【哲学】多くの恩恵のために1人の犠牲を出す。それは正義なのだろうか。
総合的な思考基盤を養うことをテーマに読書した知識を引用・解説していくnote。
本日の紹介は「功利主義」、ベンサムが唱えた全体最適主義である。
要するに、
━━━みんながよければそれでいいんじゃん
という考え方(何か揉めた時などに多数決するあれのこと)
合理的で良い考え方に見えるが、実は話はそう簡単ではない。リスクがは孕んでいる。リスクとは、排他的な立場が肯定され、画一化された社会へと導かれることにある。
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#1排他的な思想
10人いる中9人が一致する意見があるのであればそれでいこう!
となるので功利主義の元では1人の意見は軽視される。
ただ、直感でわかる通り、多数の意見が必ずしも正しいということはない。―――いつの偉人も常識を疑い、新しい発見をしてきたのだ。
多数意見と異なる場合は集団暴行に遭い、たちまち意見が否定されると少数派は挑戦に対してネガティブになり、画一化社会が生まれる。
そしてこの功利主義は、一見正しく合理的にみえる性質のゆえに組織が大きくなればなるほど乱用されて悪魔的な威力を発揮してしまう。―――「悪魔的だー!」
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#2多くの恩恵1人の犠牲
ただ、確かに恩恵を受けられる人間を最大化できる選択が吉とされるのであれば、1人の命より複数人の命を支持することが正しいかのように見える。こんな例はどうだろう。
さて、病院長は、軽症な患者を引き換えに、10人の患者を救おうと考えているが肯定されるべきだろうか。熱狂的な功利主義な彼には、1人の犠牲で10人が救われるのであれば全体最適に値すると考えている。
ただこれは正しくないように思える。ではなぜそう感じるのだろうか。ガス爆発が起きたことは運命で、罪のない軽症患者を悪戯に殺してしまうこと道徳的感覚に反するからだろうか。
人工的なメスを入れることが直観的に許諾され得る事象ではないのであれば、我々の医療技術、テクノロジーは今後発展するべきではないのだろうか。
―――FIN
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