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08:魚鳥木、申すか申さぬか。(鯵の章)

「てぇへんだ! てぇへんだ! てぇへんだぁーーーっ!」
 上野・アメ横商店街をものすごい勢いで駆け抜けていく一陣の風。商店街に立てられた「東北LOVE★LOVE商店街」「女川町大好きフェア開催中」と書かれたのぼりが次々にはためいていく。外国人観光客たちも驚いて立ち止まっている。商店街の人々はもう慣れたもので、風を巻き起こしている少女に気軽に声をかけていた。
「おう、金魚! 今日は何がてぇへんなんだぁー?」
 金魚と呼ばれた東金魚生(とうがね おみ)は振り返りもせずに雄叫びを上げた。
「家庭訪問だーっ! アっシんちに先生が家庭訪問に来んだよーっ!」
 その途端、アメ横商店街からドッという爆笑が巻き起こった。
「そりゃあ、中学に入ったんだから家庭訪問はあたりめぇーだよ!」
「金魚、また学校で何かしでかんたんだろう!」
「金魚は暴れん坊だからよー!」
 東金魚生の家は、魚料理が美味しい小さな定食屋だ。アメ横商店街から少し外れた路地にある。一階が店で二階が住居。築60年は経とうかという古びた一軒家だが、定食の味は天下一品と、毎日客が引きも切らない。
「ただいまー! てぇーへんだ! 家庭訪問だよ! 先生が来るー!」
 魚生は上野御徒町中学校に入学したばかりの一年生。平日の昼は店の手伝いができない。魚生はそれが悔しくてしかたがなかった。この家業が大好きなのだ。でも、悔しがってもしょうがない。平日のランチ時は近所の居酒屋「海月(くらげ)」の女将さんが手伝いに来てくれるのをありがたく思っていた。もちろん、夕飯時は魚生の出番。ここぞとばかりに手伝いまくる。家事一切も魚生がやっていた。
「鷹じい、先生が来んだよぉ! 相手頼むぜぇ!」
「何? 俺ぁ、学がねぇーからよぉ〜。先生様と喋んのは百足とおんなしぐれえ苦手だなぁー。松二、頼まれてくんねい!」
「やなこった! おめぇが苦手ってこたぁアタシも苦手ってこった」
 店を取り仕切るのは魚生の祖父。二人いる。鷹二(たかじ)と松二(まつじ)だ。魚生の江戸っ子気質はこの祖父から受け継がれている。せっかちで早とちり、先走りで勇み足、おっちょこちょいのところも鷹二の生き写しだった。
 いや、生き写しといえば鷹二と松二の兄弟の方が何から何までそっくりだ。
 それは当然……なんたって、一卵性双生児なのだから…。
 まぁ、違っていることといえば口調と音楽の趣味ぐらい。鷹二は自分のことを「俺ぁよぉ〜」と言い、松二は「アタシ」と言う。だから、口を開くと鷹二なのか松二なのかすぐに分かるのだ。ちなみに魚生は自分のことを「アっシ」と言うが、本人は「私」と言っているつもりだった。
「二人とも相手してくれよー! 頼むぜ〜。カワイイ孫が頼んでんじゃねぇーか!」
 駆け上がった二階から魚生の叫び声が聞こえてきた。それに反応して、店にいた常連客から笑い声が上がる。
「カワイイって、そりゃ……金魚、おめーのことか!」
「何だとぉ! うちの金魚がかわいくねぇとでも言いやがんのかい!」
「いや……その……あの……」
「よーし! こうなったらもう今日は店じめえだ! 何たって家庭訪問だからな!」
「えっ? えっ? もう閉めんのかよ。まだ食ってんぜ」
「早く食わねーと、アタシはさっさと片付けるよ」
「そうだ! 先生様がいらっしゃるんでぃ。さっさと食え!」
「ひでえメシ屋だぜ!」
「しーっ! この店のオヤジを怒らせるなよ。この辺じゃ稀にみる『早い・安い・旨い』の三拍子揃った店なんだからな」
「おっと! あぶねー、あぶねー」
 常連客が鷹二たちの目を盗んでコソコソと噂話しているところに戸を開けて新たな客が入ってきた。
