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妄想の泉が枯れ果てた30歳女の恋愛葛藤

妄想は「欲望」から生まれ、「幻想」は無知から生まれる。
では、欲望に蓋をして中途半端に物事を知ってしまった私は…


物事を悪い方に考える癖がついていた。良くない方向にばかり想像力が働くものだから、応用すれば何か創造できるかもしれないと、恋愛の物語を書こうとした。恋愛感情がわかなくなっている私でも、想像だったらこんな恋愛がしたいとか考え付くかな、なんて軽い気持ちで書き出した。しかし肝心の相手の男性像が全く見えない。

学生の頃だったら、理想の人と付き合ってしてみたいこと、行ってみたい所とか色々思い浮かんだし、常に妄想していた。突然教室の扉が開いて王子様が現れて私をさらっていってほしいとか。とにかく人に好きになられてみたかった。告白されたかった。でも現実で何も起きないから恋愛シミュレーションゲームに没頭した。ゲームだとしても「お前が好きだ」とか「お前って、かわいいよな」とか言われればたまらなくうれしいし、好意を寄せられることに大変喜びを感じてやめられなかった。

しかし、今は現実で人に好意を向けられると気持ち悪いと思ってしまう。恋愛シミュレーションゲームをやっても現実の自分が脳裏にこびりつき集中できない。特に性格や姿勢をゲーム内で肯定されようものなら、それは偽りの姿で現実の私は…と気持ちが沈む。フィクションにすらいらんことを考えてしまう。

そもそも私の場合妄想がはかどるのは、そこに十分な「余白」かある場合だ。例えば学生の頃はオフィスラブとか年上の男性に憧れたものだが、現在会社勤めで年上の男性と日常的に接していれば、もうそこに幻想を抱くような「余白」はない。年上の男性への憧れは次第に打ち砕かれ、何一つ残らなかったのだ。年上の男性は落ち着いていて、余裕がある素敵な大人だと思っていた。しかし、年上だからといって必ずしもそうとは限らない。落ち着きもなく、余裕もなく、まるで子供のような年上の男性もいる。実際、男女を問わず素敵な大人になかなか出会わない。私自身も素敵な大人ではない。年を重ねたからといって自然に素敵にはなれないのだ。このように、物事を知り経験する中で現実に直面し続け、色々なことに「余白」がなくなっていった。

また、妄想は欲望から生まれるものだ。現状では恋愛感情に蓋がされており、欲望が湧き上がることはない。「余白」もない、欲望もない。私の妄想の源泉はいつの間にか枯渇してしまっていた。もうそれはそれで良いじゃん割りきって生きれば、ではない。そんな簡単な話で終わるならぐずぐず恋愛について何回もnoteに書いていない。そこに希望があるかもしれないとも思ってしまうから、諦められない。

でも、もし何らかのきっかけで、しかも最悪の形で、恋愛感情の蓋が外れて欲が湧いたら?老いにより選択肢が大幅に狭まったころに蓋が外れても困る。それに、今後一生蓋が外れなかったら?できたかもしれない素敵な恋愛の可能性を潰してしまうことになるかもしれない。どうしたって割りきれなくて、不安がなくならない。

普通に人を好きになってみたい。恋愛をもっと気軽に楽しんでみたい。でも、自分が恋愛すると思うとやっぱり気持ち悪い。人に執着されると思ってしまって、良いことに考えられない。別れたらストーカー化して殺されるかもしれない。別れたら私の弱みを握る敵になるかもしれない。信用させて金をむしりとる手口かもしれない。好きの先に絶望が待っているかもしれない。信用できない。そして、そんな関係を持つことはリスクだと考えてしまう。

恋愛しても絶望、しなくても絶望。でも希望の可能性も捨てられない。どうしたらいいか分からない。何で皆はこの未知に人生をかけられるんだろう?人を好きな状態って、頭がバカになっている。そこにつけこまれて搾取されそうで恐い。私は人よりバカだから、利用されるかもしれない。

ほら、ほらほら!悪いことばかりに想像力が働く!
もーー誰か治して私の脳!

もし、普通に恋愛ができたなら。お互いを尊重し、尊敬できて支えあえる一生のパートナーができたなら、素敵だろうな。そうなれるならなりたい。

そんな未来のために、考えることはやめないでおく。考えるからダメなのかもしれないけど、考えなしはやっぱり危ないことだ。だからこれからも考え続ける。納得のいく答えが見つかるまで。



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