空気で感じるようになり、「変わらなきゃ」と思いました。そこから、みんなの話をもっと聞きながらチーム作りをするようになりました。

キャプテンとして3度目のオリンピックでプレーしている大澤さん

箕浦 ずっと代表のキャプテンであり続けることへのプレッシャーなどはありましたか?

大澤さん キャプテンとしてのプレッシャーはほぼありませんでした。みんなで作るチームを意識していたからこそ、いい意味で、私だけのチームじゃないという考えがあり、チーム全体に対して責任を負いすぎずにいられたのだと思います。勝ち負けも最後についてくるもので、自分一人だけではコントロールできないから、そこへのプレッシャーもなかったです。

ただ、チーム作りでやりきれないことがあったらそれは自分の責任だなと思っていたので、自分のやるべきこととできないことを明確に切り分けるのは意識していました。

箕浦 オリンピック本番でも、あまりプレッシャーを感じずに臨まれたのでしょうか?

大澤さん はい、オリンピックには楽しんで臨みました。そこに出るまでの選考やトレーニングの方がキツかったので、最後はぶつけるだけだと思っていました。そこまでに準備をしておく段階の方が自分たちを追い込んでいる意識はあったので、オリンピック自体はそこまでプレッシャーがない感覚で臨むことができました。


高みを目指して海外にも挑戦

箕浦 日本代表での活動の他に、アメリカとスウェーデンでもチームに所属してプレーされていますね。それぞれきっかけがあったのでしょうか?

大澤さん アメリカのチームは、選手時代に所属していた会社の支社がデトロイトにあり、そこに1年海外研修という形で行かせてもらい、そこにあるチームでアイスホッケーをしていました。スウェーデンは、2018年の平昌五輪が終わった後に、自分をもっと磨きたい・何か変えたいと思い、挑戦することになりました。

スウェーデンのチーム「ルレオ」でプレーする大澤さん

箕浦 海外挑戦する上で難しい局面などはありましたか?

大澤さん スウェーデンのリーグでは1年間全く試合に出られないシーズンがあり、その時期は自分のホッケー人生の中で一番苦しいシーズンでした。その時は、コントロールできないことにだけ目を向けるとどんどんモチベーションが落ちていってしまうので、他者からの評価にだけではなく、どうしたら試合に出られるか、どうしたら自分が成長できるかに意識を向けるようにしていました。

コントロールできることに意識を向けて、その中で自分で成長できているポイントを見つけていくことでモチベーションを保つことができたと思います。

元々ポジティブなタイプなので、ネガティブな発想を持たずにポジティブに変換していく、小さな目標を作って少しずつクリアしていく、ということはうまくできていたのではないかなと思います。

箕浦 コントロールできることに集中して目の前のことをこなしていくというのはまさに、今私たちがUpmindのアスリート事業でマインドフルネスを通してアスリートの方に意識していただきたい点の一つでもあります。実際に海外でプレーして、アスリートとしてだけではなく一人の人として変化したと感じた点はありましたか?

大澤さん 海外では、適応力がないと選手としても人としても生き残っていけないことを痛感しました。監督に求められているプレーにどうあわせていくか、という適応力もそうですが、文化の違い、言葉の違い、自分の持っている感覚と違うものと出会った時に、どういったら対応していけるか、というスキルも身についたと思います。

箕浦 ありがとうございます。海外チームへの所属や3度のオリンピック出場を経て、2022年の北京五輪後に引退されています。引退のきっかけなどは何かあったのでしょうか?

大澤さん 引退のきっかけは、「選手としてもうできることはない」と思ったことです。もし北京五輪後に競技を続けるなら、4年後のオリンピックを目指そうと思っていたのですが、実際に北京五輪でプレーした時に、4年後に続けていたとしても、自分自身は現状維持かそれ以下だな、と判断しました。

また、スウェーデンでプレーしていた時に、アイスホッケーが国のスポーツとして盛り上がっている環境を間近で見て、アイスホッケーの普及活動に対して興味が湧き、日本でもアイスホッケーを広めていきたいと思うようになりました。

北京五輪後に自分が何ができるかと考えた時に、選手として現状のレベルをキープする4年間を過ごすよりは普及活動をしたいと思うようになりました。


引退してもアイスホッケーと共に成長していきたい

箕浦 これまでの経験を経て、過去の自分自身や今の若い方、日常生活を頑張っている方に、より良く生きるためのアドバイスを送るとしたらどういった言葉をかけたいですか?