「おう、いらっしゃいと言いてぇところだが……残念だな。今日はこれで店じめえだ!」
 そう言いながら鷹二はその客をグイグイと店の外に押し出す。
「ええーっ! そんなぁ〜」
 店先の暖簾を片付けながら「ほら、けえったけえった! 次に来た時ゃ、まけてやらあ!」と怒鳴る。
「ホントかい? じゃあ、また来っからよぉ〜」
「おうよ! おぼえてたらな!」
 暖簾を外した店の戸口に、鷹二は紙をバンッと貼り付けた。
 そこには「本日、家庭訪問につき、店閉めえ! めしや魚鳥木」と筆ペンで殴り書かれていた。

    * * * *

 風間浩也(かざまひろや)は、目の前に並んだ同じ顔の爺を落ち着きなく、キョトキョトと見比べた。
「あのぉ……金魚のおじいさんはどちらですか?」
 10年以上、中学校の教師をやってきた風間だったが、こんな子もこんな家庭も初めてだった。保護者がうり二つでどちらか全く分からない……。
 すると、魚生が鷹二と松二の間に割って入り、風間の前に空のコップをぐいと突き出した。
「先生、気にしねえでくんな。先生から向かって左が鷹じい。右が松じいだ。アっシのかあ様の親父は鷹じい。今、左側で鼻くそほじってるのがそうだよ」
「こ、こりゃ失礼。先生、いつもこのガキが世話んなりやして……」
「い、いや……こちらこそ、失礼しました。急に家庭訪問することになりまして……あっ、家庭訪問でビールはいけません」
 いつの間にか、魚生が瓶ビールを注いでくれている。風間は注がれるままにコップを傾けて持っていた。とてつもなく自然な流れだった。
「先生、こいつぁ、アっシがこさえた『アジと大葉の和え物』だ。急だったもんで、こんなつきだししか出せねぇが味わってくれよ」
 なんか時代がかったやりとりと、居酒屋に来たような感覚に風間はちょっと面白くなってきた。
(まぁ、いいか。金魚は学校でもかなりの変わり者だ。面白くて興味があったから家庭訪問したくなったし……無理に肩肘張らずにこの家庭に合わせるのもいいかも)
 魚生が出した小鉢には「アジと大葉の和え物」が入っていた。
「旨いっ! これは金魚が作ったのかい? 驚いたな、これは……。やっぱり料理上手だなぁ」
「ホントかい、先生! お口に合ったんなら嬉しいぜ。これ、先生も家で作ってみてくれよ」
 魚生は嬉しそうに喋り出した。身振り手振りが大きく、持っていたビール瓶を振り回しそうな勢いだ。
「アジの刺身を1パック……そうそう、スーパーで売ってるやつでいいんだ。それを細かく切って、それに切った大葉と薄口醤油、ポン酢を混ぜて……卵の黄身を混ぜたら出来上がり。簡単なのにうめーだろ?」
「お、先生にも出来そうだな。今度やってみるよ」
 風間は味わうように和え物を食べ、ビールを飲んだ。窓の外が薄暗くなってきた。
「日常的に使われやすい魚だからみんな、そのありがたみに気づいてないけど、アジは栄養がたっぷりありますからね。まず、カルシウムが多い。それから、身体の成長や細胞の再生を助けるビタミンB2も多いんですよ。もちろん、DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)といった不飽和脂肪酸も脂肪のところにたくさん含んでいるし」
「アタシらも魚を扱う商売だからDHAとかEPAとかは聞いたこたぁあるんだが、具体的には身体にどういいのかい?」
「おう、DHAは頭が良くなるんじゃあなかったかぁ?」
「そうです、そうです。脳を活性化する働きがあるんです。EPAは心筋梗塞や脳梗塞といった血栓症を防ぐのに役立つということです。血中のコレステロールを下げて血栓をできにくくする働きがあるんですね。肩こり、頭痛、目の充血などにも効果があるらしいですよ」
