学校の授業は体育と音楽以外いらない

最近ツイッター見てたらこのツイートでスポーツ経験のない男たちが猛反発してたのだが、厳しいって、と思いました。今の子供が野球のルール知らないのはそうだと思うんですけど、それを言い出したら数学とか英語も途中でルール覚えてない人って置いてきぼりになるじゃないですか。一回説明してるかどうかは違うって思うかもしれないですけど、皆さんも単行本の途中まで読んだワンピースを今のジャンプから読まされるみたいな気持ちになって授業受けてたでしょ?要は前提知識がないからついてけないってことですよ。
まあこんなツイートの是非はどうでもよくて、自分がしたい話をします。

メンズコーチのジョージ曰く、部活で競争をしたことない男として厳しいということでしたが、私はそうではなくて、学校の授業において、ほとんどの授業って一人でもやろうと思えば出来てしまう事にあると思います。
学校の授業においてソロじゃなくマルチプレイが必要な授業というのは2つしかなくて”体育”と”音楽”だけだと思うんですよね。

今までの全員のレベルに合わせた教育というのは効率の面ではいいのでしょうが、今教材が溢れかえってる時代を考えると、先生の話を聞くよりもそれぞれのレベルに合わせた授業の動画をそれぞれ見てた方がはるかに学習出来ると思うんですよね。
このままだと、ゆたぼんみたいに「学校なんて行かんでええ!」って言いだしそうな雰囲気なのですが、それでも皆さんと同じく、学校を必要だと感じるのはやっぱり勉強以外の要素が学校にはたくさん詰まっているからでしょう。
同級生の存在だったり、友達だったり、好きな異性が出来たり、部活をやったり、と勉強よりそっちの経験のがはるかに大事なんですよね。

要は自分以外の他者と協力したり、喧嘩したり、競争したり、上手くいかないという事そのものが必要だってことがジョージもゆたぼんアンチも言いたいのでしょう。

それを考えるとやっぱり学校の授業って"体育"と"音楽"以外はほとんど一人で家でもやれちゃうんですよね。
体育はわかりやすくて、スポーツは協力型が多いので、皆さんは運動音痴でチームの足を引っ張ることでスポーツそのものが嫌いになっていくのがお約束じゃないですか。例にもれず私も球技で足を引っ張るタイプでしたが、今にして思えば、この足を引っ張るという経験そのものが貴重であって、社会に出る前のワンクッションとしては素晴らしい理不尽を体験できる良い授業だったなと思います。社会ってこういう事かっていう疑似体験ですよね、まぁ働いたことないんですけど。
音楽も合唱コンクールだとか、クラス全員の協力がいきなり必須になる謎のイベントじゃないですか。他の授業だと出来なくても自分が困るだけなのに、やる気のない人間も協力させる統率力がいるというか。そういう体験も中々ないだろうし、学校くらいじゃないと中々出来ないことですよね。

社会に出て1人だけで出来ることなんて才能がある人以外ほとんどないのに、学校の授業そのものはやろうと思えば1人で出来てしまうっていうのが変な話ですよね。
仮に、音楽と体育だけ出来て勉強ができない奴がいたとしても、案外人生うまく行くんじゃねえかと思います。なぜなら分からないことがあっても教えて貰えばいいから。分からない事が分かれば大丈夫なんだと思います。協力の仕方さえ知ってればいいんじゃないでしょうか。
だから体育の代わりにオーバーウォッチとかでもいいと思うし、セックスでもいいかもしれない。
でも肉体を使って協力するという意味ではやっぱり音楽と体育とセックスが一番良さそうな気がします。
なのでこれからの学校は「体体音音セセ」で行きましょう。やたら運動神経がよくて歌がうまい馬鹿が大量に産まれて最高の国になると思います。


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