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幸せに敏感になる

人生の目的は何でしょうか。
良い学校にいくこと、良い会社に勤めること、良い家庭を築くこと、といったことでしょうか。
おそらく、正解はありません。
仮に正解があったとしても、それを言葉に表現することは非常に難しいでしょう。
しかし、私たちはふとしたときに自分の人生の目的や意味を考えてしまいます。
この雲を掴むような問いに捕らわれ、眠れない夜を過ごした経験があるかもしれません。
今回は、私たち人間が何を求めて日々を過ごしているのか、この根源について考えたいと思います。

幸せになること

安直な回答が許されるなら、人生の目的は幸せになること、と表現できるかもしれません。
美味しいものを食べたとき、試験に合格したとき、告白に成功したとき。
色々な行動、出来事によって幸福感を感じることが出来ます。
このとき、美味しいものを食べるために行列に並び、試験に合格するために勉強し、好きな異性に振り向いてもらうためにお洒落をします。
未来の幸せな出来事を実現したいと思ったときに、その実現に必要な努力に打ち込むことができます。

しかし、その実現は容易ではないことが少なくありません。
美味しいものはすぐに売り切れてしまうし、合格者数は決まっているし、好きな異性には既に意中の相手がいるかもしれません。
場合によっては途中で諦めてしまうこともあるかもしれません。
実現できるか否かは本人の努力や能力に依存するとよく言われますが、運の要素も小さくありません。

このように、実現できた場合を幸せだと定義してしまった場合、実現できなかったときに不幸だということになってしまいます。

幸せは感じるもの

一般的に幸せかどうか考えるときに、前述のような定義で考えてしまう人がほとんどだと思います。
実際、人が幸福感を感じているとき、脳内ホルモンの一種であるドーパミンが分泌されている状態にあります。
食欲や性欲、承認欲求など大きさは異なりますが、様々な欲求が満たされるような外的刺激によってドーパミンが分泌されます。
つまり、脳科学的にはドーパミンを分泌させることが幸せだということができます。

しかし、このドーパミンは脳内麻薬と称されるように、アルコールやニコチンのような強烈な依存性をもっています。
ある外的刺激で得られたドーパミンの分泌によって一定期間の幸福感を感じたあと、またドーパミンの分泌を欲するようになります。
しかも前回の刺激では同量のドーパミンが分泌されず、より強い刺激を求めるようになるのです。
大袈裟な表現に感じるかもしれませんが、これは金銭感覚で容易に説明できます。

幼い頃、少額のお小遣いを握りしめて駄菓子屋に行った経験があるでしょうか。
その頃は100円硬貨がとても大金に感じていたのではないかと思います。
それが歳をとるにつれて大きなお金を使えるようになり、100円ショップが手軽で便利なお店に見えているはずです。
同じ100円でも、金銭感覚の変化によって得られるドーパミンの量には大きな差が生まれます。

幸せに敏感になる

金銭感覚に限らず、大人になるにつれて得られるドーパミンの量はどんどん少なくなっていきます。
外的刺激に対する耐性がついてしまうので、さらに強い外的刺激を求めてしまうようになります。
アルコール依存性やスマホ依存症などはこのような症状のひとつであると考えられます。
これは幸せに鈍感な状態です。

幸せを感じるためには、とても多くのお金や時間が必要となっているでしょう。
このように考えると、こどもや動物は幸せに非常に敏感であるといえます。
シンプルなおもちゃがひとつあれば長い時間楽しく過ごすことができます。
小さな外的刺激によって多くのドーパミンが分泌され、大きな幸福感を抱くのです。

大人になってしまった私たちがこどものよう幸せに敏感な状態に戻るために必要なのが、ドーパミンデトックスです。
食事や飲酒、スマホなど起きている時間のほとんどが外的刺激にさらされ、脳は常にドーパミンを求め続けています。
用がないのになんとなくスマホを開いてしまいます。
このドーパミンを排出し、外的刺激を断つ時間を設けることで、鈍感な状態から少しずつ脱却できます。
その代表的な方法の一つが瞑想です。

目を閉じることで視覚という外的刺激を遮断し、自分の呼吸のみに集中する時間です。
はじめはなにもしないことに耐えられず、スマホの通知などに反応してしまうかもしれません。
これは外的刺激に飢えている状態です。
しかし、このトレーニングを継続していくと徐々にドーパミンへの耐性が和らぎ、小さな幸せに気づくことが出来ます。
大きな外的刺激を求めて躍起になるのではなく、小さな外的刺激で大きな幸せを感じられる自分に変わるのです。

周りを変えるより自分が変わる方が早い

現在の環境に満足できないとき、何を考えるでしょうか。
理想と異なる部分を洗い出し、改善のための計画を立てるでしょうか。
自分の手に及ばない場合は、周囲に現状の改善を働きかけるでしょうか。

いずれにせよ、将来に向けて具体的な行動に移すことは重要です。
しかし、その行動が実を結び、理想の実現に至る可能性はそう高くありません。
自分の理想と周囲の理想にギャップが生じており、反発されることも有り得ます。
ここで重要なのが、周りが変わることを待ち望むより自分が変わってしまう方が手っ取り早いということです。

諸外国に比べ、日本だけが給料が上がらないと取り沙汰されることが増えてきました。
たしかに平均年収は伸び悩んでおり、それを嘆く声がそこら中から聞こえてきます。
それはあたかも自分には非が全くないかのような口ぶりで、政治家の怠慢を批判する論調です。
鬱憤としたネガティブな雰囲気を払拭し、経済を好転させるような救世主を待ち望んでいるだけで、自分から行動しようという気概を感じることができません。

古代中国の先人が「先ず隗より始めよ」と語っているように、自分の行動にベクトルを向けることが必要なのです。
そうすることで、本当に自分が望む理想の未来に少しでも近づくことができるのです。

幸せは結果と敏感さの掛け算

そのうえで、改めて幸せに敏感になるということは幸せへの近道であると考えています。
結果と敏感さの掛け算が幸福感の総量です。
結果の追求と並行して、幸せを敏感に感じることができるようにトレーニングすべきです。

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