「アジ、滅法すげーやつ!」
「物知りだねぇ〜。さすが先生やってるだけあるわな!」
 松二が変な褒め方をした。
 すかさず、魚生が風間の前に皿をぐいっと出した。
「先生、これも食ってくんな。これは買ったもんだが、今まで食った中で最高に美味いサンマの昆布巻きだぜ」
 出された皿には、昆布に巻かれたサンマが輪切りにされて並んでいた。
「『リアスの詩(うた)』ってぇんだ。宮城県女川町の港に水揚げされた旨めえサンマを昆布に巻いて、長時間煮込んだから骨まで柔らけぇし、味が染みこんでるだぜ」
「うわっ! 本当だ! 骨まで食べられる。これは旨い。ご飯に合うおかずだな」
「待ってました! ほい、先生! 炊きたてほかほかご飯だぜ!」
 魚生は素早くご飯をよそったお茶碗を風間に渡した。

「金魚! 君はホントに良くできた子だな。先生、こんな至れり尽くせりは初めてだ。い、いや……教師がこんな家庭訪問したらいけないんだが…一応、今日のことはナイショで頼むな。最近、いろいろうるさいんだ…こんなこと言いたくないんだけど……」
「先生も大変だなぁ〜。なぁに、分かってらぁ。ここでは気ぃ抜いてくつろいでくんな」
「おう! アタシも気に入ったよ。食べもんを断らずにおいしく食べるのが本来のひとの姿よ。先生だからって堅苦しいこと言わねぇところがいいやな!」
「家庭訪問で出された食事を食べたとなると、贔屓してるだの言われたり、接待合戦が始まったりといろいろ面倒臭いもんで……いや、つまらないことを申しました」
 頭を下げた風間に鷹二が大げさに声を上げた。
「えらいっ! 先生様なのにちゃんと頭を下げることができるなんざぁ見上げたもんだぜ」
「先生はすげぇ優しいんだぜ。アっシが他の先生にこっぴどく怒られてると全部かばって助けてくれるんでぃ♪」
 すると、鷹二の動きがぴたりと止まった。
「金魚、おめぇ今、何つった?」
「あっ、しまった!」
「おめぇ、学校で何悪さしたんでぃ!」
 徐々に頭に血が上ってくる鷹二を風間はやんわりと制した。
「そんなに大したことじゃありませんよ。最近、みんなカリカリしてるんです。金魚はちょっとひとと変わったところが多くて、目に付きやすいんですよ。僕はね、金魚みたいな女の子が一人ぐらいいてくれた方が学校生活楽しく過ごせると思うんですけどね。まぁ、そう思わない人がいるんだなぁってぐらいなことです」
 風間はそう言って大らかに微笑んだが、魚生は学校では結構なトラブルメーカーだった。本人にはそのつもりは全く無いが、世間とズレている。時代とズレているといってもよかった。
 まず、学校においしい水産加工品を持って行くと、みんな珍しがって食べたがる。気に入って欲しがるクラスメイトの代わりに買っていって代金を受け取る。鯨肉の大和煮の缶詰は野球部員の間で静かなブームになったらしい。また、昼休みに調理室でアジの干物を焼いて大目玉を食らったこともある。
 東金魚生=金魚は旨いものを知っている。
 これが上野御徒町中学校に入学してから一カ月の間に先生と全校生徒に広がったことだった。他に「言葉遣いが悪い」「女の子らしくない」「廊下を走ってばかり」「マイペースすぎる」とヒステリックな教師に怒鳴られることが多い。団体行動に向いていないタイプであろう。
 風間はそのたびに「まぁまぁ、大丈夫ですよ。まだ何も起こっちゃいないじゃないですか」「言葉遣いが悪いように聞こえますか? あれは江戸弁です。東京に住んでいても江戸言葉を操る大人が少なくなってきてる時代に貴重な伝承者だと思いませんか」と先生たちをなだめたり、煙に巻いたりしてきた。その言葉通り、魚生の行動は大したことではないと思っている。むしろ、風間は魚生の行動を面白がっていた。