大澤さん 日常生活でオンとオフを意識していただきたいな、と思います。ずっとオンだと疲れてしまうので、集中する時は集中して、オフの時間を大切にすること。そのためにも、自身に合うオフの方法を持っていることが大切だと思います。私の場合はお酒を飲むのが好きなので、1日の終わりにお酒を飲むのがオフの時間になっていました。

アイスホッケーに関しても、練習の時だけアイスホッケーのことについて考え、それ以外の時は極力考えないようにしていました。どうしても考えてしまいそうな時は、読書や料理をするようにしていました。アイスホッケー以外で仕事もしていたので、そういった業務もアイスホッケーについて考えすぎないようにするのに役に立ったと思っています。

箕浦 目の前のことに全力に取り組まれてきたからこその貴重なアドバイス、ありがとうございます。これまでトップで活躍されてきて、アスリートの中でもトップに行ける層と、そうでない層の大きな違いを感じる点はありますか?

大澤さん 最終の目標がブレずにそこに対して100%の努力ができることと、今何をすべきか見失わずにいることができるというのは大切だと思います。私もスウェーデンで試合に出れなかった時など、どうしても上手くいかない時はありましたが、そういった時になぜ心が折れなかったかというと、オリンピックに出るという大きな目標があったからでした。

また、目の前の結果だけに左右されないことも重要だと思います。今試合に出れていなくても、常に今どうすることができるかを考えて、左右されずに自分にできることを積み重ねていくことが大切だと思います。

箕浦 ありがとうございます。常に目標から逆算して計画し、今日できることに取り組んでいた大澤さんからのアドバイス、多くの人にとってとても参考になると思います。

最後に、今後どういった人生を歩んでいきたいか教えていただいてもいいですか?

大澤さん 時間はかかるかもしれないですが、日本のアイスホッケーがメジャースポーツになることを目指して盛り上げていきたいと思っています。自身の成長を助けてくれたアイスホッケー界と共に今後も成長していきたいです。

日本でアイスホッケーの普及活動を行う大澤さん

箕浦 貴重なお話をありがとうございました!大澤さんのこれからの挑戦も心から応援しております!

インタビューを終えて

大澤さんの「目標から逆算し、今日何ができるかを考えて全力で取り組む」姿勢や、「過去は変えられないからこそ、今できることを考えて次につなげる」という考え方は、私たちがアスリート事業でアスリートの方々に意識していただきたい、長期的な成功のための大切なマインドフルネスな考えそのもので、さすが、日本代表キャプテンとして長年活躍されてきた方だと深く感じました。
素敵な笑顔と共に、心に響くメッセージを多くの方々に伝えてくださり、本当にありがとうございました。大澤さんの今後のご活躍も心から応援しております!


大澤さんから学んだことの要旨

目標達成の秘訣

  • ブレることのない本心から達成したいと思える大きな目標を設定する

  • 大きな目標から逆算し、細かい目標も設定しながら、具体的な計画を立てる

  • 計画が思い通りにいかなくても、引きずらずに、どうしたら良い方向に持っていけるか、”今”に集中する

  • コントロールできることとできないことを意識して、コントロールできること(例えば、自身の成長、環境への適応)に集中する

  • 時間をかけて大きな目標達成に取り組んでいくからこそ、オンとオフの切り替えを意識して、オフの時間も大切にする

良いパフォーマンスを出すための秘訣

  • 舞台に立つまでの準備で決まる。出来るだけの準備をして、自信を持って臨む

  • 自分自身で全て責任を負いすぎず、今自身ができるプレーに集中する

  • 自分しか持っていない強みを意識して、徹底的にその強みを磨き続ける


スマイルプロジェクトについて

スマイルプロジェクトは、アイスホッケーの競技人口拡大と活性化を目指し、今回インタビューさせていただいた大澤さんが立ち上げられたプロジェクトです。かつて日本でも人気を誇ったアイスホッケーが、現在ではマイナースポーツとされている現状を打破するため、子どもたちへの普及活動やイベント、スクールや大会の支援を通じて、オリンピックやNHLを目指す選手の育成に尽力しています。アイスホッケーの魅力を広め、競技全体の認知度向上にも積極的に取り組んでいます。


最後に(トライアルの募集)

Upmindでは、大澤さんのように第一線で活躍することを目指すアスリートの方向けに、マインドフルネスを競技生活に役立てることのできるアプリを開発していきます。11月からトライアルでの提供を開始する予定ですが、アスリートの方で、いち早くトライアルで試してみたい方は、是非下記フォームから応募いただけると大変嬉しいです。


Upmind株式会社について

Upmind株式会社は、2021年5月に設立した、”人々の人生と心を豊かにする”をミッションに活動する、東京大学発のウェルビーイングテックカンパニーです。主に、100万以上ダウンロードの人気マインドフルネスアプリ「Upmind」を開発・運営(東京大学滝沢龍研究室とも共同研究、2023年グッドデザイン賞を受賞)。心に余白をもつことの習慣化を支援するための事業を企画しています。


いいなと思ったら応援しよう!