 ただ、家庭訪問を急にする気になったのは風間なりに魚生にゆっくり聞いてみたいことがあったからだ。
「金魚はどうして部活をしないんだい? 運動神経が良くて、足が早いからたくさん誘われてるんだろう?」
「うん、運動部の主将が毎日たくさんやってきて誘ってくるんでぃ」
 休み時間や放課後のたびに、各運動部の主将が入れ替わり立ち替わり誘いに来ていた。
 陸上部、水泳部、テニス部、バスケットボール部、バトミントン部、卓球部、最近できた女子サッカー部、女子野球部……それに何故か、柔道部……。みんな口を揃えて「金魚だったらオリンピックを目指せるかもしれないのに」と言ったが、魚生は笑って取り合わなかった。
「おめぇはいちいち断ってんのかい?」
「あたぼうよ〜。だって、店の手伝いがあるからな。家事も全部こなしてぇーし」
「金魚、先生は部活しておいた方が君のためにもいいことあると思うぞ。人生の中で短い学校生活だ。体にも心にも良い影響があると思うんだがなぁ〜」
「う〜ん。こちとら、いろいろ事情があっからなぁー。まぁ、考えとくよ」
 ストレートな性格な魚生が珍しく、お茶を濁すような口ぶりになった。
 風間は何か事情があるんだろうと察したが、それ以上は今の段階では追求しない方がいいかもしれないと判断した。
「それよりさぁ、先生! 相談があんだけどよぉ〜」
 なんか、わざとらしい話のそらし方だとは思ったが、風間はそれに乗ってやろうと身を乗り出した。
「ん? 何だい?」
「これっ!」
 魚生がグイッと差し出したのは一足の布でできた草履だった。
「アっシは学校でこれが履きたいんでぃー! 学校指定の上履きじゃなくて『おながわ布ぞうり』が履きてぇー!」
 風間は、草履を受け取ってまじまじと眺めた。本当に東金魚生は思いもよらないことを言う生徒だ。
「アっシには、これが一番ぴったりフィットなんでぃー!」
「おう! 俺っちも愛用してるぜ! 履いてると気持ちがいいからな」
「アタシも。健康は足からと言うからねぇ」
 3人揃って愛用の「おながわ布ぞうり」を見せびらかし始めた。
 どうやら「東北LOVE★LOVE商店街」アメ横が展開している「女川町大好きフェア」で知ってからハマったらしい。
「来月は南三陸フェアなんでぃ!」
「また旨いもんが食えるってこった!」
 まったく……おいしい海の幸と新しい物には目がない江戸っ子らしい東金家の三人。
 風間はしばし呆気に取られたが、ハタと思い出したことがあった。
「そういえば、美術の柴崎先生が最近、カワイイ草履を履き始めて、『外反母趾にいいのよぉ♪』ってごきげんだったが、勧めたのは金魚……君かっ?」
「ご明察〜♪」
 途端に風間は笑い出した。
「面白いっ! 本当に君は面白い! いやあ、君の発想と行動はこちらの予想なんか遙かに超えてくる。これだから教師は辞められない」
 風間の様子に鷹二と松二はキョトンと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、魚生は「そっかぁ〜? アっシは面白いかぁ〜?」と照れて頭を掻いた。
「世の中はどんどん複雑になっていく。便利になった一方、失われたものも大きい。ルールも複雑化してるし、情報は多すぎる。人々はどんどんイライラして、傷つけ合う。僕はもっとシンプルでいいと思うけど、そうはなかなかいかない世の中だ。そんな中で、東金家はまだまだ昭和のままだ。金魚、君はこんな大都会で古き良き昭和時代を引きずって生きてくれてる」
 当の東金家の三人は呆気に取られたままである。
「先生……それ、褒めてんのかい……?」
「うちは昭和から時計が止まってるってことか……?」
「そ、そういえば、昭和天皇の写真飾ったまんまだからか……ありゃあ、忘れてただけなんだがよぉ〜」
 風間はハッと我に返った。
「いや、失礼しました。もちろん、褒めているんです。東金家には失われた日本人の心が残っているんだなと感激したんですよ」
 鷹二と松二は二人揃って頭を掻いている。
「俺ぁ、難しいこたぁ分かんねぇが、先生がこの家を気に入ってくれたんならちょくちょく来てくんねぇ。大歓迎だ」
「アタシらからすると先生も相当の変わりもんだとふんだよ。下町の面白さが分かるお人さぁねぇ」
「先生……草履のことは? どうなったんでぃ?」
「あっ……ごめんごめん。許可もらえるように先生、頑張るよ」
「先生もてぃげぃ昭和なおっちょこちょいじゃねぇかぁ」
 四人の盛大な笑い声が、築60年の定食屋の二階の窓からとっぷりと暮れた夜の路地に溢れ出た。

「そうだ! 先生さぁ、『魚鳥木(ぎょちょうもく)』って知ってっかい?」
 魚生が突然、大きな目をクリクリさせながら人差し指を立てた。
「ここのお店の名前だろう?」
「うん、そうなんだけど……元は『魚鳥木』って昔の遊びの名前なんだよ」
「ほお〜」
「先生、一緒にやろう!」
 「魚鳥木」は言葉遊び。車座に座り、「親」を決める。「親」は「魚(ぎょ)」「鳥(ちょう)」「木(もく)」のどれかを言いながら他の誰かを指差す。指名された者はそれぞれに当てはまる種類を三秒ほどで言わなくてはならない。指名された者が言えたら再び「親」は指名を続ける。言えなかったり、間違えたら負け。負けた者が「親」を交代して再開する。素早くテンポ良く続けるところが面白いのだ。
 突然、魚生が雄叫びを上げた。
「魚鳥木、申すか申さぬか!」
 鷹二と松二が揃って答える。
「申す、申す!」
「ちょう!」
 魚生に指された鷹二が慌てて答える。
「た……鷹っ!」
 「親」の魚生は今度は松二を指す。
「もく!」
 松二も焦って、詰まりながら叫んだ。
「まっ……松っ!」
 今度は魚生は風間を指した。
「ぎょ!」
「あ……え……えっと……」
「はい、負けぇ〜」
 他の三人が「アウト」と言うように一斉に親指を立てて風間をはやし立てる。
 風間は情けない顔をして抗議した。
「ずるいですよぉ〜。お二人とも自分の名前を言ってるだけじゃないですかぁ」
「へへへへ……バレちゃあしょうがねぇ」
「突然、指されるとよぉ〜、なんか焦っちまうよなぁ」
「でも、テンポが大事なんですね。これは面白い遊びだ。日本の遊びは情緒があっていいなぁ」
「和の心。四季。花鳥風月……日本人の心は豊かだぜぇ。日本はまだまだでぇーじょぶでぃ。なんてな……」
「いや、まったくそうですよね。『自然が失われ、都会はビルが建ち並び、星も月も見えない』なんて言われてるけど、そんなことないですもん」
「みぃんな、目くじら立てて、ガタガタうるせぇーよなぁ」
「あー、でも僕の名前に魚鳥木に入る字があれば、僕も負けなかったのになぁ」
「あっ、先生! ホントは負けず嫌いだぁー」
「バレたか……でも、今度は負けないぞ!」
「魚鳥木じゃなくてさぁ〜、花鳥風月にしたら先生の名前も入るのにな!」
「おお、そうだな!」
 「めしや魚鳥木」の二階は笑いで溢れていた。
「あっ、そしたら今度は『月』がねぇかぁ!」
 魚生が楽しそうにはしゃいで答える。
 すると、鷹二が突然、真顔になってポツリと呟いた。
「……あんじゃねぇーか」
「え?」
 鷹二は、クイッと顎をしゃくってみせた。
「あそこに……よぉ」
 目線と顎をしゃくった先は小さな窓。
 魚生と風間は、窓を開け、そこからまるでのぞき込むように夜空を見上げた。

 ——月はそこに、あるじゃねぇか……。

(鯵の章 ◆ 終)
表紙イラスト:布施月子(日本画アーティスト)


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